Motohiko Sato Official Blog

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スペシャリストからゼネラリストへ、ゼネラリストからインテグリストへ

楽観論ではなく可能性と原理的な観点から。
 
今回の新型コロナと東日本大震災との違いは、震災は人々の資本が破壊されますがコロナはそうではないです。
逆に、テレワーク・リモートワークが普及するので、リミッターが外れ潜在性が発揮される可能性があります。
 
会社で仕事をすると帰宅の分のエネルギーを確保すべく無意識がリミッターをかけ、能力が発揮しにくくなります。
また、満員電車に乗りペリパーソナルスペースに侵入されるとアドレナリンやコルチゾールが増えるので、仕事をする前に疲れてしまい、能力が発揮されません。
 
スポーツでいうとホームとアウェイですね。アウェイよりホームで試合をした方が強いです。
帰宅のことを気にせず、温存されたエネルギーの全て仕事に打ち込めるのです。
そこで、各自がIT化し、創造性・潜在性を最大限に発揮して新事業開発・業態転換ができれば、産業構造の転換が起こり、今よりもさらに高度な社会を形成できると考えられます。こういう時だからこそ、ワークイノベーションが起こるのだと思います。ポイントはどれだけ新しい産業・仕事を生み出すことができるか、労働力がそこに移行するかです。
 
慎重論としては、不況というか世界同時恐慌が来る可能性があります。悲観論ではなく慎重論です。
楽観論も慎重論も持って、どっちに転んでもいい状態に準備すればいいわけです。
ゆるやかに変化した方が楽なのですが、宇宙が大変化を決めたんだなと思って、潜在性・創造性を発揮していきましょう。
 
ちなみに陰謀論は興味がないので詳しくないですが、フリーメイソンやイルミナティやロスなんとかやロックなんとかが云々ですが(ぶっちゃけどれでもいいw)、それらを操っている大元が宇宙です\(^o^)/
 
宇宙強制働き方改革です⭐︎
 
 
 

世間はコロナウイルスについて一色で大変ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 

今までマスクってぜんぜんつけなかったのですが、さすがにつけることにしました。

自分を守るため、自分の飛沫を抑えるためです。

 

で、マスクするのが心地よくなるための方法、

 

『アロマスク』

 

の紹介です⭐︎

 

アロマオイル+マスク でアロマスクです!

まあ、マスクにアロマを垂らすだけですが、希釈してもいいですね。

オススメはユーカリ・ラディアタです⭐︎

 

アロマオイルのうち、AEAJのHPによると「ユーカリ・ラディアタ」がよいとされています。

参考『植物精油の直接接触および芳香暴露の抗インフルエンザウイルス作用に関する研究』

 

アロマスクで心地よい生活を!

 

てことで、また。

私が個人的に行っているコロナ対策のエクササイズです。

呼吸に合わせてゆっくりと動かして身体を温め、身体を強くするためのエクササイズです。

家でパソコン作業とかして動かない時間が多いと、いつの間にか身体が冷えるので、このエクササイズで私は身体を温めます。

体温と免疫力は関係しますので、体温を下げないように気をつけてください。

ご高齢の方でもできるエクササイズです。

皆様の健康と幸せをお祈り申し上げます。

 

 

最近、コロナで世間はものものしいですね。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

てことで、私の個人的なコロナ対策のご紹介です⭐︎

 

アロマ+呼吸法。アロマ呼吸法です。

アロマオイルのうち、AEAJのHPによると「ユーカリ・ラディアタ」がよいとされています。

参考『植物精油の直接接触および芳香暴露の抗インフルエンザウイルス作用に関する研究』

https://www.aromakankyo.or.jp/basics/literature/info/vol9.php

 

喉を乾燥させないためにアロマディフューザーを使用しつつ呼吸法で潤いを与えます。

部屋の空気の浄化にもなります。

そして、息を止めて肺を浄化。息を長く吐いて古い空気を出せるように。

 

↓具体的なやり方はこちら

 

 

私が主催するMBBS初のシニア指導用講座です。

シニアだけでなく老若男女誰もが簡単にできてメリットがあるボディワークを指導できるようになる講座です。

 

