またまた、菊池寛 の小説にハマってしまいました。

 

 

夕べは疲れているのに寝苦しくて、読みながら寝落ちしようぐぅぐぅ と思って『真珠夫人』を読み始めたのですが・・・うーん

 

 

1920年(大正9年)新聞に連載された長編小説。

 

 

眠くなるどころか、面白くて眠れなくなってしまいました滝汗

 

 

まず、また表記ビックリマーク 以前も、同じく菊池寛が翻訳した『イワンの馬鹿』の表記について書きましたが、今では使わなくなった漢字がたくさん出てきて面白いひらめき電球

 

 

 

 

翻訳業をしているので、やはり読んでて普段と違う表記に惹かれてしまいます。前回は動詞や名詞に使われている漢字が気になりましたが、今回は短い接続詞や副詞。

 

 

今ではほとんどひらがなで書くものが漢字になってると新鮮です。今でもたまに見かけるものもありますが・・・。

 

 

~ずつ「宛」、かなり「可なり」、なかなか「却々」、きっと「屹度」、さっき「先刻」、ちょっと「一寸」、とにかく「兎に角」、そのまま「其の儘」

 

 

そして、今とは違う漢字をあてていたもの。

 

 

又「亦」、構わない「介意ない」、お近づき「お知己づき」、私(わたくし)「妾」

 

 

特に気になったのは「妾」。今では「めかけ」と読むから、ルビがないところではどうしてもそう読んでしまいます。

 

 

でもこの「妾」、かつては「わらわ」と読まれていたそうで、古くは貴族の侍女が、近世では武家の女性が使っていた一人称だそうです。

 

 

またこの漢字の元をたどると、「妾」の上の部分はかつては「辛」だったそうで「辛い女」→「罪人、奴隷」→「召使」→「めかけ」と意味が変遷したようです。これも却々に(なかなかに)面白い話です照れ  ← いやもう、却々とかルビがないと読めないでしょう。

 

 

それから、指示語。今でも、小説などでは使われることがあるので読めないことはないけど、使わないよな、という漢字。

 

 

ここ「此処」、そこ「其処」、あそこ/あすこ「彼処」、どこ「何処」

こちら「此方」、そちら「其方」、あちら「彼方」、どちら「何方」もそうです。

 

 

ここでも1つ、気になりました。それは「何」の読み方ビックリマーク

 

 

「何処」では「ど(こ)」

「何方」では「どち(ら)」「どな(た)」

「幾何」では「(いく)ら 」「(き)か 」

「如何」では「(い)かが 」

 

 

「なに」の他に何通り読み方があるんだびっくり

 

 

これは外国人どころか、日本人でも混乱するレベル。昔の人はよくこれだけ使い分けたなあと感動してしまいます。

 

 

もちろん今みたいに漢字ドリルなんてないから、塊で覚えたんでしょうね。「如何」とあれば「いかが」と。当て字でしょうから。

 

 

英語からの当て字もたくさん出てきます。ルビが振られてますが、なくても意味が分かる、今でも使ってるものもあります。たとえば・・・

 

 

扉「ドア」、頁「ページ」、白金「プラチナ」、基督「キリスト」など。

 

 

面白いのはこちらの当て字。

 

 

調和者「ピイスメイカア」、含羞性「シャイネス」、鞄「トランク」、誇「プライド」、三鞭酒「シャンペン」、大評判「センセイショナル」、集合電燈「シャンデリア」

 

 

まるで「コンピューター」を「電脳」と書く中国語のようです。

 

 

含羞性「シャイネス」のように意味から作るか、三鞭酒「シャンペン」のように音で作るかすれば、たいていの外国語は漢字にできてしまいますもんねひらめき電球

 

 

昔の人はよく考えました合格

 

 

と、表記も面白いのですが、もちろん話の内容もすごく引き込まれます。

 

 

一言で言ってしまえば、封建的で女性が自由に生きられなかった時代に、成金で傲慢な荘田という男の策略によって無理矢理結婚されられた美しい華族の娘、唐沢瑠璃子の復讐物語です。

 

 

結婚後に自宅をサロンにして、取り巻き男性を翻弄する様は、NHKの連ドラ『花子とアン』に出てきた白蓮がモデルと言われているそうですが、その奔放さの陰には、男たちへの恨みと同時に、初恋の人への一途なまでの悲しい想いがありました。

 

 

大正時代の話なのに、結構サスペンス仕立てで、新聞に連載されただけあって、次が気になってどんどん読んでしまう書き方になっています。私も寝落ちするつもりが、結局朝まで読みふけってしまいました。

 

 

流れるような美しい文章と、たくさんの漢字表記に豊かな語彙、大正時代の文豪の筆致に感動する1作ですビックリマーク

 

 

 

 

 

こちらは原作に沿ったマンガです。