広島のメーカー独身寮での強盗致死傷事案の受刑者の上川傑の最高裁への上訴期限が満了した。

高裁の控訴棄却の判決から2週間以内ということで4月5日がその期日となっている。今朝の午前0時を持って上告を締め切った。

つまり被告人と弁護士は最高裁への上告を断念したということだろう。(最高裁への上告をしたとか断念したとか報道がないため推測であるが)

 

一審での無期懲役の判決を不服として控訴期限ギリギリで控訴に踏み切ったものの、予想通りあえなく棄却。

事実は事実であり、反省がないことを印象付けただけの時間と費用の無駄な控訴だったと言えよう。

最高裁への上訴は重大な事実誤認(新証拠が必要)、著しく不当な量刑、判例違反、憲法違反に限られるし、検察・弁護側双方の出廷はない。

 

消火器を強く振り下ろしていることから殺意は明らかであり、金融機関に被害者を連れて行っていることから金銭強取の目的は確定的、さらに犯行後に携帯電話を遺棄して証拠隠滅を図り、被害者の救護もせず奪った現金を自己の口座に入金して自首することもなかった行為を見るに、金銭強取の挙句に殺害するなど非人道的な凶悪犯であり、何ら同情する事情は皆無である。

 

一審でも自己に有利な極めて不合理な弁明に終始し、「まずは自分と向き合うことから償いは始まります」と裁判長に諭されていたことから、裁判長の印象も「とても初犯とは思えない」と言った感じではなかっただろうか。一言でいえば「心象は極めて悪い」ということだ。

これらの事実を総合的に鑑み、最高裁へ上告しても棄却されることがほぼ確実であることからであろうと推測する。

 

 

http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo21.html

 

上記リンクは法務省の無期刑受刑者の仮釈放の運用状況についてのオフィシャル報告である。

 

仮釈放の審理は刑務所が行うのではなく、地方委員会が行う。法律上、服役から10年経たらされることになっているが、実際の運用は30年以上経てから、平均32年である。

審理回数が少ないほど仮釈放率が高く3回以上は皆無である。また35年以内に仮釈放されている場合が多く、これを上回ると社会復帰が難しく、新たな犯罪の懸念があるとの判断によるものだと推測できる。

 

また刑務所内で刑務官に口答えしたり、規定を守らなかったり、受刑者同志でのトラブルなどの場合に「懲罰」を受け、娯楽の停止や懲罰房への移動などがあるが、30年間で0回、若しくは1~5回以内でないと仮釈放の可能性は極めて低くなる。

 

犯行が残虐で社会的影響を大きく与えたものではないこと、且つ顕著な反省が犯行直後から見られ、明らかな改悛の情がみられ、更生社会復帰の気持ちも強く被害者感情も緩和され、社会的に許すような風潮になっていることなども条件として付与される。また具体的な被害弁済の行動があり、仮釈放後の受け入れ態勢、即ち労働場所と住居の確保、さらに家族の支援などハードルは高い。

親や親戚が高齢で死去していたり仮釈放者の支援を出来る経済力や健康状態が芳しくないことも多く、また兄弟に至っては「身内が強盗殺人犯」という負い目や就職や結婚などで障害となる実被害に遭っていたり温かく支援してもらえることはほぼ皆無。犯行時交際していた女性は忌まわしい過去を消し去り新しい恋愛をして結婚しているのは当たり前である。

つまり、いくら真面目に服役したとしても今後の支援を考えると仮釈放は無いと考えるのが妥当であろう。

 

現実として法務省の統計から概ね80%以上が仮釈放を許可されることがないことが判る。

 

通常、逮捕直後は罪を認め真摯な反省をし、裁判中に弁護士のアドバイスで量刑を軽くしようとして証言を修正していく事例が多い。

しかしながら本件事案の場合、逮捕直後から自己に有利な不合理な弁解しかせず、犯行にも真摯に向き合わず控訴を行っていることが反って上川傑にとっては極めて不利に働いていることが見える。早い話、上川傑の仮釈放の可能性はゼロと考えるのが妥当である。

 

例えば、真面目な若者が家族の介護等に追われ仕事に就けず、その日の生活費を得ようと衝動的にコンビニに押し入り、強盗殺人を犯したというのとは全く異なり、日頃のギャンブル中心の生活やブランドモノ欲しさ、遊興費欲しさに手っ取り早く金銭を得るために、何の落ち度もない被害者会社員の男性から金銭を強取し殺害し証拠隠滅を図り、自己の口座に入金するなどの犯行、全く改悛の情が見られない裁判での主張などによって裁判長の心象が極めて劣悪である。高裁での控訴審の際、弁護士からの被告人質問さえ許可されなかったという事実から見ても司法は「上川傑許すまじ」という姿勢が明らかである。

 

上川は人生で最も輝く20歳~50歳という時期を、刑務所の中で過ごすのだ。

オッサンばかりの集団生活。日本の懲役は自由を奪う自由刑。

娑婆の生活とは全く異なる。夕食~消灯までの数時間。本を読むとかチャンネル固定のTVを見る程度だ。

暑くても冷房は無く、寒くても暖房はない。メリヤスと呼ばれるアンダーウエアを重ねるだけ。

真冬でも冷たい水で洗面。トイレの便器も素手で洗う。入浴は夏季は週3回、冬は2回。トイレットペーパーの使用量も制限がある。一人になれるのは集団の中にあるトイレの個室だけであるが、足と上半身は外から見える状態である。つまり実質一人になれる時間などない。

生涯、男性だけの集団生活の中で高齢受刑者の下の世話から食事の世話など介護に追われたり、朝から夕刻まで作業に従事することになる。作業報奨金は平均一か月5,317円だ。上川傑の場合、自動車メーカーの工場で働いていれば基本給20万円ぐらいはあっただろう。夜勤や休日出勤などもあれば30万円近くはあったに違いない。

 

犯罪などという愚かしい行為をしなければ、自由を謳歌していたに違いないが、無期懲役囚となり、ほぼ100%仮釈放など望めないまま、死ぬまで刑務所で過ごすことになる。無期懲役の仮釈放など制度維持のための「エサ」に過ぎないのだ。

 

わずかな望みでも「仮釈放されて娑婆の土を踏みたい。歓楽街で酒を飲み、女を抱き楽しむことをもう一回やりたい」というエサをぶら下げることで「懲罰の無い服役」つまり、模範囚として過ごさせることで刑務所内の治安維持を図るのだ。仮釈放がないと判ると自暴自棄になり刑務官の指揮命令に従わなくなる。そうすると刑務官の負担も大きくなる。そのため、日本では死刑の次に重いのは無期懲役となっており「終身刑」はないのだ。

だが、無期懲役は事実上の終身刑であることは上述の法務省のリンクを見れば間違いない。

 

被告人の弁護人が最高裁への上告がないということは上川傑の無期懲役が確定したことを意味する。

 

事実上の終身刑だ。つまり、次に岡山刑務所を出る時には死亡した時だ。

 

19歳の夢いっぱいの前途ある若者の命を身勝手極まりない理由で、一生懸命働いてコツコツ貯めたお金を奪い殺害し、携帯電話等の証拠も隠滅し、救護することなく立ち去り、自己の口座に強取した金を入金し、何食わぬ顔で平然と出勤し、週末には交際女性と宮島にドライブに行っていた鬼畜には死刑でも足りないぐらいだ。

絶望を味わうがよい。被害者も被害者のご家族も絶望を味わっているのだから。

 

 

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