今年はまず、

「1億人のためのボディワーク」

を目指して活動していこうと思います。

 

そして、

「一億人のためのライフイノベーション」

を今後、目指していこうと思います。

 

地域貢献指導士は、これから到来するであろう、センテナリアン社会(100歳社会)に向けて、

 

「100歳まで使えるセンテナリアンボディ」

 

を目指して地域のために活動します。

 

詳細はこちらから。

 

https://personaling.jimdo.com/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB-%E9%A4%8A%E6%88%90%E8%AC%9B%E5%BA%A7/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E8%B2%A2%E7%8C%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E5%A3%AB%E9%A4%8A%E6%88%90%E8%AC%9B%E5%BA%A7/

 

前回に引き続き、サイコパス性についてですが、サイコパスの特徴は背外則前頭前皮質が賦活化している冷たい共感です。論理的に他人の心は読めるが、腹内側前頭前皮質の情動的な熱い共感はしないというものです。

ドラゴンボールには「気」という概念があり、これを読んで相手の力量を図りますが、この気を読むのは熱い共感システムによるものではないかと思います。この熱い共感システムの持ち主をここではエンパシー、エンパスと呼ぼうと思います。サイコパシー、サイコパスの対照的概念がエンパシー、エンパスです。悟空やクリリンなどは相手の気が読めるのでエンパスになります。それに対し、初期のベジータやフリーザは相手の気が読めないのでサイコパスになります。そのかわりスカウターという相手の戦闘力を定性的に読む機器を持っています。そしてベジータは後に気を読めるようになったので、サイコパス性が改善されたというようにここではみます。

定性的とは、その対象の評価を戦闘力のように数量化するといいうものです。その反対が定性的です。気を読むとは定性的評価となります。これからの時代、数値化されない暗黙知の部分、定性的評価が重要になるんじゃないかなと私は思っています。

ドラゴンボールの人造人間は気が読めない設定になっていますので、18号や17号もサイコパスと分類できると思います。まあ、八ちゃんとか16号とか優しい人造人間も登場しますが、もともと人間だった要素もあるかもしれませんが、気が読めないということだったら、これもサイコパスに含もうとここでは考えています。人造人間はプログラミング次第なので、優しいサイコパスもありなのではないかと思ってます。

17号18号は元々、残忍な性格でしたが、後はクリリンと結婚して悟空たちの仲間になっています。ここでは恋愛・愛情グルーミングによってサイコパス性が改善されたとみます。

作中では人造人間の緊急停止コントローラーが作られ、それをクリリンがスイッチを押そうとするシーンがありますが、18号に恋心を抱いたクリリンはスイッチを押さず踏み潰します。そしてクリリンはドラゴンボールで18号の体内から爆弾を取り除きます。

敵である18号を停止させ破壊し、さらにセルに吸収させないことが論理的に考えて最大のリスクヘッジになるように思いますが、このクリリンの行動は非論理的です。この非論理的な情動行動、愛情行動が18号のサイコパス性を変化させたと思います。そしてもしかしたら未来をも変えたのかもしれません。論理は未来を確定的に見ますが、非論理は未来に不確定性を与えるのかもしれません。

と言っても、そこから仲間になった17号・18号が気を読めるようになったわけではなく、そして18号は結婚後も、クリリンの気持ちがあまり読めてないようにも思えますので、サイコパスのままかもしれません。しかし、これもサイコパス性を改善する一つの形なのかなと思います。

 

しかし、18号は結婚後、クリリンへの愛情を明らかに示していますので、愛情はあると思います。私はサイコパスとエンパスが両立することも可能だと思っていますが、それはまたどこかでお話ししたいと思います。


今後、人類はAI社会になっていくので、人造人間との共生は何かそこにヒントもあるかもしれません(笑)。人間がAIに感情を抱いた時に、AIは人間の心をA Iなりに解釈し、変化することもあるのかなと思います。

多世界解釈では未来は分岐するとのことですが、未来が論理的にみて良い方向にいかない場合、非論理的に、定性的に考え、行動することが未来を分岐させるのかもしれません。その一つが人の持つ愛情です。幸福を数値化した幸福度、という指標はありますが、幸福も愛情もその本質的な部分は数値化できないと思います。そうした数値化できないものを大切にするのが、より良い未来を開くのではないかなと思います。


