森昌子デビュー40周年記念コンサート「ありがとう そしてこれからも…」 | 新潟だより

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森昌子デビュー40周年記念コンサート
「ありがとう そしてこれからも…」

日時:2011年8月26日(金)
会場:中野サンプラザ ホール
時間:昼の部 開演14:00、夜の部 開演18:30
料金:S席 6,500円、A席 6,000円
主催:MIN-ON、文化放送
プログラム
1.「越冬つばめ」(1983)     作詞:石原信一、作曲:篠原義彦
2.「孤愁人」(1986)       作詞:石本美由起、作曲:三木たかし
3.「北寒港」(1981)(10周年記念)作詞:さいとう大三 作曲:浜 圭介
4.「ふるさと日和」(1983)    作詞:杉紀彦 作曲:森田公一
(挿入歌)
 「ふるさと」(1914)      尋常小学唱歌(第六学年用)
 「母さんの歌」(1958)     作詞・作曲:窪田 聡
5.「おかあさん」(1974)     作詞:神坂 薫、作曲:遠藤 実
6.「青春日記」(1937)      作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀 政男
                  歌手:藤山一郎
7.「異国の丘」(1948)      作詞:増田幸治(補作詞:佐伯孝夫)、作曲:吉田 正
                  歌手:竹山逸郎、中村耕造
8.「青い山脈」(1949)      作詞:西條八十、作曲:服部良一
                  歌手:藤山一郎、奈良光枝
9.「ガード下の靴磨き」(1955)  作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎
                  歌手:宮城まり子
10.「東京のバスガール」(1957)  作詞:丘 灯至夫、作曲:上原げんと
                  歌手:初代コロンビア・ローズ
11. 学園3部作メドレー:      作詞:阿久 悠、作曲:遠藤 実
 「せんせい」(1972)
 「同級生」(1972)
 「中学三年生」(1973)
12.「バラ色の未来」(2006)    作詞:なかにし礼、作曲:浜 圭介
13.「なみだの桟橋」(1977)    作詞:杉紀彦、作曲:市川昭介
14.「彼岸花」(1978)       作詞:阿久 悠、作曲:出門 英
15.「洗濯日和」(2011)      作詞:荒木とよひさ、作曲:松本俊明
16.「愛傷歌」(1985)       作詞:石本美由紀、作曲:三木たかし
17.「立待岬」(1982)       作詞:吉田 旺、作曲:浜 圭介
18.「哀しみ本線日本海」(1981)  作詞:荒木とよひさ、作曲:浜 圭介
19.「子供たちの桜」(2009)    作詞:荒木とよひさ、作曲:都志見 隆

$新潟だより-森昌子デビュー40周年記念コンサート

 1972年6月25日、森昌子は中学2年生で「せんせい」でレコードデビューした。あれから39年が過ぎ、7月から40年目を迎えた。デビュー20周年・30周年のときは引退していたため、記念イヤーは30年前の10周年以来ということになる。40年の道のりは決して平坦ではなかった。2006年にホリプロから再デビューするが、多忙なスケジュールのために体調をくずしてしまう。そこで自分のペースで仕事をするために2008年に自分の事務所「おんがく工房」を設立した。しかし、再デビュー直後から更年期障害に悩まされ続け、安定して実力を発揮できなかった。2009年には子宮筋腫と子宮頸がんをレーザー手術で摘出したが、1年で再発したため、最終的に子宮全摘出手術に踏み切った。再デビュー後の歌唱は、長年のブランクと病気のため精彩を欠くことがたびたびあった。が、病気が快復したこの40周年こそ、ほんとうの意味での再デビューといえるのではないだろうか。

$新潟だより-せんせい表
「せんせい」(1972)

