2011年3月11日金曜日、午後2時46分。宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0という未曽有の大地震が東日本を襲いました。

 

 

あれからちょうど10年。今日はTVでもあちこちで特番が組まれ放送されていました。

 

 

私はあの日、埼玉県の某公立高校に勤務中で、翌日の卒業式の準備を終え、数人の先生たちと古い5階建て校舎の2階にある職員室にいました。

 

 

突然ガタガタと揺れ始めたあと、すぐに横揺れが大きくなっていきました。これまでに経験したことのない大きな揺れに恐怖を感じ、私はすぐ机の下にもぐりました。最初は立って踏ん張っていた男の先生たちも、しまいにはみんな机の下にもぐったほどです。

 

 

直前の2月22日、ニュージーランドのクライストチャーチで語学学校の建物が倒壊し、日本人も多数犠牲になったというニュースが頭をよぎります。うちの学校は本当に古くて耐震工事もしていなかったので、「崩れるかもしれない」と本気で思いました。

 

 

その後だんだん揺れが収まり、校舎はなんとか無事でした。体育館への渡り廊下も崩れなかったことを確認し、外に出ました。翌日の卒業式を前に、生徒たちがほとんど帰宅していたのは幸いでした。

 

 

とりあえず人的被害がないことを確認し、その後、県内の予備校に行っている息子が持病もちなので心配になり、すぐに時間休を取って車で出ました。

 

 

予備校に着くと、息子はすでに帰宅したあとでした。一応近くの駅を見に行ったのですが、すでに駅は閉鎖していました。昼間にシャッターが下りた駅を見たのは初めてのことで、大変な事態になっていると感じました。

 

 

駅前にはバスやタクシー待ちの列ができていて、携帯電話もつながらないし、まさか途中の高架で電車が止まって出られなくなっているのではないかとか、いろんなことを想像して心配しながら家に帰ってみると、息子は無事に帰宅していました。

 

 

揺れが収まったあと、すぐに出たらちょうど自宅に向かうバスが出るところで、それに乗ってスムーズに帰れたと聞き、本当にホッとしました。

 

 

うちの辺りは震度5強とのことでしたが、家具は夫がすべて金具で止めてくれていたので、家の中はほとんど被害がありませんでした。ただ、キッチンで物が落ちた時に蛇口に当たったようで、水が出っぱなしになっていました。(当時は下に押すと水が出るタイプの蛇口だったので、その後付け替え。不用心でした)

 

 

都内にいた夫と娘は、鉄道が止まってしまったので、多くの人々同様その日は帰宅できませんでした。夫は会社に、娘は都内の友人宅に泊まったそうですが、なかなか連絡が取れないので心配しました。翌日の夕方になって、やっと家族みんなが無事に帰宅。安心しました。

 

 

しかし、その後は津波が発生。福島の原発事故も起こり、あちこちで毎日大きな被害が伝えられ、日本はこれからどうなってしまうんだろうと不安な日々が続きました。

 

 

あの時も、多くの学校で卒業式が中止や延期になり、イベントも自粛されました。

 

 

計画停電があったりガソリンがなくなったり、いろいろ大変なことが起こりました。まさかガイガーカウンターを買って自分で放射能測定をする日が来るなんて想像すらしていませんでした。(中国製の安いヤツですぐダメになりましたが)

 

 

あれから私たちは徐々に日常を取り戻していきましたが、家族が犠牲になったり家が倒壊したりして、10年経った今でもまだ傷が癒えず辛い日々を送っている方も多いことでしょう。

 

 

原発から出る汚染水がどんどんたまって置き場所がなくなっているのも不安です。海に流すという案が出ているようですが、漁業への影響は計り知れず、まだまだ問題や心配事は山積です。

 

 

でも、日本ではこんな大変な災害に見舞われても、暴動も起きないし、むしろ多くの場所で助け合いがあり、乗り越えてきました。素晴らしい国民性だと思います。

 

 

今また新型コロナウィルスで毎日感染者や亡くなる方が出ている中、社会でさまざまな制約やイベント中止、ステイホーム、飲食店の時短営業など、不便や不利益があるけれども、なんとか痛みを分け合い、協力したり工夫したりして乗り越えようとしています。

 

 

今回のコロナは、人混みを避け、マスク・うがい・手洗いなど、各自でできることをやればなんとか防ぐことはできます。蔓延を防ぎ、ワクチンを積極的に摂取していけば、いずれ収束に向かっていくだろうと思います。

 

 

10年前のあの日、誰もに語り継ぐべき大変だった1日があったでしょう。それ以外にもたくさんの地震や台風、水害などの災害が起こりました。避けようのないできことがたくさん起こりますが、これまでに経験してきたことを教訓にして、これからも非常時に備えていきたいし、いつ何が起こるか分からないので日々悔いのないよう大切に生きていきたいと思いを新たにしました。