こんにちは
今回は
・娘が手紙の返事を書かない理由
・私の小学生時代のエピソード
です。
◎ 娘(小2)について
・小1の3学期から不登校(引きこもりがち)
・支援級がないため市の適応指導教室に通級(欠席中)
・過敏性腸症候群、睡眠障害、母子分離不安あり
・昨年11月、ASDと診断される
特性:視覚優位、偏食、怖がり、勉強嫌い
趣味:ゲーム(マイクラ、にゃんこ大戦争、ほか)
性格:おだやかで優しい、引っ込み思案
◎手紙の返事を書かない理由
おととい、娘に友だちから手紙が届きました。
一文字ずつ声に出して読み、例えば
「◯◯知ってる?」
と書かれていたら
「知ってる!」
と、ラジオDJのように合いの手を入れる娘。
読み終わったあと
「お返事書く?」
と聞いてみたら
「うーん、いいかな」
極めつけに
「お返事くださいって書いてなかったし」
正論というか、なんというか…。
(書いてあげて)
・ ・ ・
◎ あいまいが苦手
幼稚園のお手紙交換ブームのころも、手紙はもらいっぱなしだった娘。
母(おばあちゃん)から手紙が送られてきても、返事を書くのを嫌がります。
昨年末、母(おばあちゃん)に年賀状を書こうと誘ったら
「どうやって書けばいいのかわからない」
「何を書いていいのかわからない」
と言うので
「ここに、明けまして…て書くんだよ」
と、教えました。
娘は「好きなようにしていいよ」と言われると困るみたいで、そういうところがASDらしいな、と思います。
ASDの人には「適当に」「早め」「少し」というような、あいまいな指示が伝わりづらいと言われています。
年賀状の空いたスペースには、一生懸命、ぽすくま(郵便局のキャラクター)を描いてました。
「辰年だから、龍の絵がいいんじゃない?」
と助言したけれど
「くまがいいの!」
と、そこは頑固な娘でした笑
◎私(おそらくASD)の学童期
娘のことを書いていて思い出した、私の子ども時代のエピソードを書かせてもらいます。
・個性的な図工の作品
5年生の図工の授業で【張り子のお面作り】がありました。
帯状の厚紙で外枠(土台)を作成し、濡らした新聞紙を重ね貼りしていきました。
最後に、学校から用意された蛍光色の絵の具(ピンク、黄色、黄緑、オレンジ)を使い、みんなそろって民族風の派手なお面を完成させました。
そんな中、クラスの人気者の女の子(明るくて面白くてリーダータイプ)が、ひょっとこのお面を作ろうとして苦戦していました。
私はというと、枠作りの時点でみんなとは異なり、縦ではなく横長にして、三角の耳をつけて…真っ白に塗って、キティちゃんを完成させました。
思い通りにできて自己満足でした
(今思えば、変わってますね…)
ひょっとこお面の子は担任に好かれていたこともあり、褒められたり気にかけてもらっていました。
私はいっさい触れられないままでしたが、怒られたりけなされなくてよかったです。
・友だち関係
友だち作りは苦手です。
幼稚園ではひとりで過ごすことが多く、自由時間は床に落ちているビーズを探して時間をつぶしたりしていました。
小1から小4までは同じマンションの子が仲良くしてくれて楽しく過ごしていましたが、小5で転校してからはなかなか友だちができませんでした。
既存のグループに入ってもなじめなくて居心地が悪いし、無理に誰かと仲良くするのは疲れるだけでした。
幸いいじめられることはなく、毎日淡々と過ごしました。
一時期、友だちのフリをして近づいてきて、嫌なことを押しつけてくる子がいましたが、そのうち離れていきました。
・体育の授業が苦痛
運動神経の悪い私にとって体育は苦手科目。
4年生までは、できないことがあっても特に問題はありませんでしたが…
5・6年の担任からは「やる気がない」「ちんたら走るな」といつも罵倒されていました。
真剣にやっているのに分かってもらえなくて、誰にも相談できずモヤモヤしていました。
(母にも話せませんでした)
グラウンドでランニング中に、息が苦しくなり過呼吸のようになったことがありましたが、誰も気づいてくれないし、助けを求められる雰囲気ではありませんでした
国語の授業中に手を上げないのも怒られて苦痛でしたが、ひたすら我慢してやり過ごしました。
小学校の卒業式は、本当にうれしかったです
・後日談
大人になってから言われたのは…
学級懇談会のとき、保護者全員の前で「ひとりだけ逆上がりができない子がいます」と担任に名指しされて驚いたわ。
非常識な先生だったよね。
勉強はできて一目置かれていたから、いじめられなかったんじゃないかな。
(母談)
勉強ができた覚えはありませんが…?
ていうか、懇談会でさらされるのひどい
また機会があれば、ほかの話も書かせてもらいます。
ではまた。