 今回のプログラムについて述べる前に、独立後のコンサート企画について復習してみたい。ひとつは童謡や唱歌を中心とした「ふるさとコンサート」、もうひとつは戦後の歌謡曲を中心とした「昭和歌謡史」だ。両者は規模も異なる。前者はアコースティック楽器(ピアノ、ヴァイオリン、ギター)を使った小規模なコンサート、後者は司会者とフルバンドを使った大規模なコンサートだ。一方、両者に共通する特徴は、プログラム中で持ち歌の割合が少ないことだ。彼女は引退前に50枚ものシングル盤を発表しているから、持ち歌だけで2時間のコンサートは簡単に構成できる。しかし、彼女は敢えてそうしなかった。この2つの企画こそ、彼女がやりたかったコンサートなのだろう。私もすばらしい企画だと思う。しかし、営業的には必ずしも成功していない。この3年間、関西では一度も開催できていないのだ。その理由だが、私はやはり持ち歌の割合が少ないからではないかと思う。この第1期の活動経験を生かして、40周年記念コンサートで「おんがく工房」の第2期が始まるといっていいだろう。だからこそ、このコンサートのプログラムがどうなるのか、私は興味津々だった。

$新潟だより-なみだの桟橋
「なみだの桟橋」(1977)

 プログラムを3部に分類し、それぞれにタイトルを付けてみた。
第1部 森昌子ヒットパレード1:
 第1曲「越冬つばめ」~第5曲「おかあさん」
第2部 昭和の歌謡曲:
 第6曲「青春日記」~第11曲「学園3部作メドレー」
第3部 森昌子ヒットパレード2:
 第12曲「バラ色の未来」~第18曲「哀しみ本線日本海」
前に述べたように、昌子さんくらいたくさんの持ち歌とヒット曲をもっていれば、持ち歌だけで記念コンサートを構成できたはずだ。が、今回もそうはしなかった。第2部として、カバー曲中心の「昭和の歌謡曲」を挿入した。「昭和歌謡史」の短縮版だが、いままで歌っていない曲ばかりだ。昭和10・20・30年代からバランスよく選ばれている。最初の3曲が古賀政男、吉田正、服部良一という3巨匠の作品というのもすばらしい。最後の昭和40年代の曲が自分の学園3部作メドレーなのは「昭和歌謡史」と同じだ。このみごとな選曲と配列に、昌子さんの昭和の歌謡曲に対する深い思い入れが感じられる。

$新潟だより-北寒港
「北寒港」(1981)(10周年記念曲)

 残りの第1部と第2部の構成もじつに巧みだ。普通に考えれば、デビュー曲の「せんせい」から新曲の「洗濯日和」まで年代順に並べたいところだが、全体のバランスと曲調の変化に対してきめ細かに配慮されている。まず代表曲の「立待岬」「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」をどう配置するか気になっていたが、最初と最後にもってきていた。第1曲目が「越冬つばめ」とは驚きだが、全体のバランスを考えると、1曲目は賢い選択だ。オープニングにふさわしいインパクトがあるし、声に負担がかかる曲なので、最初の方が歌いやすいという利点もある。もうひとつ注目すべきは、今回新たに加えられた曲が「なみだの桟橋」「北寒港」の2曲だということ。前者は昌子演歌の代表曲、後者は10周年記念曲だ。2つの共通点は、日本的な5音音階(ヨナ抜音階)で作られ、かつ小節(こぶし)を入れた装飾唱法で歌う必要がある、いわゆる「演歌」だということ。このような狭い意味での演歌を、昌子さんは再ビュー以後、避けてきた感がある。今回のプログラム中でも、この2曲以外に狭義の演歌はひとつもない。今回敢えて演歌を加えたことは、「お客さまのためならば、これからはどんな曲で歌っていこう」という決意の現れではないだろうか。彼女は心身ともに一時期、深く傷ついてしまった。そのような状態からようやく脱却し、いまの彼女は焦らずに一歩一歩を着実に前進しようとしているようにみえる。

$新潟だより-彼岸花
「彼岸花」(1978)

 このプログラムには、細かな仕掛がいくつも隠されている。第1部は引退前の後期の作品から徐々に年代が古くなる。一方、第3部は、1曲目と4曲目を除いて初期の作品から徐々に年代が新しくなっている。つまり、年代的にシンメトリーな構成がみられる。再デビュー後の2曲は、どこに入れたらいいか腐心したのではないだろうか。「バラ色の未来」は、これまでオープニング曲として使われることが多かった。それで第3部の冒頭にもってきたのだろう。新曲の「洗濯日和」は、叙情的な「彼岸花」と哀愁あふれる「愛傷歌」の間に挿入された。曲調に変化をもたせ、かつクライマックスとなる代表曲とその前を区切るために選ばれたロケーションだと思う。このように、今回のプログラムには細かな配慮が随所に見受けられる。じつに巧みなプログラム構成だ。

