色川武大『離婚』(文春文庫):阿佐田哲也はなぜ直木賞を取れなかったのか | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

色川武大『離婚』(文春文庫):阿佐田哲也はなぜ直木賞を取れなかったのか

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色川武大『離婚』(文春文庫)

直木賞受賞の表題作を筆頭に、奇妙な男女の同棲生活を描いて雰囲気だけは中々の連作集。

冒頭「めでたく離婚いたしました」なる一文に続き、「競馬の当りはずれ」「水洗便所のコック」云々などがそれと対比されているのを見れば、本書を支配するある種の軽さはすぐさま嗅ぎ取ることができようが、さらに「です」「ます」調の一人称で語られる明晰なようで曖昧な内省や説明的文章と、「社会性のなさ、責任というものに対する無知、短気、いびつな感受性、刹那主義、甘ったれ」という女性が前面に押し出されると、それだけで何となくの雰囲気はできあがってしまう。

いまならばADHDと診断されることはまず間違いない、主人公とつかず離れずの距離にいる年下女が本作でもっとも重要であることはいうまでのないが、彼女に対する「ぼく」の寛容さ、逆にいえば彼女の魅力が読んでいてもまったく理解できず、それがある不可解さと雰囲気を生んでいるとはいえる。

宇野浩二を一瞬だけ髣髴とさせる文体で描かれる彼らの営みをおもしろいと思えるかどうかに本書の評価はかかっているだろうが、まあ素直に読めばアプレゲールほど先鋭的な人間関係もなく、たとえばジーン・セバークの0.1%ほどのコケティッシュな魅力をもちあわせない、端的にいえば馬鹿な女性を読まされても仕方ないと思ってしまうわけだが。

とりあえず、頁に麻雀牌が出てくる小説に直木賞をやれなかった「文壇」の度量の狭さというか、不可解さには首を傾げざるをえない。阿佐田名義の作品ならともかく、どう読んでもこれは何かの賞を取るような作品ではない。

★★★☆☆
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