大学の最初の寮が、近鉄東花園駅から花園ラグビー場の横を歩いて行ったその先に建っていた。僕は大学入学時には、まだコンタクトレンズなんていう魔法の道具を知らなかったので、メガネも合ってなかったのであまり世界が見えていなかった。見えていないことは、僕にもたらされるべき利益をかなり奪うのだと思っていた。


一度なんか、花園ラグビー場の向こうから同じ大学の寮生である磯村くんが歩いてきたと思い、なぜかハイテンションで「おーい」なんて声をかけて手を振った。相手はまったく関心がなさそうに辺りを見回しもしないから「何だよ、何スカしてんの?」と(僕らしくなく高いテンションで)言いながら近づいてしまった。かなり近づいたところで「ち、違うぞ…磯村じゃない…」と気づいてしまったが、そのテンションをなかったことにはできずに「おーい、なんだよ、磯村ぁ」と少しボリュームを下げて言いながら通りすぎても手を振り続けた。一緒にいた親友の萬田くんはシニカルに「なぁ、磯村じゃなかっただろ。ずっと前から気づいてたけどさ」と言いやがった。「何で教えてくれなかったんだよ!」と非難するのはフェアではない。横にいる友達が、突然そこに居もしない友達の名前を大声で叫んで手を振り出したら、それもかなりの勢いでスタートを切ってしまったら、放っておいてやるのが最良の方法だとわかるだろう。だって止まらないんだから、どう考えても。


「お前かなりヤバい奴だったぞ…」って超真面目なトーンで言われたことの方が傷つきはしたが、60円の紙パックジュースを買って萬田にプレゼントして帳消しにしてもらった。それからしばらく2人の力関係が決まったのは言うまでもない。


萬田くんは本当に純粋でいい奴だった。2人とも真剣だったし、よく勉強した。スペイン語会話クラブでも互いに競い合う仲だった。身長もその低さで競っていたし、貧しさも近い感じだった。僕は他人の部屋に行くのが苦手だったから、もっぱら萬田くんが僕の部屋に来ることが通常だった。2人して黙って僕の白黒テレビをコトリとも音を立てずに見てたりした。お互いに文句がある時はきちんと言い合ったし、だからと言って関係が壊れることもなかったのは本当に不思議だった。


僕は彼がいなかったら大学生活をうまくこなせていなかったんじゃないかと思う。それはこれだけ長い時間を経てやっと言えることで(僕は点と点を結べない何らかの欠落を抱えているから)もっと早く彼を訪ねて感謝の気持ちを述べるべきだったと思う。他の誰でもない萬田くんに感謝の言葉を伝え、なんなら少しハグをして(彼が嫌がったらしないけど)、どちらかに何かあったら知らせ合おうね、くらいは伝えておくべきではないかな。


何でこんなことを書き出したのかと言うと、僕の記憶が少しずつ危なくなってきているんじゃないかと懸念しているからなんだ。この一年、仕事関係のことでの失念が増えてきている。そして僕は失いつつある記憶を、想像力(創造力)で埋めていっているのではないかと思うようになった。それは悲しいことかもしれないし、楽しいことなのかもしれない。でも周りにいる人には理解しておいてもらわないといけない。「嘘つかないで」とか「そんなことなかったよ」と言われると僕は混乱するかもしれないしそのことで相手が腹を立ててスリッパの裏とかで殴られたらどうしようと考えてしまうのです。


僕が「磯村ぁぁ」と名前を呼びながら手を振っていた時、そばにいたのは萬田くんだったんだろうか…僕は1人でいて知り合いはいなかったんじゃないかと不安になる。僕くらいしか覚えている人はいないのだから検算のしようはない。でも、記憶の残量や正確さは程度の問題に過ぎなくて、まぁ目くじら立てないでいこうよ!というのが正しい解決方法かもしれないし…


そんな僕の限界を理解してそばにいてくれる人を探しに行かないといけない。老後は厳しいぞ。


風立ちぬ、いざ生きめやも