海禅寺 (守谷)
(寺社参拝記録 2019.7)
こんにちわ!いつもありがとうございます。
本日は、守谷高野にある、海禅寺の参拝記録です。
海禅寺(守谷市)
大雄山海禅寺は茨城県守谷市高野に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。
海禅寺の創建は江戸時代初期の寛文年間(1661~1672年)、
守谷領主になった堀田正俊が寄進した海禅寺縁起に詳細に書かれている。
それによると平安時代の延長8年(930)に平将門が京都から相馬御厨の下司に任ぜられ、
承平元年(931)に父親の菩提を弔う為、高野山金剛峰寺を模した海禅寺を建立。
その後、将門は俗に言う"平将門の乱"を起こし常陸国香を討ち取り、関八州を手に入れる。
中世は周辺を支配した相馬氏(将門の5代後胤国が相馬氏を名乗ったと言われている。)
の菩提寺として寺運も隆盛、戦国時代末期、後北条氏に与した相馬氏は、
血脈は保ったものの衰退。江戸時代に入ると新たに領主、堀田氏によって再興される。
海禅寺本尊の地蔵菩薩像は奈良時代の名僧として知られる行基菩薩が彫り込み、
将門の娘である如蔵尼の持仏だったとされ、境内には将門と7人の影武者の供養塔がある。
海禅寺本堂には将門の位牌の他、歴代相馬氏の位牌がある。
一族で相馬中村藩主(福島県相馬市)となった相馬氏が度々参拝に訪れたとのこと。
山号:大雄山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:地蔵菩薩。
(ネット情報から抜粋させていただきました。)
参道・山門
本堂
鐘楼
江戸時代ごろに建てられたという石塔は、関東で独立国家を築こうとしていた、
将門が937年(承平7)に京から帰国する途中、
平良兼と平貞盛の両軍に待ち伏せされ、
身代わりで亡くなった7人の家来たちの供養塔といわれている。
「平親王墓と記されてある右端の一番高い石塔が将門の墓です。」
と住職に教えていただきました。
タイミングよく外出からお戻りになられたので確認することが出来ました。
七騎武者は現在公園になっている守谷城跡や、
守谷小学校周辺に残る土塁で野性の馬を調教していた武士であったといます。
下の書は、平将門によって伊勢神宮に奉納された、
神代文字(タネコ文字・アヒルクサ文字)での奉納文。
(神功皇后の御歌2・自作の和歌。)
当日、離れたところで渡った橋。
(この辺はやはり将門公ゆかりの地でした。)
ありがとうございます。