2023年4月に行われた多治見市長選挙において頒布されたビラについて「相手候補者の当選を妨害しようと虚偽の内容」を書いたものであったとして多治見市長らが告訴・告発されていた事件は、7月19日付で不起訴処分となりました。
本件について、不起訴処分の理由を検察は明らかにしていませんが、法律的な観点から解説しておこうと思います。
なお、検察が不起訴の際に理由を述べないのは当たり前で、あえて理由を示すとすれば「有罪になる見込みが極めて薄いから」に過ぎません。有罪か無罪かの判断は裁判所の管轄であり、検察が判断理由を述べるのは筋違いということもあり、通常は理由を示すことはありません。
また、解説にあたっては私自身が日頃から実務に携わっている公職選挙法に関する事に留め、名誉棄損等の他の法律については言及は控えますので悪しからず。
<論点の整理>
まず、事実の確認として市長選におけるビラについて論点を整理します。世間で「違法なのではないか?」と思われている点は概ね以下の通りと思います。
①「ビラそのもの」が違法(いわゆる怪文書の類)ではないか?
②「ビラの内容」に違法性があったのではないか?
③「ビラの形式」に違法性があったのではないか?
このうち、主に①と②において違法性があったと思っている方が少なく無いように思います。特に、「例のビラは怪文書であって、あんなものを選挙で勝手に配ったら違法に決まっている!」といった声を一番耳にしますが、まず第一に例のビラは公職選挙法に定められた「合法のビラ」です。
そのため、実を言うと告訴状においても①については言及されていません。勘違いして発信している方も中にはいますが、基本的には例のビラが怪文書の類であると世間に思わせるための印象操作に過ぎないと言って差し支えないと考えます。
<そもそもビラ自体は合法>
ビラの法的な位置づけについて、少しだけ詳しく解説します。
市長選の場合、選挙管理委員会から確認を受けた政治団体(いわゆる確認団体)は選挙期間中も「政治活動」を行うことが出来ます(公選法201条の9)。今回テーマとなっているビラは同条1項の6で認められている法定ビラで、選挙管理委員会に届出をすれば2種類まで頒布が可能で、かつ枚数制限はありません。また、当然このビラは選管に届け出がなされています。
ですから、例のビラが「怪文書であって違法である!」という主張は誤りであることが分かると思います。疑問に思う方は公選法201条の9を読んでみてください。
<内容の違法性について>
次に、ビラの内容について解説します。
報道等によると、ビラの内容について以下の点が違法であると告訴されたものと思われます(過不足あればすみません)。
①嘘の内容が書かれていた疑い(虚偽事項の公表罪:公選法235条の2違反)
②氏名が類推される事項が記載されていた疑い(公選法201条の9の2違反)
上記規定について、なぜ不起訴処分が相当であると判断されたと考えられるか、順に解説します。
まず、①の虚偽事項の公表罪とは、公選法では以下のように規定されています。
[公選法235条の2]
当選を得させない目的をもつて公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者に関し虚偽の事項を公にし、又は事実をゆがめて公にした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。
これも報道等によれば、ビラに記載された「旧統一教会との関り」についての内容が、「虚偽の事項」であった、もしくは「事実をゆがめて」公にされたと告訴・告発側は主張しているようですが、ビラに記載のあった通り、「日韓トンネルの視察」に行っていたり、旧統一教会が主催するセミナーに参加していたことは事実であり、かつそれらを政務活動費から支出していたことも新聞報道等で明らかにされています。
ビラの内容を確認する限り、事実無根の主張は特になく、新聞報道を紹介するに留めているため、少なくとも「虚偽の事項」については記載は認めることは不可能です。
次に、「事実をゆがめて」あったかどうかですが、こちらもビラの内容を確認する限りでは、そういった記載はありません。というか、法律を熟知した人が法に全く触れないように慎重に作文されている印象を受けました。
記載事項としては、単に報道ベースの事実や一般論を載せているだけであり、「旧統一教会と深い関係のあった人」という表現も、捉え方のレベルの話しであり、政務活動費を使って日韓トンネルまで視察に行っていて、「深い関係」ではないと主張するほうが無理があると普通は思います。
次に②の氏名類推事項の記載問題です。
ここで言う氏名類推事項とは、一般的には候補者の氏名等が直接に含まれている場合に該当するものと解されていますが、本件のビラについては、あきらかに「旧統一教会」と関りが深い人物が「誰」であるかを想起することが出来ます。ただし、ほぼ同様の事件が西東京市でありましたが検察は2023年12月6日付で不起訴処分としています。恐らくですが、先例に鑑みて同様の処分としたものと考えられます。
→不起訴処分に先立って、裁判において訴えが棄却されているのですが、その際の判例を確認できていないので、どなたかお持ちでしたら教えて頂ければ幸いです。
<ビラの形式違反について>
最後に、ビラの形式違反についてです。
実を言うと、この点はどういう扱いになるのか気になっていました。結果的には不起訴とはなりましたが、形式的な違反は存在しています。
具体的に言うと、確認団体がビラを頒布するためには、選管へ届出をするとともに、法定事項をビラに記載する必要があります(公選法201条11の5)。本来ならばビラには「第1号」などと記号を記載しなければいけなかったのですが、記載がありませんでした。
以上のように、形式的な違反があったのは事実ですが、検察としては罪には問えないと判断したものと思われます。これは実務上、ポスターなどで同様の法定記載事項洩れがある状態で掲示板に貼ってしまうことが良くあるからです。実際、先の県議選において自民党公認候補の方が記載漏れのポスターを掲示してしまい、その後に張り替えています。
こうした軽微な形式違反(ケアレスミス)については、違法性が皆無とは言えなくても嫌疑不十分として起訴を見送るという処置をすることになります。これは、公選法の目的であり、第1条にも「この法律は、日本国憲法の精神に則り」と記載のある様に、選挙が公正かつ適正に実施されると共に、国民の政治的自由を担保するという憲法の精神とのバランスによるものと思われます。
※選挙では、法的に二律背反に陥る自体が良くあります。一番有名なのが、「表現の自由」と「放送法」の相克ですね。
<まとめ>
長くなりましたが、以上のように多治見市長選挙における法定ビラに対する告訴・告発が検察によって不起訴になったのには、客観的な理由があるという事です。
ビラの内容そのものが、実質的に相手の人格攻撃ともとれる内容であったため、対立候補の支援者を中心に不快感を与えた可能性は大いにありますが、そのことと事件の違法性とは別問題です。日本は法治国家であり、情緒ではなく論理によって社会秩序が維持されています。江戸時代ならいざ知らず、現代社会においては「気に入らないから違法である」といった感情論はまかり通りません。
一方で、選挙とは、候補者だけではなく、有権者自身も、その資質を問われることになります。
選挙運動とは、「法的に正しいのか」だけではなく、倫理的にも品格を求められるものであると私は信じます。私自身も、先の選挙中に「他候補の街宣車が事務所まで来て私自身や家族、選対メンバーの誹謗中傷をしていく」という悲しい経験をしました。
そうした経験を踏まえた上で、だからこそ私と私の陣営は最後まで他人を貶めるのではなく、自分自身の信念を訴え続けました。このことが、2期連続のトップ当選に直結していると信じています。願わくば、このことを奇貨として、より良い多治見の民主主義が根付けばと思います。