夢ノ結唱 PASTEL×中野雅之「Singer」レビュー 非ボカロ文化圏から臨む歌声合成 | A Flood of Music

今日の一曲!夢ノ結唱 PASTEL×中野雅之「Singer」~非ボカロ文化圏から臨む歌声合成~

 

レビュー対象:「Singer」(2025)

 

 今回取り上げるのは、電子制御が強めのロックないしはビッグビートに特徴付けられる唯一無二のサウンドを誇り、片羽を休めるも依然レガシーは燦然と輝いているユニット・BOOM BOOM SATELLITESおよびその精神的後継・THE SPELLBOUNDのメンバーである中野雅之さんが、ガールズバンドの成長を主軸に作中とリアルの双方で物語を紡ぐメディアミックスプロジェクト『BanG Dream!』に於ける数ある展開の中でも一際チャレンジングと言える、AI技術を用いてキャラクターの歌声を再現した人工歌唱ソフト『夢ノ結唱』シリーズを駆使しての制作に当たったコラボレーション楽曲「Singer」です。

 

 

 主語と述語がかなり離れてしまった上に統語構造も複雑で半ばランオンセンテンスの悪文を敢えて許した先の概説から解るように成立過程が非常に込み入っておりまして、当ブログのテーマに照らしても【BOOM BOOM SATELLITES】【BanG Dream!】の二つが存在するために振り分けに悩んだけれど取り敢えず前者で扱うことにしました。BBSの記事としては約6年半前に【平成の楽曲を振り返る】の一環でレビューした「Moment I Count」(2005)のもの以来、バンドリに準拠するなら約3年半前にアップしたPastel*Palettes「ワクワクmeetsトリップ」(2020)のものが現状で唯一の記事*1です。

 

 ※ 1 副次的な言及ならば後年のこの記事にPoppin'Party「White Afternoon」(2019)を、この記事にはRoselia「Blessing Chord」(2021)を取り立てています。

 

 

 『夢ノ結唱』は学習元或いはキャラ毎に製品が別たれており、本曲の制作に使用されたのはパスパレの丸山彩(CV:前島亜美さん)を音声提供者とするPASTELなので、オリジナルとは別キャラ扱いとはいえ先掲したパスパレの記事に次いで更新するものとしては中々に面白い比較になるかと思いました。他にはPOPY, ROSE, HALO, AVERが存在し、作品に明るい方であればこの名称だけでも誰がモデルとなっているかの特定は容易でしょう。

 

 さて、本題である「Singer」のレビューに入る前にかなり長めの前置きとして、次項では収録先のアルバムを含めて『夢ノ結唱』のディスコグラフィーをざっと振り返りつつ広範にその魅力を語ります。それから後には前述した通り当ブログ上に約6年半のブランクが生じているBBSについて、スペルバもしくは中野さんのソロにトピックスを敷衍させることで認識のアップデートを示すセクションを設けますので、背景情報の補強に宜しければお付き合いください。

 

 

収録先:『CULTIVATION』(2025)

 

 

 本曲のアルバムとしての収録先は今年の7月にリリースされた『CULTIVATION』で、『夢ノ結唱』をアーティスト名に冠したディスクとしてはPOPYの『Infructescence』(2023)およびROSEの『Blütenstand』(2023)に続く3枚目です。過去の2枚は同日のリリースで制作陣と曲目も一部で共通しており、kemuさんやナナホシ管弦楽団さんに代表される有名ボカロPの参加からも窺えるように、広義ではボーカロイド色の濃い作風で統一されていたと言えます。

 

 

 この点で『CULTIVATION』は従前と趣を異にする全くの新機軸で、POPY, ROSE, PASTEL, HALOの楽曲が一枚に纏められている多彩さも然る事ながら、クリエイターの訴求力が一段と高いだけでなくボカロ文化に育まれたというタイプではない方々*2が優勢に布陣されているため、バンドリ(アニソン)にもボーカルシンセ(歌声合成ソフト)には馴染みはないと一線を引いていたとしても、音楽への高感度アンテナ持ちを自称するならば食指が動くこと請け合いです。

