”握手奴隷”という言葉について考察してみる... | 超絶メタアナリシス

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昨日、すでに卒業を表明している欅坂46の今泉佑唯の個握振り替えのスケジュールが発表されましたね。

 

私は今泉推しではありませんが、いよいよ漢字欅最初の卒業生の発生に向けてカウントダウンという感じがし、さまざまな想いが頭の中をよぎります...

 

 

それにしても、最後のおつとめ、ご苦労様です。

もちろん、ずーみん本人だけでなく、ファンの方々についても!

握手会が大変なのは、メンバーだけではありませんから。

参加するファンの方もそれこそ大変なんですよ。

ファンによっては、飛行機を使ってはるばると握手会に来る方もいらっしゃる...

さらにその上、全国握手会については、昨日の記事にも書いたように、待っている間に猛暑に襲われることもあれば、以下の写真のように雪の中を待つことになる場合もある...



写真は、私も行った2017年1月15日の京都パルスプラザでの乃木坂の握手会の様子です。

夜行バスと電車を乗り継いで行ったんですよねぇ...

 



しかも、そうやって遠くから駆けつけても、メンバーが急きょお休みになって握手できないということも時にはある...

つまり、ファンにとって握手会とは、
①多大の時間をかけている
②多大のお金もかけている(特に遠征時の交通費)
③メンバー急きょ欠席で握手できないリスクがある
④全国握手会の場合、屋外で列に並んでいる際の体力消耗
の4つのリスクをかかえた上で行なう大変な重労働であり、高額消費でもあるんです。

屋外で列に並んでいる際には、「空調の効いた屋内にいるメンバーは、さぞや楽だろうなぁ...」、なんて思うこともしばしばです。

メンバーも確かに大変ですが、考えようによっては、交通費はすべて運営持ちで、お金は仕事なのだから逆にもらえるし、列に並ばなくて良いし、空調の効いた部屋にいて、ときどき休憩を入れることもできますから、ファンのなかで最大の苦労をした人と比べるなら、全然楽かもしれませんよ?...

よって、メンバーのことを、もしも、”奴隷”と呼ぶのなら、ファンなんてそれ以下の、”虫けら”とでも呼ばざるを得ない...

たとえば、往復10万円超の交通費をかけて駆けつけても、急な運営からのたったひとこと(=今日は〇〇はお休みさせていただきます)で、その日についてはすべてがパーにされるという仕打ちを受けたりするわけだから...

 

でも、どんな謙虚な人だとしても、精神が正常ならば、自分で自分のことを、”虫けら”だなんて卑下する人はさすがにいないはずですよね?...

だから、もしいたとしたら、心の病いをかかえている病人に違いないです。

よって、今日の記事のタイトルに書いた、”握手奴隷”という言葉に関して私の出す結論は、この言葉を使い始めた人は、おそらくは次の2つのうちのどちらかだ、です。

可能性その1.精神に異常をきたした人
可能性その2.在宅ヲタク、のうちの心ない人

この、1 or 2 でしょう。

説明すると、1については、先に述べたように、現場に行くファンにとっては、メンバーだけが大変なんじゃないんだということをからだで実感してわかっていますから、まともな神経をしているなら、”握手奴隷”なんて言葉を使うわけがないだろう、という意味です。

 

よって、精神がまともな人で、それでも”握手奴隷”という言葉を使うのであれば、きっと、握手会に参加する苦労を経験したことのない在宅ヲタクに違いない!、これが2の意味です。

実際、私は数限りなく握手会に参加してきましたが、現場では、ただの一度も、”握手奴隷”という言葉を耳にしたことはありません。

 

むろん、わたし自身、一度も使ったことはありません。

 

つまり、”握手奴隷”という言葉は、ヲタク用語ではないと考えます。

ヲタクから発生した言葉ではあるが、ヲタク用語とは言えない、です...

 

上に示した、精神に異常をきたした人か、もしくは、在宅ヲタクのうちの心ない人、のいずれかが使いはじめ、そして、現在使っているのも、この2種類の人に限られる言葉だ、と考えます...

 

つまり、ヲタク内の特殊方言、かつ、卑語、みたいなものかな。

 

なので、新規の人、それから、ファンになって日の浅い人は、ヲタク用語だと勘違いして使うことのないようにした方がいいです。

 

 

もし、握手会に参加することの大変さを表現するなら、こうかな?


握手会にでるメンバーのことは、「握手ボランティア」

握手会に参加するファンについては、「握手ボランティアへの協力者」ないし「握手ボランティアへの支援者」と呼ぶのが正解だと思います。

握手会とは、ボランティア精神に基づく相互交流の場であり、握手とは、お互いの自己犠牲の精神が交わり合う崇高な行為である、と言えましょう...

 

これは、何も握手会賛美の言葉というわけではありません...

 

自分自身とメンバーが握手会に対してINPUTするものの評価という観点での”価値づけ”というような意味かな。





 

 

 

 

 

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