6/25鑑賞

 

最近何度もクレイジーフォーユーを観ているせいか、テンションが上がるアメリカのダンスものを観たくなり、ふと頭に浮かんだ本作。

 

トラボルタのダンスも、いかにもなディスコのダンスも、ディスコミュージックも、Bee Geesも、好きな要素が盛り沢山!なので、以前本作を購入していた。

 

ということで、久しぶりに鑑賞した。多分3回目。

 

確かに中盤あたりからどんどん内容が重たくなっていく記憶はあったけど、改めて観ると、序盤から重たい要素がこれでもかって程満載で、OPとダンスシーン以外はテンション上がるどころじゃなかった…w

 

あれ?こんなに重たい映画だったっけ…?って自分の記憶力の悪さにちょっとびっくりした。

 

前観た時は自分が若かったのか(といっても10年以内な気はする)、悲惨さよりは、トラボルタや音楽の格好良さ、青年期の鬱憤の共感が勝って、ここまで重く受け止めてなかったのかなー?本当に記憶がない><

 

・貧富の差

・移民の人々の社会的地位

・兄弟差別

・父親の失業(それによる暴言)

・親の期待と自身の望みのギャップ

・どんなに頑張っても常に親から貶められる苦しみ

・十分な教育を受けられなかったことによる様々な影響

・やんちゃして周囲の人や社会に迷惑をかけること

・移民同士の抗争

・結婚すれば女性として幸せになれると思い込む女子

・結婚に妻子を養う重さと人生の終わりを感じる男子

・安易なドラッグ・レイ〇

・キリスト教の戒律によって雁字搦めにされる苦しみ

・"自殺といえない自殺”を図る程の人生への絶望

・自分より下の人に精一杯虚勢をはること

・おじさんと恋仲になってまで仕事を得ること

・心の中に渦巻く怒りや悲しみや不安や葛藤

・唯一自信のあったことが、実は井の中の蛙であったこと

・自分の周囲が腐りきっていることへの絶望

・このままだと周りの大人のようになってしまうという焦り

 

トニーやトニーの周囲の人々が置かれている状況は、こういったことで溢れかえっていて、負の連鎖というか、どん詰まりというか…。

 

特に不幸を畳みかけるかのような後半は、そんなに盛り沢山にしなくても…って思う程、結構きつかった。

 

「Stayin’ Alive」の「みんな生きている へこたれずに」というサビと共に、ビシッときめたトラボルタが街を闊歩するオープニングは本当にかっこいい。

 

闊歩しつつも、隙あらばセクシーな女の子にちょっかいをかけようとするし、ディスコに通い詰めたり、悪い仲間がいたりと、さぞかし不良なのかと思いきや、家族を愛し、普段は真面目に働き、ほんのちょっとの昇給でも大喜びするトニー。

 

その喜びには、親からも社会からもろくでなし扱いされてきたからこその「自分を認めてもらえた」という嬉しさの表れだと思うと、ちょっと泣ける。

 

トニーの会話の端々で、いかに世間や家族に自尊心を傷つけられてきて、どん詰まりの環境から抜け出せない閉塞感にもがいているのかが、よく分かる。

ステファニーとの会話:

ディスコへは踊りに行く 他のバカなことはしない

どこかよそに本当の幸福があればなと思う

ーどこに?

知らない どこかだ

踊りなんて今のうちだけのものだし

じきに年をとれば何も感じなくなる

その感じ 分かるだろ

 

ステファニーにブルックリンごと馬鹿にされた日の家族との会話:

どうせぼくらはクズなんだ それが現実さ

ー母親が涙を流し顔を覆う

 

親の期待に背いて家を出ていく兄との会話:

ト:みんなにろくでなしだと言われてきた

兄:生き残るには自分が正しいと思ったことをやれ

  人の注文には耳を貸すな 惨めになるだけだ

 

大会で、自分が井の中の蛙だと知った時の会話:

何もかもインチキだ

おれはこんなバカたちと付き合ってたんだ

みんなが逃げてる

荷物を人に押し付け合ってる

おやじは失業してお袋をどなる

おれたちはプエルトリコ人をいじめ

ウサを晴らしてる

それの繰り返しだ

 

裕福で洗練された町マンハッタン、貧しい移民の多い労働階級の町ブルックリン。橋一本で繋がっていても、その差は激しい。

 

テレビなどを参考に自己流でダンスを研究し、一生懸命練習し、ディスコで踊ることで楽しみ発散しつつ鬱憤を晴らし、キングと呼ばれて一目置かれることで唯一ダンスにのみ自信と情熱を持っているトニー。

 

自分は都会で華やかな生活と仕事と勉学で充実していると言って、ブルックリンに住む人々やトニーを馬鹿にするステファニー。この子が憎たらしいのなんのって!