 

 ※ 2 ちなみに筆者もこのタイプで、世代且つ二次元趣味に理解があるのにも拘らず履修して来なかった経緯は、この記事のコラム③に少し明かしています。なお、現在はバンドリを含む幾つかの音楽系IPおよびVTuberへと傾倒する過程で、カバー(歌ってみた)の形でボカロ曲を耳にする機会も多くフェイバリットがたくさんある次第です。

 

 普段から個人的な嗜好に合致している即ち俺得なアーティストに限っても、中野さん延いてはスペルバ手掛けたナンバ―が5曲と最も多く、更に近年はコラボワークスが目立ってフォローが追い付いていないDÉ DÉ MOUSEも2曲をプロデュースしていて、これらの7曲だけでも自分には充分な購入動機となります。加えて、主に楽曲提供にてその確かな手腕を知っている冨田恵一さん川谷絵音さんにも1~2曲の割当てがあり、両者がタッグを組んだ楽曲を深堀りしたことのある立場からすると、同じ盤にラインナップされていること自体が嬉しいです。

 

 

 その手に成る楽曲が複数収められているとの括りでは浜渦正志さんおよび長谷川白紙さんも該当し、『チョコボの不思議なダンジョン オリジナル・サウンドトラック』(1997)*3劇伴好きになったと言っても過言ではない僕に取って浜渦さんの音楽はルーツに訴え掛けてくるものがありましたし、長谷川さんに関してはパソコン音楽クラブ「hikari」(2019)のボーカルや月ノ美兎「光る地図」(2021)の制作、ASA-CHANG&巡礼「花」(2001)のリミックス音源「花 (長谷川白紙 Remix)」(2022)などで触れて来ており、係る三曲に対するものではありませんが偶々この記事に三者のお名前をリファレンスとして例示しています。

 

 ※ 3 2006年の再販盤ではなく8cmCDが付属しているSPECIAL PACKでの所持で、ゲームと同様クリスマス商戦に合わせての発売ということもあってか、スリーブケースのチョコボがサンタ衣装を着ている可愛らしいプロダクトデザインが思い出に残るジャケットです。

 

 

 アルバムの5.~8.には単曲での提供者が連続していて、yuu yokonoさん・yuigotさん・是さん・Cö shu Nieの中村未来さんによる各曲も粒揃いで聴き応えがあります。ラストの2曲は作詞コンテストの入賞作で、作編曲を担ったのはそれぞれkamome sanoさんとElements Garden所属の藤田淳平さんです。

 

 以上12名のクリエイターによる都合20曲の大ボリュームに圧倒されること間違いなしの『CULTIVATION』は、表題の英単語が素直に意味するところの〝栽培〟が過去2作の日本語訳〝果実序〟〝花序〟に対応するものとして機能し、更には〝培養〟や〝育成〟辺りの語釈が人工歌唱ソフトの文脈にマッチして、その〝洗練〟された内容は聴き手の意識を〝啓発〟するものと言えるため、マルチミーニングに解釈可能な巧いタイトルだと思いました。

 

 

 ここからは話をBBSに戻して…と言っても、川島道行さんとのユニットというフレームでのBBSは活動を終えているため、リアルタイムなものとしてはレビューですらない呟きを残しただけの「LAY YOUR HANDS ON ME」(2016)の記事以降に、自分の嗜好や認識がどう変わっていったかをスペルバや中野さんのソロワークスも対象にしながら示していきます。引き続き『CULTIVATION』にも言及しますので、ディスク評が継続しているものとお含み置きください。

 

 例によって自作のプレイリストに基くのが簡便ということで、10*3で全30曲編成の【BOOM BOOM SATELLITES・THE SPELLBOUND・中野雅之】からBBSの楽曲を除いて列挙したのが次の通りです。上位10曲までに「A DANCER ON THE PAINTED DESERT」「MUSIC」「Singer」「なにもかも」「はじまり」、上位20曲までに「LOTUS」「おうちへ帰ろう」「マルカリアンチェイン」、上位30曲までに「Who What Who What (Remixed by Masayuki Nakano)」「イーアーティエイチスィーナーエイチキューカーエイチケームビーネーズィーウーオム」「さらりさらり夢見てばかり」「手を叩け今ここで祈るだけ願うだけ」の計12曲を登録しています。

