今日は1月17日、阪神大震災から28年が経過した。
1995年1月17日だ。
 朝5時46分である。
 私は現在地に引っ越す前のアパートにいた。
2階建てだが標高は20mはある。
瀬戸内海の眺めはよい場所であった。
 三原は震度3だった。
7時過ぎに通勤で家を出るので、起きていた。

大きく揺れた。
 それでもあまり被蓋はなかった。
 そのまま、駅に歩いて出て、路線バスに乗って
職場に就いた。
 18日から19日にかけて
按摩マッサージ指圧師および鍼師灸師の国家試験の合格祈願旅行に行く予定であった。
 17日は朝会で翌日の旅行の実施が確認された。
 バス会社がツーリストを兼ねていた
宿泊のホテルもバスも運行できるとのこと。
実施することになった。 
事前準備があった。
  テレビでは神戸市の被蓋の様子が写し出されていた
長田区の火災の状況や電車の高架で折れ曲がって止まっている様子など
映し出されていた。
  昼になって、京都府の八幡市の弟のところに電話した。
無事だとのことで
箪笥の上のものや本棚が倒れてきたとか
震度5だと言っていたかな
 甥っ子が電話に出た
落ち着いていて、おじちゃん 大丈夫だよと答えてくれたのを記憶している。
 18日はバス2台で
合格祈願旅行に出かけた。
 岡山市の最上稲荷に参拝して
受験生のクラスは本殿で集団で祈願した。
担任も一緒である。
 本殿から少し離れた建物で100人程度が昼食を摂った。
 それから駐車場のバスに乗り込み
後楽園を見学して
岡山港に向かった。
 フェリーに乗って小豆島に着いた。
フェリーでもテレビは地震の被害など報じていた。
土庄港からホテルに向かった。
 部屋のテレビは地震で亡くなった方の名前など繰り返していた。
旅行に行っているのが、後ろめたい気もした。
 そんな1月17日から18日そして19日の様子である。
  知り合いにも連絡したら
元気だった。
家具などが倒れてきて大変だったとか。
無事で元気な声を聞くことができた。
 あれから28年がたったのか。
 大相撲の照剛が大震災の日に生まれたとか。
28才である。
この初場所でもいっていた。
6千人以上が亡くなった阪神大震災だ。
 記憶に残さなければならない。
 3月は11日が東日本大震災の日だ。
12年が経過する。
1.17と3.11だ。