「ちょうどよい量」について〜珈琲とケーキをいただきながら | 森由 壱 - tune bride -

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... という 、夢を視ました 。



ちょうどよい量というものがある。

ほどよい甘さのケーキと併せて
はじめて呑める苦い珈琲のように、

ぼくにとっては、ちびっとで十分な
苦味でも、

ひと月に一万キロも
走ってしまう人にとっては、

肴もなく呑む珈琲が
最高に美味しくて、

それはぼくの呑める量より
きっと多いのだろう。











ぼくがたくさんたくさん考えて飽きない
"アイやコイについて"は、

仕事でいっぱいのきみには
ほんのちっとで十分で、

少し酔い始めてスイッチが外れた
その束の間でしか
楽しめないものかもしれない。











ぼくはきみの没頭する"お仕事の世界"は
本当に仕方のない"仮の姿"として
割り切って生きている。

ぼくの体はそれをしていても、
ほとんどそれは
"ぼく"ではない、何かだ。










たとえばガウディが亡くなった今も
現存するサクラダファミリアが
ガウディそのものを物語るとしたら、


ぼくが死んでから
ぼくを物語れるものは、

恥ずかしながら
仕事場にはなく、
ぼくがひっそりと自由に書き散らした
この駄文の数々でしかないだろう。













そんなぼくですから、
ケーキのクリームを盾にして
ちびっとしか呑めない珈琲を相手に、

"真面目な"話をしようとすると
噎せてしまってお話にならない。













ぼくの駄文の世界へと
面白がって迷い込んでくれるような、
'浮世離れ"したひとでないと









お互いに
ちょうどよい"楽しい"は
訪れないだろう。











@集 池袋東口店