日本の幕末から明治維新にかけて日本はロスチャイルド家の傘下に入っていた。

しかし、新興石油財閥のロックフェラー家が勃興し、世界覇権を手にしようとしていた。

ロスチャイルド家からロックフェラー家に世界覇権が移ったのは1929年の世界恐慌からである。

これは、ロスチャイルド家を叩く為にロックフェラー家が仕組んだ罠だった。

アメリカは株式を大暴落させて、クズ値になった株式をロックフェラー家が底値で買い集めていった。

これにより、アメリカはイギリス貴族達の支配から、ようやく脱出したのである。

1913年連邦準備銀行(FRB)ロスチャイルド家主導で作られたが、ロックフェラー家FRBの仕組みを乗っ取ってしまった。

そして、1914年、仕組まれたようにヨーロッパで第一次世界大戦が起きる。

サラエボ事件ロックフェラー家が政治的暗殺をやらせた。

これで、欧州全体が火の海になった。

1915年5月7日、米国人客を乗せた船が大西洋で撃沈した。

これをキッカケにアメリカがヨーロッパ戦線に参戦する。

しかし、事件はアメリカの自作自演だった。

第一次世界大戦の真相はロックフェラー家による世界覇権の強奪劇だった。

世界帝王になったアメリカの中央銀行を握ったロックフェラー家は、金融でも世界を支配し始め、1929年にロスチャイルド家に次の打撃を加えた。

世界恐慌である。

ロスチャイルド家を叩く為にロックフェラー家が仕組んだものだった。

大暴落してクズ値になったアメリカ企業の株式を底値で買い集めて、イギリス貴族に打撃を与えたのである。

日中戦争太平洋戦争ロックフェラー家が仕組んだものだった。

概して、ロスチャイルド家平和的であるが、ロックフェラー家攻撃的である。

その性格が日本にも大きな影響を与えた。

世界の世論が日本の中国侵略を非難し始めるのは1937年の盧溝橋事件の後からである。

1937年7月8日からの北京、上海での日本軍の全面攻撃開始までは、欧米列強は日本を非難していない。

なぜなら、欧米列強も中国各地に軍隊を置いていたからである。

日本は遅れて来て、列強の真似をしただけである。

盧溝橋事件(1937年)の後の総攻撃から8年間(1945年)までを本当の日中戦争とすべきなのである。

外国によその軍隊がいたら、それを侵略という。

それが、国際法の理解である。

つまり、日本を含めた欧米列強も全て侵略国なのである。

戦前は軍事官僚である軍人達がアメリカに操られていたが、民間人の右翼達も利用されるようになった。

今でも官僚や政治家達がアメリカに操られている。

特に、官僚達はアメリカの意向を忖度してアメリカの国益を優先させている。

満州国建国はロスチャイルド家の支援を受けた事業であった。

ロスチャイルド家は、亡命ユダヤ人達のために、今のイスラエルのような国を満州に作る計画を立てていた。

この満州建国計画を「フグ・プラン」と呼び、岸信介ら革新官僚と石原莞爾ら関東軍が共に推進していた。

石原は計画通り満州を占領した。

しかし、中国全土には手を出す考えはなかった。

しかし、関東軍が暴走した。

そして、禁じての中国侵略を開始した。

それを唆したのがロックフェラー家である。

ロックフェラー家は広大な中国を狙っていた。

邪魔なのはイギリス・ロスチャイルド家の勢力である。

日本に中国侵略させて、ロスチャイルド家の勢力を追い落としにかかった。

日露戦争後、ロスチャイルド系ハリマンは南満州鉄道を日本と共同経営する計画を立てた。

しかし、その計画はロックフェラー系小村寿太郎外相によって潰された。

1921年12月にはセオドア・ルーズベルト米大統領によって日英同盟が破棄された。

日本とロスチャイルド権益を戦争で破壊し、極東をイギリスから奪い取るのがロックフェラー家の計画だった。

この手先となったのが帝国海軍である。

平和主義と伝えられている海軍三羽烏米内正光井上成美山本五十六)こそ、日本を戦争に引きずり込んだ張本人達である。

ロスチャイルド家は日本に戦争をさせたくなかったが、ロックフェラー家の策略に乗せられて、中国全面侵略をするまでに泥沼に引きずり込まれた。

そして、ABCD包囲網の罠にはまっていった。

日本を中国への侵略戦争に駆り立てたのは、ロックフェラー系フランクリン・ルーズベルト大統領達の綿密な計画があったからである。

真珠湾攻撃も米内正光海軍大臣と井上成美中将、山本五十六連合艦隊司令長官らがアメリカに操られてやらされたことだった。

 

大正から昭和にかけて相次いだテロ事件で殺された政財界人の大部分は、三井・ロスチャイルド系政友会の人々である。

原敬は1921年11月4日に暗殺された。

犬養毅は1932年5月15日に暗殺された。(5・15事件)