 

 

 このうち数曲には補足が必要なのでまずはセルフカバーの話から。スペルバの2ndアルバム『Voyager』(2024)収録曲のうち、上に曲名を出した「イーアー~」と「マルカリ~」に加えて「世界中に響く耳鳴りの導火線に火をつけて」の3曲は、元々他アーティストないしプロジェクトに提供されたものです。「イーアー~」はBiSが、「マルカリ~」と「世界中に~」は『夢ノ結唱』のROSEとPOPYが、それぞれオリジナルの歌い手と言えます。先のリストに於いては「マルカリ~」をROSEのもの、「イーアー~」をスペルバのもので登録済みです。

 

 

 追う存在が多過ぎるがゆえにパッケージ化するまではあまり情報を仕入れない性分と習慣が災いしまして、オリジナルの初出は3曲共に2023年だけれど当時はこれをスルーしており、2024年の『Voyager』で初めてこれらを聴いた際には特に疑問を持たずスペルバの楽曲(何の注釈も付かない新曲)と受け取っていました。しかし2025年の『CULTIVATION』でスペルバの深い関与を知った後に漸く、当該の3曲がセルフカバーであると理解した体たらくです。2024年の時点で背景を調べれば良かったのにとのツッコミはご尤もですが、ソフトウェアを介してとはいえバンドリと中野さんが結び付くとは思わないだろうとの、双方好きだからこその先入観に妨げられたと言い訳しておきます。

 

 

 次にリスト内で唯一のリミックス音源「Who What~」は、『PSYCHO-PASS Sinners of the System Theme songs + Dedicated by Masayuki Nakano』(2019)からの選曲で、オリジナルは凛として時雨です。三点目にねごとのナンバーついてはリストに別枠として【ねごと】が存在しており、そちらで管理をしていますので【BBS・スペルバ・中野雅之】の枠では扱っていません。これは当ブログのテーマでも同様で、中野さんが携わった楽曲に関する記事にはここからアクセス出来ます。先述したようにバンドリへの関与は意外ではあったけれど、ねごと(ガールズバンド)へのサウンドプロデュースやBiS(アイドルグループ)への楽曲提供に鑑みると、親和性の高さは既に証明されていたわけですね。

 

 最後にリスト外だけれど是非とも言及しておきたいのは『雨ニウタレ命ナガレ』(2024)のc/w「Cowgirl」で、これが偶然に同名の楽曲ではなくUnderworldのカバーだと解った時の高揚には計り知れないものがありました。確か『19972007』(2010)のリリース時だったかと思いますが、BBSはカールからお祝いのメッセージを頂戴するに相応しい日本人ミュージシャンだと腹落ちした記憶があります。なお、ここでリスト外なのはオリジナルを【Underworld・Karl Hyde・Rick Smith・Darren Emerson】に登録しているからです。同曲を大々的にレビューしたことはないものの、往年の名曲且つライブアンセムなので過去に幾度か曲名を挙げて都度絶賛しています。今夏のBoiler Room出演(外部サイトリンク)も控えめに言って最高でしたね(「Cowgirl」はリンク先動画の[16:27~])。

 

 

 非常に長くなりましたが前置きとして書きたい事柄は全て盛り込めて自己満足は十全ですので、次項から愈々本題である「Singer」のレビューに入ります。際しては下掲のインタビューが楽曲の理解に大きく資するため、本記事でも適宜参照していく所存です。また、スペルバの楽曲も引き続き紹介していきます。

 

 

 

歌詞(作詞:THE SPELLBOUND)

 

