灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし -255ページ目

三沢光晴『理想主義者』(ネコ・パブリッシング)



三沢光晴理想主義者』(ネコ・パブリッシング)

タイガーマスクとして上がったリング上で突如自分のマスクを剥ぎとり、三沢光晴となってからはや十数年。いまではNOAHの社長として格闘技界はもちろんのこと、財界からも一目置かれる人物にまでなった。

本書は、彼がレスラーそして経営者として、プロレスを取り巻く厳しい環境を自覚しながら、新たなファンたちにプロレスの魅力を知ってもらおうとした1冊といえる。

現在、総合格闘技に押され、新日本はあたかも大仁田がスピンクスあたりと異種格闘技戦をやっている頃のFMWの如き迷走を続け、その他の団体もさしたる変化はなく、NOAHのクオリティの高さが際立つ今日この頃だが、外部からの敵が侵入→撃退といったステレオタイプな構図に拘泥するプロレス界を尻目にした、彼らの斬新さ強烈さが、相撲界の慣習を模倣した旧プロレス界への批判意識からはじまっていることは、本書を読めば瞭然である。

とはいっても、そんなプロレス論をぶちかますというよりも、ロープに振られた人間が、どうしてわざわざ攻撃をくらいに戻ってくるのか、なぜコーナーポストからの攻撃を、「ドナドナ」に出てくる従順な子牛のごとくおとなしく待っているのかといった素朴な疑問に、レスラーの立場から答えてゆくプロレス入門の色合いが濃い。

これを読めば、基本的にプロレスが総合格闘技とは違った文法の下で闘っていることが、少しはわかるのではないだろうか。コアなプロレス・ファンには物足りないかもしれないが、漂う三沢の真摯な姿勢とあいまって、プロレスの香りを堪能するのにはもってこいの一冊といえそうだ。

★★★☆☆

宝島編集部編『精神病を知る本』(宝島社文庫)

別冊宝島編集部編『精神病を知る本

「精神病を知る」ことで、「精神医学」を徹底的に批判する1冊。

本書の基本的なスタンスは、「『精神病』とは近代精神医学が創り出した(あるいは、発見した)病気なのであり、精神医学は自らの説明体系によって、精神病院およびそこでの治療というひとつの現実を生み出すにいたっている」というものである。

したがって「狂気」とは、「医学」によりはじめて「病」として出現したといってよい。これは近代市民社会における「理性」が、それのみで「理性」たりえないことのもうひとつの側面であり、逆にいえば非「理性」を廃除することで、「理性」とはネガティヴに発見されるのである。

とはいえ、クーパーなど「反精神医学」派のように、それが完全に社会的なラベリングとしてのみ、いい換えれば「おまえは精神病だ」と医者や家族が判断するがゆえに「精神病」患者が出現するというだけで、ことは簡単におさまるわけではない。

このことは、精神科医が「彼らはほっとけば死ぬ」「経験則からいって、やっぱり精神病は存在する」と真摯に答える、第二部の対談を読んでから考えてみても遅くはない。

第一部で総論、第二部で医療現場の実態を、第三部でパリ人肉事件の佐川一政や登校拒否といった精神病院の外での問題を扱い、第四部で患者の詩・散文を読み、第五部で新たな「精神病」のとらえ方を考えるといった構成になっている。

どこから読んでもいいだろうが、特に第二部の「現場の医師に聞く 精神病ってなんですか?」は、素朴な疑問をインタビュアーがずけずけといってのけるために、ほとんど知ることがない「精神病」についての全体的な知識を突っ込むことができた。ここから読むと、見通しがよくなると思う。

初版:1986年6月 宝島社
★★★☆☆

ジョン・スラデック『見えないグリーン』(ハヤカワ文庫)

ジョン・スラデック見えないグリーン』(ハヤカワ文庫)

35年前に結成されたミステリ愛好会の面々が次々に殺される。都合3人が殺害されるわけだが、何といっても生前「グリーンに脅迫されている」と漏らしていた老人がトイレで謎の死を遂げる、いわゆる密室殺人がもっとも目立つところだ。

色々なひとがいっているように、この密室の奇想ぶりは中々のもので、少なくとも俺はこんな死に方はしたくない。

愛好会の連中が小屋から出た直後に、嫌味たらしい老人が刺殺されるというアリバイが絡む第2の殺人も、その次の老婆の撲殺も、探小的にはオーソドックスなものだが、それでも最後に解明される論理は見事に隙がなく、解説の鮎川哲也が指摘する瑕疵もさほど気になるものではない。

そして何よりも訳者の見事な技が光る、随所に散りばめられたヒューモアが何とも遊び心に富んでおり、読みながらニヤつくのも再三再四であった。特にトイレで死亡するソヴェト嫌いの妄想狂──キューブリックの『博士の異常な愛情』に登場した「水がソヴェトの謀略のせいで汚染されている」と断言する危険な米軍基地司令官から、官職と権力をすべてなくしたような人物だが、そういえばこの司令官もトイレで死んでたなあ──の長年の調査による「アカ」告発の手紙は何度読んでも引き攣りながら笑ってしまう。

といったわけで、論理・笑いを兼備した一作である。ちなみに解説で鮎川が、戦後満足した本格ものはクイーン以外では、ウィリアム・デアンドリア『ホッグ連続殺人』、アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』、エドワード・D・ホックの短編だといっている。ブラックな味付けが見られるようになった鮎川の後期短編を見ていると、この選択も納得がゆく気もする。

原書:“Invisible Green”1977
★★★★☆
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