高橋是清は1936年2月26日に暗殺された。(2・26事件)

彼らは国民に愛された指導者達だった。

「中国には経済援助せよ。軍事進出はするな」と主張した。

この政友会の優れた政治家達が次々にテロで倒されたのである。

 

ロックフェラー(三菱)ロスチャイルド(三井)

という現代史の大きな対立構図を取れば明快である。

日本を何としても侵略戦争に引きずり込もうと企んだロックフェラー系の人々がテロ事件の背後にいた。

血盟団の井上日召もこうした勢力に操られていた。

大アジア主義者の正義の民族主義は、こうして捻じ曲げられていった。

日本はやがて、アジア圏への無謀な戦争に引きずり込まれる。

2・26事件の青年将校達は純粋な動機で政治家達を暗殺したが、大きくは中国侵略戦争への国内体制固めであった。

 

1937年2月、米内正光海軍大臣に就任し、山本五十六海軍次官に留任する。

彼らはアメリカの手先であり、政府の中枢でおかしな動きをはじめた。

1937年8月15日、海軍は中攻機による渡洋爆撃で戦争拡大の既成事実を作った。

長崎県大村から出発した96式陸上攻撃機20機が南京を空襲した。

台北からの14機も江西省南昌を空襲した。

日本の無残な無差別爆撃はやがて世界中に報じられる。

日本海軍機による爆撃は中国奥地の都市・武漢や重慶にまで及んだ。

特に重慶には執拗に戦略爆撃が続けられた。

非戦闘員を含む無差別爆撃の先鞭をつけたのは日本だった。

後に日本はアメリカの大空襲に苦しめられる。

多数の市民殺傷を生んだ重慶爆撃を指揮したのが井上成美である。

米内が主導した海軍による初の渡洋爆撃作戦が当時の国際社会に日本軍の残忍さを決定的に印象付けたのである。

この無差別爆撃で日中戦争の停戦協議のチャンスが失われたのである。

1941年11月22日に

日本海軍空母機動部隊は択捉島の単冠湾に集結し、

11月26日にハワイに向けて出港した。

日本時間12月8日、ハワイ近海において真珠湾攻撃を開始した。

連合艦隊司令部では山本五十六が作戦を指揮していた。

真珠湾攻撃には軍令部が皆反対していた。

しかし、山本は受け入れなければ司令長官を辞職すると軍令部を脅して押し切ったのである。

日本の暗号は解読され、真珠湾攻撃の正確な日時まで把握されていた。

イギリスのチャーチル首相が英諜報機関からの情報をルーズベルト大統領に提供していた。

全ては巧妙に仕組まれ計画されていたのである。

日本軍の行動はアメリカ政府に全て察知されていた。

日本軍の攻撃はハワイ時間で午前7時55分から午前9時45分まで続けられた。

大破した戦艦は旧式のものだった。

山本は明らかに手抜き攻撃をしてアメリカの戦力を温存させたのである。

ルーズベルトは上院議会に日独伊への宣戦を要請し、圧倒的多数で承認され宣戦布告した。

ルーズベルトロックフェラー家の操り人形となって真珠湾攻撃を仕組んだ。

そして、戦争反対のアメリカ世論を覆したのである。

イギリス・ロスチャイルド家とアメリカ・ロックフェラー家の世界覇権を巡る抗争から日本は中国と泥沼の戦争に追いやられた。

そして、アメリカにおびき出されて太平洋戦争を始めた時点で日本は、すでに敗北していたのである。

 

日本を世界の孤児にしたのは米内光政である。

米内光政ロックフェラー家に操られていた。

米内は日米開戦直前に日本の首相にもなっているし、何度も海軍大臣をしている。

普通、これは絞首刑確定のA級戦犯ものの経歴である。

だが、海軍大臣だった米内をはじめ海軍軍人は一人も絞首刑になっていない。

米内は巧妙にも対中国開戦直前の第二次、第三次近衛内閣と日米開戦に直接関与した東条英機開戦内閣には関与していない。

東京裁判では一貫して戦争開始責任が問われている。

首相を務めたこともある広田弘毅は軍人ではなく外務官僚出身の政治家だったが、日中戦争が始まった時の第一次近衛内閣の外務大臣だった為、戦争責任を問われ絞首刑になった。

米内だって同じ第一次近衛内閣の海軍大臣であった。

しかし、米内は軍人であったのに絞首刑になっていない。

やはり、米内こそはアメリカのルーズベルトロックフェラー家傀儡だったのだ。

 

阿南惟幾陸軍大臣は米内山本達の動きは怪しかったと感じていた。

彼らはアメリカと繋がっていたのだと理解したが既に遅かった。

阿南自害することで天皇や国民に大罪を謝罪したのである。

この戦いの張本人である米内を「斬れ」と叫んで死んでいった。