黒木曜之助『横を向く墓標』(春陽文庫) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

黒木曜之助『横を向く墓標』(春陽文庫)

黒木曜之助『横を向く墓標 (1979年) (春陽文庫)

作者は新聞記者としての嗅覚を生かし、原研が東海村にできた翌年に早くも「東海村殺人事件」を発表(この作品については、「黒木曜之助『東海村殺人事件』を読む」を参照のこと)。

これは日本原発小説の嚆矢のひとつといえそうだが、その3年後に執筆された横を向く墓標(『宝石』1962年6月号増刊)も、国産原子炉がはじめて臨界に成功した頃の東海村原研を舞台とした作品で、茨城においてお大尽の扱いであった原研のエリート意識であるとか、原子炉に食わせてもらっているような東海村の胡散臭い雰囲気などがよくでている。

原研研究員の失踪を調べるうだつのあがらない老刑事が、原研職員に馬鹿にされながら捜査を続け、次第に研究所内の醜聞にいきあたる一方、出奔した刑事の娘がそこに絡んできて都合よく盛り上がってくるあたりの展開の妙は、黒木ならではのものである。

わざわざ原研を舞台にした失踪事件ということでその意味が問われるわけだが、放射能性廃棄物運搬車を用いるネタが使われているという一点において、それは果たされたといえる。

しかし、田舎と都会の対立の構図をもってくるために原研にご登場願ったといった感が否めず、そこにミステリとして大した意味があるわけではない。

さらにいえば反核であるとか原子力への警告といった意図はまったくなく、ただ地元に物珍しい施設があったから使ってみたという感じだろう。

それより、小説よりも奇なりといわれた連続身代わり殺人を小説として再構成し、犯人大西克己の生涯を想像力たくましく追いかけた過去のない墓標は、なかなか読ませる力作である。

身持ちの悪い母親の元に生まれ、祖父母を両親といわれ育った大西が女に手を出しては失敗を続け、新しい戸籍を手に入れるために、山谷やら茨城あたりの路地で犠牲者を物色してはポンポンと人を殺すあたりの軽いノリは、重厚な筆致を得意としない黒木によくあっている。その意味で驚きはないが、悪漢小説の中編としてなかなかよい。

ちなみに大西事件の捜査陣の様子を丹念に追い、その写真自体が類まれなるノワールと化した奇跡の写真集『渡部雄吉写真集 「張り込み日記」 Stakeout Diary』を手にとったものならば、この事件の捜査陣がどのようなものであったのかを知りたいはずだが、この中編は大西をメインに据えており、その望みは果たせなかった。

しかし『張り込み日記』とクロスさせつつ読むと、興味は倍増のはずである。

何度か書いたと思うが、昭和30年代は1930~1940年代の延長線上、戦前と連続していると考えるべきであって、今のわれわれが想像する社会とは相当程度に異なっていることは、頭に入れておいていいと思う。われわれと連続した時代は、ようやく昭和40年台からはじまるといってよい。

したがって『張り込み日記』のような写真集は、このあたりの日本ミステリ、清張であるとか初期の水上勉を読むために実に有用なのである。

最後の日立鉱山の煙突をテーマとした不安な墓標は、煙突を愛してやまない老鉱夫がなぜ人殺しをしたのかというテーマを追ってゆく短編だが、黒木お得意の都合のよい人間関係が暴かれていくばかりで、それほど優れたものではない。

全般的に、茨城というあまり印象に残らない土地のなかで、目一杯インパクトがあるものを引っ張りだしてミステリに仕立てたという中編集。ミステリそのものというよりも、舞台や素材の面白さで読ませるといえる。

必読とはとてもいいがたいが、ブックオフあたりで見つけたら絶対に買っておきたい。

★★★☆☆