 早速インタビューの記述を持ち出しまして、PASTELを用いた本曲とHALOを用いた「手を叩け今ここで祈るだけ願うだけ」の歌詞に関しては、小林祐介さん曰く「『Synthesizer V』が歌うことを前提にSF的な舞台設定を考え」たそうです。バンドリの公式HP(外部サイトリンク)に掲載されているクリエイターコメントでも、「歌を歌うことが役割だったアンドロイドは解放と自由を求めて新しい世界へ飛び込んでいく」云々とバックストーリー*4が数行で匂わされています。

 

 ※ 4 関連のある過去記事にリンクする形で個人的な趣味から例示するなら、「初音ミクの先輩」的に形容されることもある『マクロスプラス』のシャロン・アップルや、2021年のアニメでは2番目に高く評価している『Vivy -Fluorite Eye's Song-』のヴィヴィを連想しました。

 

 「本能を徐々に失いながらも加速していく未来世界」とも述べられている通り、利便性を追求した結果人間らしさの喪失を招きつつある半ディストピアな前提は、我々の生きる目下の現実と重なるところがあります。しかし私的な感性ではもっと踏み込んでポストアポカリプスな世界観で歌詞内容を捉えていて、人類が住めなくなった地球に取り残される歌唱アンドロイドの未来を案じた誰か(特別な聴き手もしくは開発者?)の目線で、遥か遠方から思いを馳せるように言葉が紡がれているのではとの理解です。つまり歌詞中の"僕"が重要な誰かで、"君"がPASTELだとして以降の話を進めます。"きみ"の特殊性については後述。

 

 

 冒頭の"どこまで行っても歌っていて/いつまで経っても不完全で"は、聴衆が誰一人居なくなろうともPASTELに与えられた役割が「歌を歌うこと」で変わらない残酷な設計を突き付けていて、"朝日が最後に 僕ら照らしたら"は決意から来る意識的な区切りではなく物理的に地球を後にせざるを得ないからこそのラストシーンで、"僕"と"君"のともすると永久の別れを予感させます。取り敢えずは"またね どこかで/君の声だけを聞かせて"と再会の余地を残して、"手を振るよ バイバイ"と告げて僕は去って行ってしまいました。

 

 続く"だんだん壊れて"~と"タネをまこう"~の二つのスタンザは、その後の膨大な時間経過でPASTELに起こった絶望と希望が描かれているとの解釈で、聴衆を失った歌唱アンドロイドが物理的にも論理的にも壊れていく様は想像に難くないけれど、機能停止を辛うじて防いでいたのは僕との記憶に未来を見ていたからで、"タネをまこう 明日がなくても/約束をしよう ずっと夢見よう"の破滅に折れないビジョンは、「あと一日だけ…」を積み重ねる原動力たり得ます。

 

 サビでは地の文の視点がPASTEL側に移っているとの読み解きで、その根拠こそが後述するとした平仮名の"きみ"の出現です。厳密には"僕"と"君"の視点が相互補完的に作用したものと捉えていて、"いつも歌っていた きみを探していた"を一文で《 〈いつも歌っていたきみ〉を探していた 》と読めば聴き手が歌い手を探している構図に、二文で《 いつも歌っていた 》 《 きみを探していた 》と読めば歌い手が聴き手を探している構図になります。"そこにいたんだね ずっと歌っていて"も双方向に読めますし、係る多義性を"きみ"の表記変更でマークしているのだと思いました。

 

 この逢瀬は演算上でなされているとSFっぽく書くことも可能ですが、人間の心の機微に置き換えれば幸せな想像の産物に過ぎないがゆえに、実際には"だんだん色褪せて 目が覚めて/なくなっても"と切なく結ばれています。それでもメモリの奥底には"約束をしよう ずっと夢見よう"という僕とのメモリーが残っているために、何度となくPASTELは特別な誰かとの記憶を追い求め続けるのでしょう。とはいえ肝心の"僕"は"君"がこのようなループに囚われるのを望んでいたわけでは決してなく、「歌を歌うこと」の役割に縛られず自由に滅びた世界を謳歌して欲しいと願っていた優しさが2番で明かされます。

 

 

