「映画の力」EPISODE:伊藤さとり「映画に魅せられ、映画に救われ、映画に育てられた」 | C2[シーツー]BLOG

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川本 朗(カワモト アキラ)▶名古屋発、シネマ・クロス・メディア
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「映画の力」EPISODE:
映画に魅せられ、映画に救われ、映画に育てられた

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 初めての映画館での洋画体験は、今は無き新宿ロマン劇場での『シンデレラ』でした。吹き替えなんて5歳の私には到底早く、字幕を必死に追いながら、実写のシンデレラのきらびやかな姿を捉える為に必死で、終映後に歩いた階段の光景が今でも脳裏に焼き付いています。素晴らしい映像に魅せられたのに全て理解することが出来ない自分に悔しくて、悔しくて。それから狂ったように漢字を勉強し、TVでのロードショーは毎週欠かさず見るようになり、淀川長治さんの前説に憧れたんです。
 

 「あんな風にワクワクさせる映画紹介の仕事があるんだ!」


 小学生になると、お小遣いで映画雑誌を買い、ひとりで映画館にも行けるようになり、洋画の主題歌を耳で覚えて歌えるようになっていました。まぁ、両親共に映画好きで、特に洋画を好み、子供部屋が無く、家族みんなで川の字で寝る家だったので、『ひまわり』『第三の男』『ドクトル・ジバゴ』『太陽がいっぱい』まで、幼くして観ることが出来ました。まぁ、厳しい父でも、自分の欲求には勝てず、『エマニュエル夫人』を観る時も、幼い私に「これが芸術だ」と言い切ったのだから、私の性教育までもがある意味、映画だったんですよね(笑)。

 「お小遣いはあげられない」と言われたから、有楽町スバル座でタダで映画が見られる特典付きという劇場真隣のカフェで高校時代はバイト。「大学に行かせられない、家族の為に働いて欲しい」と言われたから映画出版社に電話するも高卒は対象外と言われ、渋々、タイヤメーカーで働き出すと、試写会に応募しては、新作映画をいち早く観る喜びを知りました。気付けば、ひとりで外に出かけられるようになってから、私のひとり部屋は、暗がりの大きなスクリーンの前、「映画館」でした。だから、夢は諦めたくなかった。「映画を仕事にしたい」「映画の面白さを言葉で伝えたい」「淀川長治さんみたいに人をワクワクさせる映画紹介がしたい!」

 この思いに取り憑かれ、OLを辞め、働いて貯めたお金で家を飛び出し、喋る仕事のオーディションを受けたんですが、そこでたまたま前説付きの試写会のMCをし、その時、出会った映画配給会社の人が教えてくれた言葉が、私の人生を大きく動かしました。「番組さえ持っていたら映画を先に見せてあげられるし、映画の素材も試写会プレゼントも出してあげられるよ」。

 23歳の時、映画の番組を作りたいと売り込んだTV局での映画解説から今まで、ずーっと幸せなんです。5歳の時の映画館体験が、私に人生の道筋を教えてくれ、23歳の時から今までずっとずーっと、私に存在価値を感じさせてくれた映画。映画を観るだけではなく、映画館に行き、完成披露試写会やら初日舞台挨拶という大仕事に関わらせてくれた映画。そこで会う映画ファンという私の同士と一緒に、ワクワクしながら映画の完成を祝える喜び。映画製作陣が渾身の想いで生み出した映画を、華やかに世に送り出すお手伝いが出来る喜び。

 昔、あそこに座っていたな、とステージから席を見つけた時の密やかな喜び。それは、『シネマライズ』や『シネスイッチ銀座』で感じた、頑張った過去の自分へのエールみたいなものでした。そして無くなってしまった『有楽町スバル座』の閉館イベントは、もう育ての親への伝えきれないほどの感謝。映画に魅せられ、映画に救われ、映画に育てられた私には、「映画の力」という言葉が実はしっくり来ないんですよね。映画館が無かったら生きていたのかな? 映画館が無かったら何が生甲斐だったのかな? 映画館があったからグレなかった(笑)、映画館があったから希望が持てた。映画館があるから、今もずーっと「存在価値」を私は感じられ続けているんです。

 

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