皆様こんにちは。 
GWですが、外に出られないので、家での時間を過ごしております。元々家に引きこもるのはそんなに嫌いではないので、まあそれなりに楽しんで過ごしています。 

さて、今回はタイトルの通り、自分の吃音を説明すること、について書きたいと思います。先日5/2(土)に行われた、うぃーすた関西のzoom例会でいろいろ考えたので、それをこの場で整理させていただきます。


 1 はじめてのカミングアウト 

僕が最初に自分の吃音を他者に説明したのは、高校卒業後、予備校に入ってすぐぐらいの時期でした。この時はmixiの日記に、自分が吃音というものに悩んでいること、他者と関わることに恐怖心があること、でも他者と関わることの楽しさも知っている、などのことを書きました。 

今回の記事を書くにあたって、実は昔書いたmixiの日記を読み直したんですが、そこにはこんなことが書かれていました。 

「本当はもっと早く言ったらよかったかもしれんけどそうしたら皆との間に壁を作ってしまう 変な気遣いとか掛けさせたくなかったけど…やっぱ言った方が楽かなと思って書きました」

 当時18歳の僕ですが、今以上に吃音のことには悩んでいました。もうこの時の感覚はあんまり覚えていないのですが、なんとなく、いろんな人に隠し事をしている、そんな気持ちで日々を過ごしていたように思います。 

ここで大事なのは最後の一文。「言った方が楽かなと思って」の部分ですね。別に配慮とかは求めていなかったんですよ。ただ自分が楽になりたかった。ずっと自分の内側に閉じ込めていたことを外に吐き出して、モヤモヤから解放されたかったのだと思います。

 ただ、実はもう一つ意図がありました。当時僕は、予備校のクラス内に友達がいないことを悩んでいました。そこで、こういう形で自分を表現して、友達を作るきっかけにしたかった、という思いがありました。悪い言い方をすれば、「同情を誘う」といいますか。結果的にその効果はほとんどありませんでした。でも、これは当時の自分ができた最大限の悪あがきだったのかなとも、今では思います。 

このカミングアウトによって特に人間関係が大きく変わった、ということはありませんでした。ただ、ここで初めてカミングアウトしたことは自分にとっては転機だったと思います。そこから、知ってもらうことによって自分がどれだけ安心できるか、ということを知れたからです。


 2 なぜカミングアウトをするのか 

最初のカミングアウトをきっかけに、以降、大事なときには吃音のことを人に話すようになりました。大学での自己紹介のとき、就活のとき等々ですね。また、大学院に入ってから、言友会やうぃーすたなどの自助グループに通うようになり、もはや自分にとって吃音をオープンにしているのが当たり前の生活になってきました。今や自分の家族や友人、職場の人など、自分の吃音を知らない人はほとんどいない状況です。
 (これ、今書いてて思ったのですが、端から見たら結構凄い状況ですね。今まで意識していなかったけど、今繋がりがある人はほぼ全員僕の吃音を知っています。不思議!笑) 

ただ、時間とともに、自分の中でカミングアウトする意味というものがちょっとずつ変化(というより増えてきた)してきたように思います。僕が吃音のことを他者に説明する意味は次の5つです。 

① 言って楽になる
② 自分が普段取っている不可解な行動を理解してもらう 
③ 吃音を話題にしやすくする 
④ 吃音者の存在を知らしめる 
⑤ あわよくば配慮してもらう

順番に解説します。 

 ① 言って楽になる

 前述の通り、隠し事をしているような罪悪感から解放されることです。なんというか、言って初めて相手と同じ土俵に立てるのではないか、と個人的には思っています。(もちろん、相手にもよりますが。) 

 ② 自分が普段取っている不可解な行動を理解してもらう 

吃音があると、たまに端から見たら凄く不可解な行動を取ることがあるんですよね。自分の名前を言うのに考え込む素振りを見せたり、電話一本で済むことをわざわざ時間をかけてメールや対面で伝えたりとか。これらの行動は、吃音があるがゆえに取っている行動だと、理解(察知)してもらいたい、ということです。要するに、「自分なりに理由があってやっていることだから、変に思わないでいただけたらありがたい」といったニュアンスです。別に症状を100%理解してもらわなくても構わないし、多分無理だと思います。ただ、自分に吃音があることによって、人とはちょっと違う行動や思考をすることがある、ということは理解してもらえたら嬉しいですね。 

 ③ 吃音を話題にしやすくする

 僕は吃音のことについて、いろんな人と対話したいと思っています。相手が「あれ、この人なんだか話し方が変だな。もしかしたら吃音?」と確信をいまいち持てない状況だと、相手から吃音に触れるのは基本的には凄く難しいと思います。(相手が「空気が読める」人ならなおさら。)自分から言うことで、「そこは触れてもいいんだな」と思ってもらえたら理想的です。

(※もちろん、カミングアウトすることで、かえって気まずくなることもあります。でも、その気まずさが生じてしまうこと自体、相手との関係性を測れるきっかけにはなるのかなと思います。) 

 ④ 吃音者の存在を知らしめる 

まあこれは後付けなんですけど、自分みたいな吃音者が世の中に一定数いる、という事実を知ってもらいたいな、という意思が僕にはありますので、自分が話すことでそれに貢献できたらなと思っています。まずは身近な人間関係から、社会に働きかけていく、ということです。

⑤ あわよくば配慮してもらう 

これについては多くのことは期待していませんが、たまに電話とか自分の代わりにやってもらったりしたいなと思うので、それがちょっと頼みやすくなるかな、ぐらいの気持ちです。5/2のうぃーすた関西の例会で、「配慮してほしいことはその都度言います」と語っていた人がいたのですが、まさに「その都度」困りごとも変わるので、「ちょっと力を借りることもあるかもしれません…」ぐらいの気持ちです。「甘えるな」と言う人もいるでしょうが、力を借りるのもまた勇気がいることなのです。 


 3 説明のしかた 

僕が吃音をカミングアウトするときは、大抵、「吃音という言葉が出にくい障害があります」という説明をしています。やっぱり吃音が生きていく上で「障害となっているもの」として考えて欲しいな、という思いがあるからです。あと、手帳を持っていないけど障害がある人もこの世に一定数いてる、という事実を知ってもらいたいという思いもあります。 
でも、タブーには思わないで欲しい。そう思われたらカミングアウトした意味がなくなっちゃいますからね。なんか、これをきっかけに障害を身近に感じてもらえたらな、と思っています。 


 4 最後に 

ここまでカミングアウトのことをさんざん書いてきましたが、別に僕はすべての吃音者にカミングアウトを勧めるつもりはありません。やっぱりエネルギーが要る行為だと思いますので。ただ、いろんな思惑をもってカミングアウトをする人間がここにいる、ということを知ってもらえたらなと思って書きました。この記事を読んでいろいろ考えるきっかけの一つとしてもらえたら幸いです。 

 ありがとうございました。