年が明けましたね。2024年。すっかり落ちた抵抗感。 | 天天の不思議な日々

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遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

祝賀ムードのはずだったのに、元日早々、能登半島の大地震に、二日目は飛行機事故と、なんともショックなお正月になりました。;;

行方不明者の数が日に日に増えていることに、胸が痛みます。

 

被災地での一日も早い救助、救済と、一日も早く日常が戻りますことをお祈りします。

ご家族や友人、大事な人、動物をなくされた方々に、際限なく癒しと慰めの光が注がれますように。

救助、事態の収拾に従事する方々に、必要な導きとご加護がありますように。

 

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重苦しい新年の始まりですが、個人的には一つだけ、晴れた気分でスタートできるものがありました。

 

有難いことに(祝!)昨年末に私にお師匠様ができたのです。^^

私のメンターのお一人で、ミディアムでもある方にお願いしました。

なんと、日本の実家が同じ区であることも分かり、超ローカルな話題も通じてしまうと言う楽しさw

 

学校はズームの授業なので、他の生徒さんとの交流もできず、質問もしずらい雰囲気で、孤独に一人、手探りでやって行かなきゃならない状況だったので、この上ない祝福です。^^

既に、二回ほど長~い時間の相談&アドバイスをしていただきました。おかげで、数々の疑問が次々と解明されました。

 

疑問の中で大きなものの一つに、私にはスピリチュアルのよさが分からないというものがあったのですが、、、、

 

学校に行き始めて、それでも唯一、良さが分かったのは「人は死んで終わりじゃなくて、魂の世界に帰って生きている。だから大事な人を無くして、悲しみや苦しみのどん底にいる人たちが、彼らが霊界で元気に生きていることを知ることができるのは、彼らにとって福音である。」、、、これだけでした。

 

実際、学校に入ってから、身内を亡くされたことを契機に、スピ学校に来られる方が沢山いることを知りました。

 

まあ、良さが分からないといっても、スピが悪いものとも全く思っていないのだけど、例えば誰かが「スピリチュアルの勉強を始めた。」「スピ学校の授業を申し込んだ。」「(私のような)スピに連れてこられた。」と話すと、学校の先生や他の生徒さんのお顔が、パァーっと明るい表情になって、まるで「嗚呼、本当に良かったですね~」と、言わんばかりの反応をされるのが、びっくりでした。

 

私にしたら「えっ!そういうもんなの?」「そんな良いことっていう括りなの?」という、全く思ってもみなかった反応だったんです。

 

ちなみに、霊界にいる私の(生前、一緒に暮らした)祖母も、 相当、嬉しいらしくノリノリのイケイケで、ミディアムの方が同席されるチャンスがあるごとに現れています。

私の授業にもびったりくっついて、一緒に学んでいるらしい;

 

なので、私の師匠に、何故、祖母はそんなに喜んでいるのか?訊いてみたんです。そんなに嬉しいものかなぁ?と、怪訝に思っていたので、、、

 

師匠のお答えは、「亡くなって、霊界に帰った方たちも、死んで終わりではないことを、地上の人々に知らせたいと願っている。それを取り持つ人(ミディアムもそう)が増えるとを願っている。」というような事を仰いました。

霊界から、地上の私たちに教えたいことが一杯あるので、それを取り持つミディアムがたくさん必要だということでしょうね。。

 

なるほど~!!

今まで私は、「この世に」残された人のことしか考えていなかったんですが、亡くなった人々にとっても大きな願いだったんですね。これ、まったく頭になかったわ;

 

そしてさらに、このお答えを裏付けるような出来事もありました。

 

年末最後のデモンストレーションで、あるミディアムの方がリーディングして下さったのですが、その内容の一部が、やはり私はミディアムになるための学びをしていくということでした。

 

”亡くなってる、女の子とか、小さな子供達がいるのが視える。

(私が)亡くなった人たちのメーッセージを伝えていく、届けて行く。

ミディアムシップの才能があることを伝えている。”

 

 

私が将来、霊界通信、ヒーリング、アニマルコミュニケーター&なにやら他にも、、、やるということは3回目のカウンセリングのときに指導霊に言われ、「それが私には合う。」と言われていました。

 

この〝合う”というのは、授業の時に上級生の生徒さんのリーディングでも似たようなことを言われたのですが、謙遜でも何でもなく、自分で知ってる自分としては「まったく合わない!」と思っているんです。アウトコロガナイ

 

だから、指導霊も親ばかで、自分のサポートしてる人間を実際と見間違って、買い被り過ぎてるんじゃないの?と思ってます。

 

というのも、カウンセリングをしたことによって、その人の人生を変えてしまうことすらあるミディアムシップは、責任重大な仕事だと思うんですよね。

 