$新潟だより-越冬つばめ
「越冬つばめ」(1983)

 このコンサートのもうひとつの特徴は、昌子さんのエンターテイナーとしての才能を生かして、雰囲気を和やかにしていることだ。彼女は若い頃から、「昌子おばあちゃん」に代表されるように、コミカルな話術や寸劇が得意だった。内気な一人っ子にどうしてそんな才能があるのか不思議でならないが、雰囲気を読んで的確にレスポンスできる能力も超一流だ。今回も衣装の7変化、司会者との寸劇、および「ものまね」に、その才能が遺憾なく発揮されていた。話題の衣装は、白いドレス→黒いドレス→ジーンズのつなぎ(麦わら帽子、キャップ)→バスの車掌の制服→セーラー服→ピンクのドレス→深紅のドレス、と変化した。ジーンズのつなぎは「青い山脈」「ガード下の靴磨き」の衣装だが、「どんぐりッ子」(1976)を思い出した人も多かっただろう。車掌の制服はとうぜん「東京のバスガール」の衣装だ。車掌のガイドアナウンスは、ほんとうの車掌さんよりもうまいくらいだった。寸劇は「ガード下の靴磨き」の後、司会者の牧野氏扮する労働者と二人で行われた。「昭和歌謡史」で経験を積んだ2人の掛け合いは、いつ聞いても愉快だ。牧野氏の労働者姿は似合い過ぎていて、見ているだけで吹き出しそうになった。彼女のエンターテイメントの極めつけは、やはり「ものまね」だろう。今回は中三トリオの話題の中で披露された。順番は、アグネス・チャン、天地真理、菅原都々子、美空ひばり、山口百恵、桜田淳子だった。最後の2つ「横須賀ストーリー」と「わたしの青い鳥」はオケ付で歌われた。相変わらずの「七色の声」に会場が沸いたのはいうまでもない。

$新潟だより-愛傷歌
「愛傷歌」(1985)

 このコンサートは、単なるエンターテイメントに留まらず、昌子さんらしいいくつかのメッセージが込められていた。ひとつは『母への感謝』だ。これは独立以来変わらないメッセージだが、今回は第1部の「ふるさと日和」の後、プロジェクターを使って母の想い出を語るとともに、「母さんの歌」を「おかあさん」の前に挿入して、「家族愛」のたいせつさを訴えていた。次のメッセージは『兵士の母』だ。第2部の「青い山脈」の後、少年特攻兵が書いた家族への手紙が2つも朗読された。スクリーンに投影された若い兵士の写真は、戦争の「非人間性」を静かに語っていた。私の父も少年兵として航空隊に所属していたため、なんともいえない気持ちになった。昌子さんには珍しく「憤りをおぼえる」と、母親の立場から若い命を犠牲にした戦争に対して抗議していた。最後のメッセージは『大震災被災者に対する支援』だ。終曲「哀しみ本線日本海」の後、「これからも自分ができることで応援していきたい」と語っていたが、そこに気負いは少しも感じられなかった。それも彼女らしい。エンディングの「子供たちの桜」も家族愛をテーマにした曲だが、私には「被災者の皆さまも、家族の絆をたいせつにして難局を乗りきって欲しい」というメッセージに聞こえた。

$新潟だより-バラ色の未来
「バラ色の未来」(2006)

 個々の歌についても述べたいところだが、もう長くなってしまった。一言だけいえば、不安と迷いの時期を脱し、新生森昌子として力強く歩み始めたことを実感することができた。彼女の高い歌唱力はこれからも進化し続けるだろう。「エンターテイメント性と芸術性の両立」、彼女のステージほどこの表現がぴったりな大衆音楽のコンサートが他にあるだろうか。歌あり、涙あり、笑いあり、メッセージありの内容に、私は心が一杯になって帰路についた。

$新潟だより-洗濯日和(表)
「洗濯日和」(2011)