五胡十六国の日~匈奴で劉さんで中華皇帝!? | 極秘計画進行中!もっとオタクの味方となるために!「オボコノサトリ」

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謎の人物...もといオタクの味方であり自らもオタクである「仏滅」が、自分が面白いと思う鉄道模型とかQMAとかアニメとかボーカロイドとかをネタにして読者の皆様に楽しんでいただくブログ....でしたが、最近は本業の極秘計画進行中(内容は来るべきにここでお話いたします)。

今年の中国史強化月間は「五代十国の日」には「原トルコ人で「李さん」で中華皇帝?」な李克用親子を紹介しましたが、その流れで「五胡十六国の日」には「匈奴で劉さんで中華皇帝?」な劉淵を紹介します。

ちなみにおじいちゃんの於夫羅とパパの劉豹(劉姓はここから)は三国志に記述があります。

若いころは司馬晋にあって家康もかくやの人質暮らし、立ち上がるのはなくなる数年前といいますから、気が長いです。

しかしこの人が後世に最も影響を及ぼしたと思えるのは。父の代から劉姓を名乗り始めたこと。

これは前漢建国からまだ日の浅いころに劉邦VS冒頓単于で劉邦がぼろ負けして、娘を匈奴に嫁入りさせねばならなかったころにさかのぼります。そう、劉淵は冒頓単于の子孫であるとともに、母系で劉邦の子孫でもあるということになります。

そこに目を付けて劉姓を名乗りだしたわけなんですが、なんと日本でもこのルールが拡大解釈された例が散見されます。例えば彭城氏綱。正室が執権北条氏の末裔だったことから「北条」を名乗っています。検索してみると同様の事例は多数見つかることでしょう。個人的に「妻の側の苗字を名乗れる」ことを「劉淵の法則」と呼んでいます。

子孫のごたこたで天下を取れなかった劉淵ですが、この件で歴史上の重要性は小さくない、と考えている人物でもあります。

以上、今年の中国史強化月間では「名字だけ見て何人だかわかんない人」を取り上げてみましたがいかがでしたでしょうか。