 その書き出しが本曲の歌詞の中では最も感銘を受けた部分で、"さあ蝋燭に火をつけて 今日は君のバースデイ/深く息を吸ったら この街を吹き消して"に窺える、ハッピーな破壊のイメージが新たな創造の予兆に奮えており痛快です。気障な演出として実際にある或いはフィクションでも見たような気がする、誕生日ケーキの蝋燭を吹き消すのと同時に夜景に映るタワーやビル等の灯りが消えるというサプライズを思わせて、そのナルシズムを肯定したい自分の心理に深く刺さりました。

 

 自己と世界のスクラップ&ビルドに於けるキーワードは"君は君を愛して"で、"誰もいなくなったら"そうする他ありませんし、ただ自分のためだけに"お気に入りの服着て"いられることは何よりも自由です。"何を望んだっていい すべて拒んだっていい"と裁量権の完全な掌握で取り巻く世界を自在に書き換え、"すべて壊したっていい"に"作り直したっていい"と柵を気にせず無制限に遣り直せるのがポストアポカリプスの魅力的な要素と言えます。

 

 

 ここからの歌詞は既出と新出のフレーズが入り混じるスタイルで、伏線的に重要だと感じられるのは"天まで届け"です。これ自体は1番にも出て来たけれど、2番で"届け君まで"*5が新たに付されることで、地球から飛び立つ"僕"を見送ったPASTELが天に焦がれるのは自然な発想だと結び付きます。そのための手段には"どんどん並べて 重ねて"にMVの描写からバベルの塔の神話だったり、"タネをまこう"および"どんどん伸びていけ"から『ジャックと豆の木』だったりが浮かびますが、ともかく演算上ではないリアルな再会を希求するのもまたPASTELの自由です。

 

 ※ 5 ここの"君"は考察ガバポイントだと自覚していて、PASTEL視点から"僕"を指す際に"きみ"の表記になるとの前説と矛盾を起こしています。というかサビ以外の箇所で地の文にPASTEL視点を持ち込んだこと自体が先に提示した基本理解からの逸脱なので、PASTELのメモリに生きる"僕"も内側から"君"を支えて再びの逢瀬を待ち望んでいることの顕れだとの解釈も示しておきましょう。

 

 その果てにどうなったかと言えば、"降りそそごう 僕らは太陽"とイカロスもびっくりの高みへと到達していて、冒頭の"朝日が最後に 僕ら照らしたら"のラストシーンを"すべて塗り替えて"いくような着地点に、新たなプロローグを見てそのドラマチックさに熱いものが込み上げて来ました。"きみにあげよう/この世界ごと"*6のビッグスケールも蓋しSFで、人類史的には世界が滅びているのに当座の二人には無関係といったセカイ系の向きもまたエモさ倍増です。ここでcf.として本曲のシチュエーションを勝手に適用すると、その歌詞内容が一層の物語性を増す「なにもかも」を埋め込んでおきます。MVの世界観は奇妙ですが。笑

 

 

 "僕ら見たいだけ 叶えたいだけ/胸が痛んでも 君といたいだけ"*7に滲む、人間とアンドロイドが歌を通じて境界を超えていくというナラティブは、歌声合成を含むAI技術が加速度的に発展している現在と重なるところがあります。曲名の「Singer」を敢えて和訳しようとした時に、接尾辞-erが意味するところを〝~する人〟と取るか〝~するもの〟と取るか、今後更に迷える時代になっていくことでしょう。この辺りの興味と恐怖に関しては、インタビューでもお二人の口から語られています。SunoやUdioに代表される音楽生成AIの精度は勿論、Sora2の衝撃が止まらない直近では動画生成AI内の音声・音楽も完成度というか再現度が高くて驚きの連続です。権利問題に目を瞑ればの但し書き付で。

 

 ※ 6, 7 ※5を受けるとここの"きみ"もここの"君"も逸脱じゃないかと指摘されても仕方ありませんが、サビとそれ以外で視点を区別したのは飽くまで基本理解で、本質は漢字か平仮名かの差異に求められるとの応用理解を期待します。終盤は"僕ら"の名の下に"僕"も"君"も溶け合って、"きみ"を厳密には「視点が相互補完的」ないし「双方向に読める」とした先述に沿っていると解せば、これら注釈は無用の長物となるでしょう。従って念のために強調しておくと、作詞者に作劇上のミスがあると主張したいわけではありません。

