世界は、どこへ向かうのか | バベルの図書館

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こんにちは、スマイル毛玉です。

前回の記事では、

「客観的領域」と「個人的領域」を繋ぐことで
この世界を、素晴らしいものへと変えていくのは
イノベーターという「個人」の仕事だ

という話をしました。
http://motsu10kg.com/archives/149


じつは、これから世界を変えていくのは
「社会」ではなくて「個人」の役割なのです。

だから、
社会が変わってくれるのを、じっと待つのではなくて
私たち個人が変えていかなければならない
という意味へと繋がっていくんですね。

社会が、自分たちのことを
何とかしてくれるだろうなんて思っていたら、
生き方が受け身になってしまいますが、

そうじゃなくて
自分こそが「世界」を変えていくんだ
って信じられることが、大事なんです。


そのためには
「個人」が、自分の殻を破って
どんどん積極的に、外の世界へ出て行くことが必要です。

今日の話は、その続きですが
その前に、私たちを取り巻く世界を復習しましょう。



私たちの世界は、わかりやすく捉えると
「意識・文化・自然」の三層構造であり

もっとも内側にある層が、「意識」の世界。
美や快楽を求めてやまない「人間の本性」に従って動く
「主観的領域」と呼ばれる世界。


その外側にあるのが、
社会的秩序を維持するため、人々が互いに尊重しあい
道徳や倫理に従って動こうとする
「社会的領域」とか、「文化的領域」と呼ばれる世界。


そして、最も外側にあるのが
数理や物理などの「自然の摂理」に従って動く
「客観的領域」とか、「物質的領域」と呼ばれる世界。

これら、3つの世界がありましたね。



しかし、人々は、長い歴史の中で
最も外側にある「客観的領域」が
「神の意思」に従って動く世界だと信じ込まされており
その原理を疑うことさえ、厳しく禁じられてきました。


宗教的世界観が、
最も外側にある世界、すなわち「客観的領域」を
「神の意思」というベールで包んだのは

人間の欲望が、自分たちに納得のいく「原理」を
外側の「世界」に対して、求めたからです。


何の脈絡もなく襲う不幸や災厄が、「神の気まぐれ」によるものならば、
我々が信心深さを示しさえすれば
きっと、神は機嫌を直してくれる。

そうやって、人間は
自分たちに納得のいく道理で、外側の世界を覆い尽くし
自らの目を塞いだのです。



近代以降、このベールは破られ、
私たちの住む「世界」は、「神の気まぐれ」などではなく
「自然の摂理」によって動くことが、万人に知られるようになりました。

どれほど深い祈りを捧げたところで
「自然の摂理」は、私たちが想像していた神のように
私たちに微笑みかけたりはしない。

物理や数理に、「神の気まぐれ」は存在しない。

こうして、近代以降、
「世界」に対する、私たちの認識は
大きく反転しました。


『物質文化における変化が先行し、非物質文化としての適応的文化は遅延する』
(W・F・オグバーン)

「世界」は、私たちの都合で動いたりしません。
私たちが、「世界」に適合するのです。


カール・マルクスも、「唯物論的歴史観」で
私たちの住む世界は、まず物質的な側面から規定され、
それを文化的な側面が後追いするという
発展観を示しています。

例えば、農業が主体の経済ならば
農業の知識を学ぶことが、社会的な優位性に繋がり、
農民が経済的に勃興します

そこから、工業主体の経済に移れば
今度は、工業の知識が優位性を持ち
工場労働者が裕福になります。

こうして、「物質的領域」の変化を
教育や政治など「文化的領域」が追いかけるようにして
人間の社会は発展していくというのです。


物質的な豊かさを追い求めて、複雑化する世界から
置いてきぼりにされないため
私たちは教育を必要とします。


金融や市場経済の重要性が増すにつれて、私たちは
ある程度の経済知識がなければ、生きられなくなったし

情報技術に疎い者は、技術革新の恩恵に与かることができず
デジタル・ディバイドと呼ばれる現象さえ生じています。


「物質的領域」の進化に適合できない者は
まるで、時代から取り残された孤児のように扱われて
疎外される状況が生じてくるのです。


W・F・オグバーンは、
物質文化からの遅延によって生じる問題を解決するには、次の2点が必要だと説いています。

① 社会を、技術的秩序に適合させる
② 技術的変革を、社会生活の諸関心に適合するよう方向付ける

つまり、
① 物質文化の発展速度に遅れないよう、大衆を教育すること
② 大衆の関心を引くよう、技術をわかりやすくアレンジすること
の2点が必要だと言っているのです。

これらは
前回、解説した「イノベーター」の役割とも、重なり合いますが

複雑化が加速する社会では、
「教育者」も、「イノベーター」と同様に
「客観的領域」と「個人的領域」の間を、自由に行き来できなければならないのです。


「イノベーター」の思考法は、
「現象追随的」であるのと同時に、「仮説検証的」です。

『実験には二つの結果がある。
もし仮説を結果が確認したなら、君は何かを計測したことになる。
もし仮説に結果が反していたなら、君は何かを発見したことになる。』
(エンリコ・フェルミ)


フェルミの言うように
自分たちの信じてきた通説や原理が崩されることに
落胆する必要は、まったくないのです。

なぜなら、私たちの世界は
自分たちに都合のよい答えを、自前で用意するのをやめた時から
飛躍的な進歩を遂げるようになったのだから。

常識や先入観を捨てて、
答えの用意されていない世界へ、積極的に出ようとすることこそ
私たちの進むべき道なのです。


では、今回はこの辺で。  また次回お会いしましょう。
ありがとうございました。


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