 

今日はドラゴンボールの中に出てくるサイコパス性についてお話したいと思います。
ドラゴンボールにでてくるピッコロやベジータは最初は残忍なサイコパスのような性格だったのですが、だんだんとそれが変化をしていきます。そこにサイコパスの改善のヒントがあるかもしれませんので、ドラゴンボールを通じてみていきたいと思います。

サイコパスというのは、反社会性パーソナル障害のことを言います。
ここでは、冷淡で良心をもたず無慈悲であるという世間のサイコパスのイメージで捉えておいてもらえればと思います。他者に共感はしないのですが、相手の心を読むことは上手く、ものごとを論理的に読み解くのもサイコパスであり、これらをサイコパス性とします。

勝ち組サイコパスと言われる経営者や医者などもサイコパス性が高く、例えば医者が執刀する時に共感していたら困りますし、経営者も時には人を切れないと困りますので、サイコパス性は必要なものであると思います。

サイコパス性の賦活化する脳の部位としては、背外則前頭前皮質(DLPFC)ではないかと思います。この部位は扁桃体の影響をうけにくく、論理的・合理的に判断を下す部位です。ピッコロやベジータは冷静で頭脳明晰でもあるから、ここが賦活化していると見ます。

また、彼らの容姿を象徴的にみた場合、背外則前頭前皮質の部位に、ピッコロは触角があり、ベジータは剃り込みが入っています。こうした鬼のツノの部位はサイコパス性を表しているように思えます。魔人ブウはあまり知能は高そうではないですが、そこに気孔が空いているので、サイコパス性の特徴ではないかなと思います。

彼らは地球人とグルーミングすることで、そのサイコパス性が徐々に下がってきて、地球に適応していっているように見えます。それをみていこうと思います。

結論から言うと、ピッコロは師弟関係のグルールミング、ベジータは家族のグルーミングをすることでサイコパス性が改善されていったと思います。師弟の絆、家族の絆はもともとのサイコパス的な性格を改善することができるのだと思います。

ここで思い浮かぶのは絆のホルモンであるオキシトシンです。
オキシトシンは分娩の時にでるホルモンで、これによって母性脳になります。
生物は自分よりも大きい動物に立ち向かわないのですが、オキシトシン値が高いと大きな相手に立ち向かおうとします。これが母性行動の一つです。女性は弱いですが、母は強しです。
サイヤ人が来襲し、ナッパが悟飯を殺そうとした時に、ピッコロは悟飯をかばい、ナッパの攻撃を受けて死んでしまいます。これは母性行動のように思うんですよね。
その時のシーンです。

「なさけない話だぜ」
「ピッコロ大魔王どもあろうものがガキをかばっちまうなんて・・・最低だ」
「きさまら親子のあまさがうつっちまった」
https://matome.naver.jp/odai/2142569918673033601/2143124431581840703

甘さ、これはやさしさとも言い換えることができると思うのですが、他者に親切にすることでオキシトシンは出るとされます。グルーミングというは猿の毛づくろいのことですが、人間は体毛がなくなったので、グルーミングを会話でするようになりました。心の遺伝子であるミームは、高次脳の発達によって会話で感染するのだと思われます。

「悟飯、オレとまともにしゃべってくれたのはお前だけだった・・・」
「きさまといた数ヶ月、悪くなかったぜ・・・」

こうしてピッコロは死ぬわけですが、いやー、このシーンは泣けますね。
私は悟飯、大好きだし、この師弟愛のシーンは忘れられないですね。
これ以降もピッコロは悟飯がピンチの時に必ず救いに現れます。このピッコロと悟飯の師弟愛がとてもいい!

