水曜日の読売新聞に、東日本大震災で被災した地域へのボランティア活動にまつわるAKB渡辺麻友のインタビュー記事が掲載されていた。
そして、今日の朝日新聞の夕刊では、毎週連載されている「AKB的人生論」に彼女は出るらしい。
それは、さておき...
今日は、東日本大震災とAKBのボランティア活動に関連して語ることにしたい。
被災地域に対するAKBのボランティア活動は素晴らしいことだ。
たとえ、どのメンバーが行くことであっても、どういうパフォーマンスであっても、である。
なぜなら、AKBのボランティア活動自体は、無償だということだからだ。
”無償の愛”というわけである。
スタッフやメンバーはどうなんだろう?...
もし無償で、かつ交通費も自腹だったら、すごいだろうなぁ...
さて、渡辺麻友の記事を見てて、ひとつ気になったことがあった...
「大事な事は被災者に笑顔を届けること、これからも行ってあげること」とあった先に、「皆さんに笑顔になってもらいたい」、「皆さんの元気な姿をみて、私たちもうれしくなった」とある...
・・・
ボランティア活動というものは、見返りを求めない”無償の愛”だから、相手から何かを期待してはいけない...
ただ単に、相手に”与える”ことだけを考えるべきなのである...
元気さえも、もらおうとしてはいけない...
笑顔を求めてもいけない...
たとえ相手に対し求めるつもりがまったく無くても、求める気持ちや感性でさえ持つべきでは無いし、それらが心の中に無い場合でも、ついうっかり口に出して語ったりしてもいけない。
その発言が記事に書かれて、新聞記事を読んだ被災地の人に気をつかわせてしまってはいけないからだ。
厳しいようだが...
なぜなら、気を使わせることは、相手に負担をかける恐れがあるからである...
「来てくれたAKBの人には、元気なポーズをみせなくちゃいけないのかしら」、などと、被災地の人に思わせない方がよいのだ。
肉体的・精神的に疲労が蓄積されている方も、中にはいらっしゃるかもしれないのである。
学校や職場で、元気が無いときに、わざと元気なふりをしなければならないときのつらさ...
誰もが経験していて、心当たりがあるだろう?...
同じく、気分が落ち込んでいるときに、無理して笑顔を作らなければならないときのつらさ...
一度は、感じたことがあるだろう?...
☆☆
さて、渡辺麻友の記事をもう一度掲げると、
「大事な事は被災者に笑顔を届けること、これからも行ってあげること」とあったが、この、”実際に行動に移す”ということが、一番肝心なことである。
我々、一般人は、被災した人に対していかに共感しても、実際に、現地へ行ってボランティア活動をすることなど、ほとんど無いからである。
だから、”行動を起こす”ということだけで、とっても意義があることなのだ。
東日本大震災のニュースを見て、我々は、日本人同士の「同胞愛」から、その悲惨さに「共感」し、なんとかしてあげたいと思ったはずである。
しかし、実際に行動に移した人は、ほとんどいないだろう...
会社をやめて、あるいは、会社から長期休暇をもらって、実際に現地へボランティア活動に行きましたか?
あるいは、学校を休学し、あるいは学校をやめてまで、実際に現地へボランティア活動に行きましたか?
普通、いないでしょう?
そういう人は...
そう...
”愛”は共感を呼ぶが、人を行動にまで駆り立てないものなのだ。
”愛”を説いて「共感」をいくら呼んでも、その先のアクション(行動)につながることなど、ほとんど無い...
悲しいかな、それがリアルなことに、現実というものなのだ。
それに、そもそも、”愛”を説くこと自体が、非常に困難な事である。
かのイエス・キリストでさえ、”愛”を説くことに一度は失敗した...
多くの人々がみんな、”愛”を説くイエスに反対・反論したのだ...
それどころか、悪者に仕立てあげられて、十字架につけられ、処刑されたのである...
イエス・キリストの一番弟子であるペテロでさえも、イエスが官憲に捕まり、引き立てられていったとき、「そんな人は知らない」と言って、冷たく見捨てた、と聖書に記載がある。
このように、”愛”を説くことなど、土台、元から無理に近いことなのだ。
イエス・キリストでさえ出来なかったことが、普通の人間に出来るわけが無いだろう??!
それに、上に挙げた東日本大震災の例をよく考えればわかるように、
”愛”などでは人は動かない、というのが、この世の現実(リアル)なのである。
では、人を行動に駆り立てるものは、何だろうか...
・・・
それは、”正義”である。
明日は、この記事の続きとして、”愛”と”正義”について語ることにしよう...
続