週末の19時半頃。
古くなった母のズボン(パンツって感じぢゃない)を買い直そうとネットで
サイズ等を調べていた時のこと
携帯に見知らぬ番号からの着信が。
私は知らない番号は無視する派。
すると直ぐに母の携帯から着信あり。
「もしもし、○○さんの娘さんの番号でよろしいですか?●●市の救急隊の者です。お母様がご自宅近くで転倒され、救急要請がありました」
えぇーっ!!
かなり痛がっていると言う。
もしかして
大腿骨頚部骨折かっ!?
その後、かかりつけ病院へ打診も専門医が居ないとのことで断られ、他の救急病院へ運ばれた母。
私はパニクりつつも荷物をまとめて実家へ車を走らせ
道中、運転しながら病院からのアメニティやら入院に関する看護師さんからのお話に(スピーカーで)答えつつ。
2時間かかってまずは実家へ。
大切な内服薬や寒がりの母に靴下や前開き下着、羽織ものをとりあえず持って病院へ向かい
なんとか23時過ぎに到着。
母には会えず、荷物だけを看護師さんにお願いして再び実家に。
実家は玄関や居間の電気がついたまま。テーブルの上にもマグカップが置いてあったり。
ほんとにちょっとそこまで買い物に出た感満載で
高齢者の骨折は命取り。
もしかしたら、もう二度とここには戻って来られないかも…
腎機能も悪化して来ていて、このままゆっくりと下降して最期を迎えるものだと思っていたのに…
こんなことになるなんて。
翌日
執刀医からはやはり
大腿骨頚部骨折
との診断。
「早くオペしないと体力的に心配なのと、一番は腎機能が悪く貧血がひどいのでオペ中大量に出血して輸血対応はしても持たないかもしれません。」
透析の件も聞かれましたが、本人の意思でしない方針だと伝えると
「精一杯、力は尽くしますが万が一も考えられると思っていてください」
そんな…
その後、母と面会。
本当は手術前は面会謝絶。
でも母が怖かって落ち着かないからと
「娘さん、会って励まして来てあげてください!」と看護師さんが短時間の面会を許可してくださいました
母はかなり痛がっていて、歯がガチガチするくらい手術が怖い。
もう、このまま死んでも良いと思っていると。
「何、言ってんの!頑張って家に帰ろ。頑張って!待ってるよ!」と母の手を握り締めながら励ましていたら
「あんたばかりに迷惑かけてごめん
ね。いっぱい、いっぱいごめんね。
許してね。」
を繰り返し言うものだから、さっき聞いた執刀医の手術の際のリスクを思い出し、これが母と最期になるかもしれない…なんてことが頭をよぎって
思わず涙が
情けない
母に
「あんたが泣いてどうするの 笑
頑張って帰って来るよ」
母は孤児。
兄が4年前に膵臓癌で亡くなってから、血縁者はこの世に私1人きり。
私だって心細い。
でも、しっかりしなくちゃ!
実は母の手術前に外科の生死に関わる患者さんの緊急オペが入ったとかで
母の16時からの手術がなんと!
夜の22時からになったのです
1日禁飲食で辛かっただろうに…
心配で何度も手を合わせて無事を祈って、母も頑張りなんとか生還!!
アイーンしてるのか?
さぁ、これからリハビリ。
リハビリ病院への転院予定だけど、腎不全末期の母を受け入れてくれる所などあるのか…
病院のソーシャルワーカーさんとお話したので、あとは運次第かな。
コロナ、インフルの拡大で面会も予約制、週1回1人のみに変更されました。
母の認知症の進行も心配。。
携帯にメール、電話してもテーブルが遠くて取れない問題もあり
私自身の難病診察予約日もあるので、いったん自宅に戻って来ましたが、落ち着いてはいられない日々。
私も足が痺れて歩くのが辛いのよ
ただ今回のことを予測したかのように、前回の病院付き添いの時に一緒に楽しく食事出来たことがせめてもの慰めかな
※今回救急搬送された病院は
30年前に亡くなった父親がお世話になった病院で、母の乳がん手術もしていただいた縁のある総合病院です
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