 

だけど、そんなステファニーも必死にもがいていて、自分より下の人に自分の環境を自慢することで自尊心を保とうとしている姿が非常に痛々しい。

 

そんな2人が出会い、それまでブルックリンの環境に漠然とした不安や怒りを感じつつもダンスに逃げていたトニーが、挫折や、仲間の死や、自分は何も知らず何も出来ず何も持っていない子供だという現実に初めて直面する。

 

あんなに好きで自信があったダンスすら、自分とは格が違う圧倒的なプエルトリコ人ペアのダンスに打ちのめされる。

 

それだけでなく、当時のそのエリアはプエルトリコ人が後から移民してきたマイノリティだったため、実力差は明らかなのにも関わらずトニー達が優勝し、トニー達を褒めちぎる仲間たち。

 

自分にも、周りにも、情けなさや嫌悪や失望を深く覚えるトニー。

 

「このままここで過ごしていたら今自分が嫌悪している周りの大人みたいな人間になってしまう。俺は絶対にそうはならない。絶対に抜け出してやる」と憤り、仲間と共に車でブルックリン橋へ向かう。

 

振り続けているのに諦めずに付きまとい縋ってくる女の子を、仲間たちが車内で次々にレイ〇しても、それを止める気力もない。罪悪感はあるけれど、そんな全てに嫌気しか感じない。(トニーが最低最悪のクズだった唯一のシーン。本当に胸糞悪かった!)

 

そしてブルックリン橋で、人生にも仲間にも失望した友人が自棄になって、最悪の事態が起きてしまう…。

 

車に乗り込む仲間には目もくれず、ひとりで歩いて皆のもとから去って行くトニー。この日はトニーの人生観が変わるようなことが起こり過ぎて、街を一晩中歩きまわりながらトニーは何を考えていたのだろう。

 

翌朝その足でステファニーの家を訪ね、前日の非礼を詫び、それまでの恰好付けや惰性や鬱憤が取れたような表情で、素直な気持ちを話し始める。

 

「仲間とは縁を切ってブルックリンから出て、ここ(マンハッタン)で過ごせるように自分が出来ることはなんでも努力して、君と本当の友達になりたい」と話すトニーの綺麗な目よ;;

 

本当はお互い異性として思い合ってはいるけれど、そこに甘えてはだめだと分かっているし、今の自分には恋人よりも自分を良い方向に導いてくれる友達を、助け合える友達を求めている。

 

そんなトニーの本気を見てステファニーも初めて心を開き、トニーの思いに応える。

 

そして「More Than A Woman」の曲と共に、しっかりと手を握り、優しく微笑み合うトニーとステファニー。

 

それまで生意気で憎たらしく美しさも感じなかったステファニーだったけど、初めて優しさと美しさを感じた。

 

手を握ったままトニーに近づき頬にキスをして、優しくハグし合った姿を残して「More Than A Woman」のエンドロール。

 

その歌詞がトニーの思いの全てで、胸がじーんと熱くなった。

朝日の中で見る君の瞳

雨の中で感じる君のぬくもり

君がぼくから離れると

もう一度抱き寄せたくなる

夏のそよ風のように現れ そして去った

ぼくを愛で包んでくれたね

君のその愛を見せてくれないか

もう一度

君の愛の深さを見せておくれ

ぼくは君から学びたいんだ

ぼくらは愚か者の世界の住人だから

そんな世界を抜け出して

ぼくと君の世界に行く

君を信じている

ぼくの魂に響いたよ

君は暗闇に差す一条の光

どん底のぼくを救ってくれた

ぼくの気持ちに気付いてないだろ

とても深く君を思ってる

 

「サタデーナイトフィーバー」の「フィーバー」って、今まで「熱狂する=ダンスで踊りまくるぜ♪」的なニュアンスだと思っていたけど、今回観て、「熱病=一時的に起こっている病」的な意味も含まれてるのかなーなんて、ちょっと思った。

 

当時の映画なのでまぁ色々突っ込みたいところはあれど、やっぱりダンスシーンもBee Geesもかっこよかったし、トラボルタの演技もすごいし、ステファニー役のカレンのミスマッチ感も最後まで観るとなんかちょっと納得出来た。

 

ウエストサイドストーリーもそうだけど、本作も名作だなと思う。いつかまた観よう。