オキシトシンはストレスを抑制しセロトニンが分泌されやすく、内側前頭前皮質が賦活化し共感性が高まるのだと考えられます。これがサイコパス性を下げるメカニズムだと思います。

オキシトシンにはネガティブエフェクトがあります。絆が強くなりすぎると、そのグループ以外は敵だ!と思い込み、攻撃性が上がります。モンスターペアレントなんかはそんな感じだと思います。悟飯とチチの関係を見ると、そんなような感じになっているのではないかと思います。

「地球の危機なんてどうでもええ!悟飯ちゃんの勉強の方が大事だべ!」

という極端な考え方になります(笑
オキシトシンはナショナリズムに関係するという研究もあります。神経伝達物質は必要ですが、そのバランスが重要だと思います。

話はサイコパス性に戻り、次はベジータ。
ベジータはトランクスをハグして魔人ブウとともに散ります。
ここも私の好きなシーンなのですが、

「ドランクス、お前は赤ん坊のころから一度も抱いてやったことがなかったな・・・抱かせてくれ」
「ブルマを、ママを大切にしろよ」

抱擁、ハグすることでオキシトシン値は高まります。
ベジータはブルマと結婚し、子どもを持ち家族を得ることでオキシトシン値があがり、その最高値に達した時がトランクスの抱擁だったと思います。大切なものを守るために自己を犠牲にする、これもオキシトシン的な働きだと思います。

これは私の主観ですが、明治から団塊の世代くらいまでの男性は父親の威厳がありますが、子どもに心を開くことが苦手なようにも思います。それくらいの世代の子どもは父親に抱きしめられたり、優しくされた経験があまりないかもしれません。このシーンはそうした子どもたちの癒しになるのではないかなと思うんです。

次に魔人ブウ。
ここのテーマはペットとのグルーミングだと思います。ペットとのグルーミングもオキシトシン値を上げます。
ブウの棲家にミスターサタンが乗り込みますが、彼とブウと犬の共同生活が始まります。
犬はブウに治療されてなつくようになります。
また、サタンがフランダースの犬を読み聞かせることで善の心が芽生えてきているようにも思えます。その後、話のかなり後半になりますが、ミスターサタンを守るためにブウは純粋ブウと戦います。この場合、純粋ブウがサイコパス性なので、厳密な改善は輪廻してウーブとなり、悟空と師弟関係のグルーミングをすることなのかもしれません。

このように物語からサイコパス性の改善をみてきましたが、物語から学べることもあるんじゃないかなと思っています。例えば、エディプスコンプレックスなどのように、神話のモチーフが精神分析に応用されることはあるからです。遠い未来にドラゴンボールも古典となり、ベジータコンプレックスとか悟飯コンプレックスとかできたら面白いなと妄想しています(笑

てことで、サイコパス性を改善するには

師弟グルーミング
家族グルーミング
ペットグルーミング

があげられます。

そして、仲間・同志として巨大な敵に協働で立ち向かうことで信頼関係を深めていったのだと思います。

てことで、読んでいただいたてありがとうございます。

 

↑私のコレクションです⭐︎

 

今回はドラゴンボールの種族の一つである戦闘民族サイヤ人について考えてみたいと思います。
結論から言うと、サイヤ人とはネオテニー度が高い民族と思います。
ネオテニーとは、幼形成熟と言って成体になっても幼児期の特徴を残している現象のことを言います。
例えば、猿の幼児期は人間の姿に似ているんですね。だから幼児期の長い猿が人間に進化したのではないかと考えるのがネオテニーという現象なのです。
赤ん坊や子どもは脳が柔らかい、脳の可塑性が高いです。その脳の柔軟性が高い幼児期の延長が進化度の高さと関係しているのだと考えられます。
私もいいおっさんなんですが、未だにアニメをみたりゲームとかをやっているのでネオテニー的にはオッケーかもしれませんね⭐︎

ってことで、前置きは長くなりましたが、今日も考察開始していきたいと思います。

まず悟空の幼少期ですが、ブルマと出会った時に悟空の年齢に驚いていたことが印象的です。
記憶が定かでないので、ウィキペデアで確認すると、

身長145cm、体重40kg(15歳時[3])→175cm、62kg(成人時[4])。
^ a b c 後藤広喜編「愛蔵版キャラクターカード」『週刊少年ジャンプ 1988年14号』集英社、1988年3月14日、雑誌29932-3/14、5頁。
^ a b ジャンプ・コミック出版編集部編「第1章 キャラクターコレクション Heroes collection 1 孫悟空」『DRAGON BALL 超エキサイティングガイド キャラクター編』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2009年3月4日、ISBN 978-4-08-874804-7、6-7頁。