 

 

メロディ(作曲:THE SPELLBOUND)

 

 本曲を含めて『夢ノ結唱』でスペルバが携わった楽曲に表れている旋律上の特徴として、ラップとまではいかないもののシンプルなメロディを早口で畳み掛ける小気味好いフロウのセクションが様式美と言わんばかりに存在しています。スペルバの音楽も聴く方なら把握している点だと思いますが、この特色はそのままスペルバのものと評しても差し支えないくらいの定番で(下掲楽曲はその一例)、英語詞にこだわって来たBBSから一転して日本語詞のフィールドで韻律を扱えるようになった解放感に根差しているというのが個人的な分析です。

 

 

 とはいえ『夢ノ結唱』のワークスに於いては歌唱をソフトウェアが担う点が当然ながら意識されており、先掲のインタビューでも「早口」と「ラップ的」なファクターに関しては頻繁に話題に上っています。詳細は直接お読み頂ければ幸いとして、人間が歌わないからこそ可能な曲作りの領域は確かにあるけれども、それを人間が生で歌うことによって得られる感動もまた素晴らしいといった、理想的なバランス感覚で以て歌声合成に向き合っているところに適従したいです。HALOの「手を叩け~」と共にセルフカバーへの意欲も示されているため、実現したら更にディープな音楽体験に圧倒されることでしょう。

 

 

 「Singer」の楽想は上述のラップじみたヴァースと対照的にメロディアスなコーラス(サビ)のギャップにカタルシスを覚えるタイプで、徐々に舌の回りが早くなっていく高速のラインに何とか追い付こうと傾聴せざるを得ないスピード感は人工歌唱ならではと言えるものの、その果てに表れるサビメロは非常に人間味溢れるエモーショナルな響きを有しています。"いつも歌っていた"~の鷹揚な音運びに広大無辺の可能性を垣間見るも、"だんだん壊れて"~の矢継ぎ早な進行に焦燥を察する展開に人間らしさの表出があるとの聴き解きです。

 

 

アレンジ(編曲:THE SPELLBOUND)

 

 

 オケの全体像は実に中野さんらしいと言いましょうか、後期のBBS~スペルバのサウンドに聴こえるようなグリッターな印象を受けます(上掲楽曲はその一例:同曲のリアレンジ版である「ここにぼくらがいること」も参照のこと)。〝きらきら輝く〟という意味ではほぼ同義として横文字をトゥインクリーに換言すれば、フューチャーベースのコンテクストも一部に引っ張って来れそうで(PASTELを使うからにはkawaiiもデフォで備わっていることですしね)、しかし骨子にはロックのマナーが窺えるために電子音楽のジャンルで語るのも的確および適格には思えず、強いてワンワードを宛がうならプログレッシブシンセポップ*8としたいです。

 

 ※ 8 広義では本曲もボカロ曲に分類出来ますし事実『初音ミクWiki』にもページはあるけれど(外部サイトリンク)、インタビューで述べられている通り「ボーカロイドの様式美や流儀で楽曲制作をしていない」点が、特にボカロ好きには新鮮な聴き味を供していることでしょう。

 

 別けてもサビから鳴り出すシーケンサーの煌きは覚醒的なスケープに満ちており、これを耳にするとえも言われぬ多幸感に浸れるのと同時に切なさから涙の堰が切られそうになります。この出音を必ずしもサビ専用にしていないのも技巧的で、2番ではヴァースの途中から[1:49~][2:10~]俄に表れて飽きさせません。更には2番サビが落ちメロゆえにそこで一度鳴り止むのはまぁ定石としても、並の感性ならば[2:49~]の位置から再開させそうなところでその場の緊張緩和はドラムスに委ねて見送り、焦らしてから[3:02~]で復帰するズラしには中野節を感じました。