前回の記事で書いたように、先日、スウェーデンのウルフ・カールソン師範と長時間にわたって、空手に関する様々な話題について話をした。

 

その中で、彼がこんなことを言っていた。それは空手の動き――型の動作など――が近代になって、段々と「角張ってきた」のではないかと。正確な表現は忘れたが、要するに昔はもっと型でも組手でも、柔らかく円の動きであったものが、この100年で徐々に力強く、外見上迫力があるように見せる動き、円ではなく、緩急のメリハリ――極めなど――を付けて、角張った動きに移行してきているではないか、というのが彼の主張であった。

 

筆者は古流唐手とか「ティー」の身体操作が皆共通で同一のものであったとは思わない。それこそ「一人一派」のような多様性があったのではないかと、個人的には考えている。

 

ただ全体の流れ、すなわち、この100年間の空手の近代化の過程において、カールソン師範が指摘するように、例えば型の動作などでも柔らかい動きから角張った動き――より外見上力強く見せる動き――に移行してきているという指摘は当たっているように思う。

 

その一例として、今回、本部朝基の直弟子だった山田辰雄氏が、松村宗棍先生について述べた以下の一文を紹介してみたいと思う。

 

首里の松村先生は、型を使いたる時はふらふらとして格好も悪く、之が達人であるのかと疑わしめる感があるも、いざ立合った場合は寸分の隙もなく、何時何処から来るか判らぬ一撃は、到底避け得ない感を何時でも相手に与え、実際に於いてもその様であったとのことです。(小沼保編著『本部朝基と山田辰雄研究』103頁)。

 

 

上記の話を山田氏は、師匠の本部朝基から聞いたのであろう。本部朝基も著書で、(ふらふらと格好悪くとはさすがに書かないが)「松村先生は、……決して力一方の武士ではなかった」(『私の唐手術』20頁)と書いている。

 

松村先生が型を演武したとき、ふらふらとして格好が悪かった、というのは、決して本部朝基が松村先生に師事した当時、松村先生が高齢であったからだ、というようなありきたりの理由ではなかったはずである。

 

もしそうであるなら、そのあとに続く、松村先生が立ち合い(実戦)のとき、寸分の隙もなく相手に圧倒的な威圧感を与えた、という文の流れがつながらないからである。

 

それは武術的な身体操作と体育的な――あるいは競技目的の――身体操作は異なっているのだ、ということを述べているはずである。

 

上の引用文の前に、本部朝基は松村先生の時代と今日(昭和初期)との間には、唐手の稽古に対する考え方が変化してきている点で注意を促し、

 

このこと(稽古の心得)は、よほど肝要なことで、現在も心得違いをしている人々があるようで、ことに今後唐手を稽古する方々のために、特に申し上げておきたいのである。(『私の唐手術』20頁)

と述べている。つまり、昭和初期には、すでに松村先生の武術的な身体操作が失伝しつつあったので、その点で唐手の修行者は勘違いをしないようにと、本部朝基は警告しているのである。

 

この松村先生の武術的な身体操作は、戦後の沖縄でも全く失われたわけではなかったように、筆者は思う。沖縄の何人かの戦後の大家の動画をYouTubeなどで見るとき、この――現代競技の観点から見た――ふらふらと格好悪いような型の演武動画が散見されるからである。

 

いずれにしろ、現代空手の身体操作は、松村先生のそれから遠く離れたところに来てしまったのではないであろうか。「空手の原点」を見つめ直す上で、上の山田氏の一文は非常に重要であると思うわけである。