あゆみです
「どうして、そんな風に考えられたんですか?」
自分の幼少時代の話をすると、よくそう言われる。
わたしは血管の病気をもって生まれ
左の顔が右の倍に膨れ上がっていたので
10人のひとがいたら9人はぎょっとして振り返った。
あらがえない運命のなかで
わたしは持っているものだけで自分を判断しない
という感性を奇跡的に持つことができた。
他にいいところがあれば人はそっちを見る。
だからいいところを増やそう。
この感性さえあれば仮にいじめられても
ここだけが自分の場所じゃないと思えるし
自分の欠点をディスるひとがいても
自分には欠点じゃないところもあると
傷つかないでいられるのだ。
この感性が生まれた理由・・・
もしかしてそれは・・・
わたしが生まれてすぐに
死にかけたことにあるのではないか
今日、突然そんなことを思った。
生後1年7か月でわたしは肺炎になった。
栄養はすべて左の顔の血管にいってしまい
栄養失調になり酸素吸入をしていたという。
顔にダメージがあるうえ身体も弱い。
そんなときのことを覚えてはいないけど
もしも大人で意識がしっかりあったら
もう死にたいと思ったかもしれない。
しかし、わたしは死ななかった。
幼稚園に上がったわたしは
自分の顔が友だちと明らかに違うことを知るが
他に長所をつくればいいと気づく。
あらがえないダメージがあっても長所を増やすとは
出来の悪いタレントを任されたプロデューサーが
コイツをどうやって売るか四苦八苦するような感じ。
劣等感は持たなかった。
そんな選択肢をあたえられなかったという感覚が正しい。
だけど、四苦八苦しながらも自分をあきらめない
プロデューサーという
自分で自分の味方になる存在を持っていた。
もうこの時に、いまの活動につながる
大人になったわたしは
動脈瘤になって再び生死をさまよう。
手術をして、一命をとりと0めるが
当時のわたしは、死んだら楽かなと思っていた。
将来をともにしたいひと 一生をかけたい仕事
大切な友だち 全財産 それらを一気に失う。
当時あなたの1年を示す漢字は?と聞かれたら
迷わず「失」と書くだろう。
だけど、わたしはまたも一命をとりとめた。
使命に気付いたなんて高尚なことではなく
死ななかったのだから、
死んではいけないひとなのかもしれないと思った。
ふと、思った。
わたしが物心ついたときには
強烈なアイデンティティーを持てたのは
死にかけたからかもしれない。
そしてひとつ、思い出した話がある。
子供のときみたドキュメンタリー番組で
末期がんのお医者さんが取り上げられていた。
彼は自分の余命を知りつつ
先の先まで公演予定を入れていた。
彼がこの世を去ったとき
果たされなかった丸印だらけのカレンダーが残された。
見たのは小学生のときだったけど
いまでも、衝撃的だったと記憶している。
余命数か月の彼女は 来年の手帳を買い
楽しい予定をどんどん書き入れる。
まわりのひとは彼女にかける言葉がなかった。
予定はひとつも果たされないまま
彼女は帰らぬ人となり
遺言状と、エンディングノートが発見された。
彼女は、自分の死期をしっていたのだ。
思い通りにならない相手 かなわない夢
気に入らない見た目 うまくいかない仕事
生きているといろいろあるよね。
それをひとは、無力感と呼ぶのかもしれない。
だけど、無力だなと感じるのは生きてるから。
死んだらね、無力感なんて感じられない。
思い通りにならない自分を
何とかしようとじたばたする。
そのくりかえしが、生きるってことだと思うのです。
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