突然問いかけますが…


母さん、あの小劇場への情熱

どこにいったんでしょうね

どこに行ってもどこかの劇場で

ワクワクさせてくれる芝居が

挑みかかってきた、あの熱ですよ

母さん、あの熱が僕は大好きでしたよ


「人間の証明」で事件を解決する鍵となる西条八十の詩を少し借りて、出来の悪いオマージュ。お許しください。


つかこうへい事務所

第三舞台

夢の遊眠社

東京サンシャインボーイズ

善人会議

天井桟敷

自由劇場

大人計画

劇団⭐︎新感線

演劇集団キャラメルボックス

売名行為

劇団3◯◯

劇団離風霊船


イヤイヤこんなもんじゃありません。あの頃、何も考えずに東京に来て、当日券に並べば芝居が観られる環境が整っていた。


中でも特筆すべきは、野田秀樹さんの遊眠社の全活動だし、その後のNODA MAPのプロデュース公演の多様で豪華なこと。体育会系のノリから程遠いところにあった松尾スズキさんの大人計画。卑屈で綺麗とは言い難い人間の内面をえぐって提出する松尾さんの脚本にはタブーなど通用しない。笑いながら心が冷え、なんとなくヒトを愛おしく思わせてくれる「マシーン日記」「悪霊」「ドライブインカリフォルニア」「ふくすけ」「生きてるし死んでるし」などの意欲的な作品群の垂れ流し。T.P.T(シアタープロジェクトトウキョウ)でのデビッド・ルヴォー演出で息を吹き返したチェホフやイプセンの作品たち、シェークスピア、スキャンダラスなゾラの「テレーズ・ラカン」や「チェンジリング」三島の「近代能楽集」「燈台」を隅田川河畔のベニサン・ピットを主戦場に名作を生み出していった。


ベニサンで「燈台」を観た時は、その空間にやられた。元々醤油工場だった場所を劇場に仕立てたもので、観客はなんだか異物の腹に飲み込まれたかのような興奮と劇場から受ける圧の強さから、芝居に対する熱量を食い尽くされる恐怖を味わった。


『ここはお前たちが浅はかなエンタメを求めてくる場所じゃない。あくまでも醤油を作る現実的な場所に過ぎない。』少しでも気を抜くと劇場が劇場であることを放棄しかねない緊張感がある。そんな小屋には金輪際出会ったことがない。醤油作りと芝居作り。アルチザン(職人)とアーティスト(芸術家)がどう折り合ってくるのかを問い続けている場所として迫ってくる。もう一度、あの異物感を味わいに隅田川河畔を訪れたい。


※デビッド・ルヴォーの仕事は、評論家の長谷部浩の「傷ついた性」という著書を読んでいただくと、その本質にいくばくかでも近づけると思う。


ルブォーの師でもあり、友人であるハロルド・ピンターの「背信」はぜひ読んでみて欲しい。その発想と構成の斬新さは有効に機能している。しかし、フリオ・コルタサル(アルゼンチン1914-1984)の「石蹴り遊び」ときたら…ラテンアメリカの小説については、後に譲ろう!