今年の中国史強化月間は「五代十国の日」には「原トルコ人で「李さん」で中華皇帝?」な李克用親子を紹介しましたが、その流れで「五胡十六国の日」には「匈奴で劉さんで中華皇帝?」な劉淵を紹介します。
ちなみにおじいちゃんの於夫羅とパパの劉豹(劉姓はここから)は三国志に記述があります。
若いころは司馬晋にあって家康もかくやの人質暮らし、立ち上がるのはなくなる数年前といいますから、気が長いです。
しかしこの人が後世に最も影響を及ぼしたと思えるのは。父の代から劉姓を名乗り始めたこと。
これは前漢建国からまだ日の浅いころに劉邦VS冒頓単于で劉邦がぼろ負けして、娘を匈奴に嫁入りさせねばならなかったころにさかのぼります。そう、劉淵は冒頓単于の子孫であるとともに、母系で劉邦の子孫でもあるということになります。
そこに目を付けて劉姓を名乗りだしたわけなんですが、なんと日本でもこのルールが拡大解釈された例が散見されます。例えば彭城氏綱。正室が執権北条氏の末裔だったことから「北条」を名乗っています。検索してみると同様の事例は多数見つかることでしょう。個人的に「妻の側の苗字を名乗れる」ことを「劉淵の法則」と呼んでいます。
子孫のごたこたで天下を取れなかった劉淵ですが、この件で歴史上の重要性は小さくない、と考えている人物でもあります。
以上、今年の中国史強化月間では「名字だけ見て何人だかわかんない人」を取り上げてみましたがいかがでしたでしょうか。