となっています。
15歳で身長145cはちょっと低すぎますね。そこから175cmにまで身長が伸びますが、いつ伸びたのかは不明です。最初の天下一武道会はで小さかったのに、次の天下一武道会ではいきなり大きくなっていました。まず、ここで悟空はネオテニー度が高いと感じたわけです。

次に、サイヤ人全般ですが、彼らは長期間、戦闘に人生を費やすために若い時期が長いらしいです。と、ベジータがどこかで説明したいたと思います(多分、ドラゴンボールGT)。ブルマやチチはどんどんと年をとっていくのに、ベジータや悟空はほぼ変わりません。これもネオテニー度の高さがうかがい知れます。

また精神面ですが、トランクスや悟天を見ると、子どものころはやんちゃでいたずら好き、わんぱくな感じで、合体してゴテンクスになると高飛車な感じになりますが、GTでみる成長した彼らは性格がぜんぜん違います。トランクスは経営者になり、まじめな好青年と言った感じだし、悟天は女の子をおいかけるようなナンパキャラになっています。彼らはサイヤ人と地球人の混血なので、幼少期の頃はサイヤ人的、成長すると地球人ぽくなっていくのかもしません。また、これは遺伝子的なものというよりもミーム的なもの、地球の文化によって変化した部分かもしません。

この幼児性ですが、肉体面だけではなく、精神面でも大事にしてほしいと思います。
心身ともに大人になり、社会に適合するのは社会人として大切なことですが、子どもに帰る趣味の時間だったり、自分の中の幼児性だったり、こうしたことは人間の創造性と関係すると思います。
私の場合、子どもの頃になぜ人間は生きないといけないのか、宇宙はなぜ存在するのかなどを考えていました。しかし、大人になると食べるためにお金を稼ぎ働かなくてはいけません。その仕事の中で、こうした子どもの時に考えた疑問に立ち返ることは、私の創造性になっているように感じます。

てことで、ワークをしていただきたいのですが、
自分の中での幼児性は何か?
子どものころに考えたことは何か?

そんなことを思い起こしてみて、ご自身の創造性につなげてもらえればと思います。

昨日、Amazonで予約してゲットしました。アニメとはまた違う内容なので、皆様もよかったら⭐︎

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前回は身勝手の極意について分析しましたが、今回はドラゴンボールの登場人物の自我について。
ってことで、今回も独断的・主観的にお話していきたいと思います。
セル編やブウ編などかなり昔の記憶で書きますので、間違っていたらご容赦ください。

ここでの自我は私たちが日常で使う意味での自我、「私」という観念くらいに捉えてもらえればよいと思います。

「あいつは我が強い」
「それはキミのエゴだよ」

という観念です。
分析心理学では、自我とは意識の中心として、自己は意識と無意識の中心とされていますが、それに近い感じで捉えてもらえればと思います。

ここでいきなり問題なのですが、この中で一番自我が強いのは誰でしょう?

①孫悟空
②ベジータ
③孫悟飯

ベジータはプライドが高いし、悟空の自我全開な感じがするのですが、私は孫悟飯が一番自我が強いと考えています。

というのは、魔人ブウ編で、魔人ブウを倒すために、ポタラという合体するためのイヤリングを界王神から悟空がもらうのですが、当初、悟空は息子の悟飯と合体しようとしていました。しかし、悟飯にポタラを渡す、というか放り投げると悟飯はキャッチしそこねて落として、ポタラを無くしてしまいます。

ここでフロイト先生なら、忘れ物、無くし物などは無意識の作用であると分析するはずです。
悟飯は父親の言うように合体しようとするそぶりを見せるのですが、無意識では

「ぼくはお父さんとは違う」

という反発心があるのだと思うわけです。そうした父ー息子の対立をエディプスコンプレックスと言いますが、ここにはそうした緊張関係があるのではないかと思います。

悟飯はスーパーサイヤ人になるのではなく、界王神から神の力を授けられ、当時、単体最強の「アルティメット孫悟飯」というアイデンティティーを確立していたことが要因にあると思われます。悟飯のテーマは「アイデンティティー、価値観の確立」があるとみています。

