イメージ 1

ベートーヴェン:

交響曲第3番変ホ長調作品55《英雄》 

序曲《コリオラン》作品62
 
ブルーノ・ワルター 指揮
コロンビア交響楽団
 
(1958,CBS)
 

 


 
言わずと知れた名盤。
 
もったいないことに、このようなレコードの良さが、昔はよく分からなかったのだ。
 
ステレオ初期の巨匠のロマンティックな演奏があってこそ、次の世代の(精鋭としての)カラヤンが醸す「斬新さ」がもて囃やされたのだと思う。カラヤン&ベルリン・フィルの80年代の録音は、現代の都会人にしっくりくる演奏である(時間に追われる現代人に相応しく、例えばテンポは早く、音の現れ方が鋭い)。カラヤンのはいつも聴いている愛聴CDだから、私の中では「お気に入り」には違いない。
 
しかし、いまから思うと、聴く順序がちょいと違っていたのかもしれない。
 
この盤は、ワルターが死ぬちょっと前の録音群で、オケもハリウッド映画の伴奏部門の奏者の寄せ集めだったというのは有名な話。レコード会社が、引退してビバリーヒルズに隠居していたワルターを担ぎ出して一攫千金を期して吹き込んだレコードだそうな。
 
それにしても、そんなご老体で、これだけオケを見事にコントロールできるのものだろうか?
 
オケのもともとの技量? それともプロデューサーの指示?
 
ロマンのない話で、“神”に纏わる疑問として相応しくないのは自覚しているのだが、これが本当に「晩年のワルターの吸引力による名演」なのかどうか、デジタル世代の私には分かりかねる、というのが本音なのである(というより信じられないのである)。
 
いやいや、ワルターは晩年でなく、もっと昔のモノラル盤の方がいいんだよ、という評はともかくも。
 
当盤の演奏は本当に「宇宙」とつながっているよう。「サムシング・グレート」と一体化する大きな大きな音楽だと思った。