正確なリーディングはもちろんのこと、悲しみに打ちひしがれている人や、人生で絶望状態にある人などの気持ちを汲み取り、寄り添って、救いになるものを提供しなければならないのですから、凄ーーーーく重いです。相当、神経使うと思います;

 

責任のある仕事を請け負うとか、絶対嫌!で、いつも避けてきた私としては、ミディアムシップなんてやってもらうものだ。自分でやるもんじゃない。神経を使う仕事を自分がやるのも嫌だ!という感じでした。

(私のやってきた動物保護活動は、結構、神経すり減らす事をやっていました。モウ イヤ、ヤリタクナイ;)

 

 

そ、れ、が、

 

ねぇ、、、、亡くなった“子供たち”に出てこられたせいだろうか; イリョク 1000バイ

なんか、抵抗感がすっと落ちたように、「ああ、はい、やります。」って、気持ちにやっとなったんです。

 

それで、思い出したのだけど、一回目のカウンセリングのときに、私は「生き方を修行チックに捉えている。」と言わました。これは、私の母方の超ふるーーーいご先祖様でもある、山伏の指導霊の影響だそうで。この波動が物凄く高い指導霊は、実際に精神修行をした方(本当に修験者だった模様。)で、私の精神部分のサポートしているそう。

 

最初は、その言葉に「ええっ、常に、のほほんと生きたいこの私がぁ?」と、まったくピンと来なかったのだけど、そもそも20年以上やってきた、動物保護を始めた時の動機の一つが、「自分はお金持ちでもない、取柄もない、小市民であるけれど、幸せに生きている。自分だけ幸せに生きていると〝罰が当たる”。何か他者のためにもしながら、生きなきゃいけない。」と思ったからでした。

 

まったく、修行チックには生きてないけど、かといって自分一人だけのうのうと生きはしない。だって、そんなんでいたら“罰が当たる(怖)”からとの思いで、(あくまでも理由は自分のため^^;)やってきた動物保護の活動ではありました。(今、思うと、やりながら、ひょっとして自分軸というものが無くなっていたのか、それとも、動物保護活動=自分になっていたのか、良く分かりません。)

 

今も、このちょっと脅迫的思考はびっちり残っていて、それがスピ的には良いのか悪いのか、判断がつかないのですけど; 動物保護の活動は終わらされ(今は、家の13匹のケア+それ以外は、ほんのちょっぴりやっているだけ)、新しいステージに入って早3年、以前と違って他者のための何かをしている実感が無いという状況は、居心地が悪かった(不安になる)ので、次にする他者のためのお役目があったことを知れて、なんだかほっとした気持ちになりました。

 

そうそう、何のワークときに受け取ったのか全然覚えてないのだけど、最近のことで「光を分け与えよ。」というメッセージも受け取っている。コノコトダッタノネ

 

これで、数か月に渡って持ち続けていた、スピリチュアルに連れてこられたこと、霊能力を持つことへの根強い抵抗感がやっと払拭されて、すっきりしました。

 

元日に、動物保護の方の、私の古いメンターで最も尊敬する方の一人に、去年起こったこのスピの出来事を話してみたのですが、私と同じくスピとは縁のなかった彼女が、「人間、最後に行きつく所は、魂のレスキューだよ。」と、すんなり私の今後のお役目を支持してくれました。ありがたやありがたや^^ウレピー

 

あとは、邁進するのみです。

 

 

最後に、お正月らしい写真を。

 

辰年ということで、家にある龍のものを集めてみましたが、今見たらベトナムで買った手で刺しゅうされた緑の龍のランチョンマットの写真を撮っていなかったわ;

いずれにしろ、全部キッチン用品ばかり。「龍神様」を思ってではなく、「香港(中華圏もの)」が好きで、随分昔に買ったものばかり。

お皿はちょっとレアで、ご飯茶碗はキャセイパシフィックオーダーのファーストクラスで使うもの(これはあるルートから手に入れて貰った)。大皿は上海の高級ホテルのオーダーもの。いずれも、ナルミです。

 

元旦は、実家の断捨離のときに、「お正月に使えそう」と持ち帰ったものを組み合わせて、なんちゃっておせちを盛って食べました。帯は母が成人式に来て以来、タンスの肥やしになっていたもの。

本当は、うさぎ柄の重箱と椿柄の雑煮椀が買いたくて、しょっちゅうサイトに行っては眺めていたんだけど、迷いに迷ったすえやめました(涙)だって、50過ぎたらひたすら断捨離だもんねぇ。一年に一回しか使わないものを買うのは勿体ないし、環境にも悪いし、そもそも、キッチンにはこれ以上保管場所がない。

 

今年も、家の中の物もっと減らしてすっきりさせたいのだけど、できるかな;