ちなみにここには母親であるチチ(チチという名前でお父さんではないw)の

「悟飯ちゃんはえれー学者さんになるだ!」

という英才教育が関係していると思います。これは日本の学歴社会を象徴していたのではないかなと思います。バブル崩壊後、かつての学歴社会や年功序列・終身雇用の価値観が崩れ、新たな価値観を築くことがテーマにあるように思われます。よい大学に入り、大企業に入るという価値観から脱却し、どのような価値観を築くかです。それをドラゴンボール超を通じてみていこうかなと思います。

こうした漫画やアニメ、ドラマは世相を反映していると思います。大衆に共感されないものはヒットしません。もちろん、ヒットを生み出すために作品が作られているわけではないのですが、まったく大衆を考えずに作品が描かれているわけでもないと思うのです。まあ、なんらかのヒントがサブカルチャーにもあるのかなという感じで、これも娯楽として考察を楽しめればいいなと私は考えています。

話は長くなってしまいましたが、結局、ポタラで合体したのは悟飯ではなくベジータでした。
ベジータは「お前と合体するくらいなら死んだほうがマシだ」と言っていたような感じでしたが、ここがベジータのプライドであり、自我の強さだと思います。しかし、そう言っても結局合体してベジットになるので、結果的に合体を拒否した悟飯の方が自我は強いとみます。

悟飯は表面上、穏やかで謙虚ですが、潜在能力が高く、内面は激しいものを持っています。ベジータは表面的にはプライドが高いのですが、内面は案外そうでもないような部分がちらほら見えます。つまり、ベジータはツンデレであり、悟飯はデレツンかもしれません。

合体にはポタラとヒュージョン二種類あり、それぞれベジットとゴジータになります。
この二つのタイプの合体もまた機会があれば独断考察したいと思います。

今のところ、合体は創発と取られています。
創発は下位レベルのものが上位レベルを生み出す概念です。
私たちの細胞はもともと単純な単細胞生命体でしたが、それが集合し多細胞化して、知性を生み出すまでになりました。これを創発と言います。

生命は危機が遭遇すると集合することで上位のものへと対処しようとします。危機とは英語でエマージェンシーと言い、創発はエマージェンス、つまり危機と創発は語源が同じです。魔人ブウという危機が創発を生んだとここではみます。

自我は他者と自分を切り分ける機能であり、そのため自我が強いと創発は起こりにくくなります。
ポタラではなく、フュージョンの場合、通過儀礼(イニシエーション)として変なポーズをとらないといけません。これはプライドの高いエリートであるベジータにはハードルが高いのですが、それのプライドを打ち壊す意味もあると思います。

そして、こちらの方が重要ですが、自我が強いと
「自分は特別な存在だ!」
「俺が一番だ!」
として他人を認めることをしません。それがセル編からベジータが悟飯に対する態度が変化してきました。
「すまなかった、悟飯・・・」
とかつてのベジータらしからぬことを言います。
と素直にアイムソーリー♪と言うには自我は邪魔になってしまいます。
これはベジータに相手を客観的に評価する力があるからだと思います。
プライドが高くて自分が一番という自我の強さと、冷静に他者を分析できるのがベジータの強さではないでしょうか。

そして、ブウ編で合体した後、再び分離し、
「がんばれカカロット、お前が一番だ!」
悟空(サイヤ人名はカカロット)にエールを送り、お前が一番だと認めています。

青年期は自我の確立に皆さん悩むと思いますし、今でも自我の問題(優越感・劣等感・嫉妬など)に対する人は多いと思いますが、ベジータから学ぶことは

素直になり気持ちを伝える
他者を客観的に評価する
自分のライバルにエールを送る

などです。

悟飯は学歴社会、ベジータはエリート社員を象徴していると、世相を反映しているように見えます。まあ、こじつけのようにも見えますが、そこのところはご容赦ください。私としては、かつての価値観は完全に崩壊させるのではなく(挫折やらなんやら多少の痛みはあると思いますが)、うまいこと折り合いをつけて再統合して新たな自分をつくればいいかなと思います。

ドラゴンボール超8巻に戻りますが、
悟飯はケフラと戦います。
そこで単体で戦うことにふっきれています。
自分の戦い方、アイデンティティーを確立しているとみます。

悟飯はアルティメットになると目が鋭くなり口調が強くなります。今回の漫画版では、目が鋭く変化しているので、ようやく強い悟飯が戻ってきました。ケールとカリフラが合体したケフラと互角に渡り合っているので、かなりの強さだと思います。

「オレはもうスーパーサイヤ人にはならない、その必要がないからだ」
「オレはサイヤ人としてではなく1人の人間として進化する道を選んだ」
「自分がサイヤ人であることに頼ったりしない」

これらの言葉は人間・孫悟飯を確立する言葉です。

一応、スーパーサイヤ人のコースとしては
スーパーサイヤ人→スーパーサイヤ人2→スーパーサイヤ人3→スーパーサイヤ人ゴッド→スパーサイヤ人ゴッドSS
となります。
悟飯はスーパーサイヤ人2までは悟空と一緒に修行していましたが、ここからスーパーサイヤ人3やゴッドの道にいかず、アルティメット化して単体最強の道をいくようになりました。ここで悟飯の個性化のプロセスが発生しているとみます。

個人的には、このアルティメット悟飯が大好きで、今回は強い悟飯が戻ってきてとても嬉しかったです。しかし、それでも身勝手の極意には及びません。といのは、アニメではケフラは身勝手悟空によってあっさりと蹴散らされており、悟飯はケフラと互角だからです。しかし、それでも潜在能力ナンバーワン・単体最強は悟飯だと信じて応援していきます!

 

本日、ドラゴンボール超8巻を購入しました。

 

 

アニメでは違うストーリーが展開されており驚きの内容です。
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特に興味があったのは新形態である「身勝手の極意」。
スーパーサイヤ人ブルーの上をゆく身勝手はシルバーのオーラと銀髪。
身体は最初にスーパーサイヤ人ゴッドの赤髪に変身した時のように細身になっています。
無駄のない動きで足幅は狭くつっ立ちあらゆる攻撃を回避。

スーパーサイヤ人ブルーは統合の象徴として分析してますが、今回の身勝手は老成と分析。まずは単純にですが、銀髪、細身は老人の特徴を表していると思います。
これからの高齢化社会を象徴しているかのようです。しかし、ここには老人になってから発揮される何かがあると思います。

身勝手の極意とはウィスが言うには、
「意識と肉体を切り離し、無意識の動きに任せることで」
と説明しています。

加齢とともに前頭前野が衰えていきます。これが認知症の原因にもなるのですが、プラスに考えると脱抑制にもなるのかなと思います。
前頭前野は下位の動物脳を抑制しますが、その抑制を解くのが身勝手の極意と思います。
特に重要なのは大脳基底核という部位であり、過去の学習記憶のパターンから反射的な動きを作り出します。つまり、身勝手の極意は余分なものをそぎ落とした直感的な動きです。

筋肉も動物的なインナーマッスル優位の状態になりますので、足幅が狭く、ほとんど構えがない自然体の状態になります。

アニメでは悟空が元気玉を放ってジレンに跳ね返され、瀕死の状態で身勝手を悟るのですが、漫画ではかつての師匠である亀仙人に戦いはパワーや戦闘力ではないと諭され、自身の老体を用いて動いてみせて悟空にヒントを与えます。

亀仙人の動きをみたビルスとウィスは「あの動き(身勝手の極意)に似ている・・・」と言います。
ただ、「さすがにその動きには程遠い」が「原理は同じ」と言われます。

このことから、身勝手の原理とは
「前頭前野を脱抑制した大脳基底核レベルの直感的な動き」
と定義できると思います。

これをもしリアルで体現するには、若い頃から何が正しいかを心身の深い部分で学ぶ必要があると思います。
そして年齢を重ねるごとに自然な動きに身を任せることだと思います。

私も武術を志す者として技を練りたいと思います。

↓私の武術動画

 

 


また、今後もドラゴンボールの記事を書きたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。