もしかしたら…と期待はしていたのですが、一番上の賞に当選してしまいました。

加賀の國まるごと巡りモバイルスタンプラリー。

いろんな場所を巡ってポイントがたまればたまるほどいろんな賞に応募できる。私と夫は一番困難な?150ポイントを達成し、抽選で6名様に当たるという温泉宿泊券を目指したのですが・・・。

 

まあ宿泊券がダメでも特産品にはひっかかるんじゃないか。と思っていたら・・・なんと一番高額の賞、温泉宿泊券に見事当選してしまいました。

しかし・・・。

 

私も見落としていた落とし穴が。

 

この温泉宿泊券、てっきりペアで宿泊できる券かと思いきや・・・「10000円相当」の、宿泊券。つまり…1万を超えた分は自腹!!がーん。

 

いやいやそこは…無料宿泊券にしてほしかった。確かに値段的には、他の特産品が5000円相当だから、倍の金額だけどさ…でも宿泊券も辰口温泉指定(!!)で、辰口温泉って3軒しか温泉旅館がなくて、そしてけっこうどこもお高いんですあせる

 

比較的リーズナブルなたがわ龍泉閣さんですら1泊2食おひとり18000円超える…2人で行ったらもう4万コース。それで1万が差し引かれても…自腹3万は厳しい笑い泣き

 

まさか辰口温泉指定だったとは。そして10000円を超えた分は自腹だったとは…。

 

ただこの宿泊券ですが、名前は宿泊券でも、お食事だけとか、なんなら売店利用だけでも使えると書いてありました。でも調べてみたら、日帰りプランも全然なくて、唯一夕食プランがあったたがわさんはお一人8000円から…(しかも平日のみ)。これまた2人で行くと16000円超える。やっぱり自腹。

 

こうなったら売店利用だけして、売店で1万円分使っちゃえばいいのか。どうしよう。

 

当選したことは嬉しいけど、どう使うべしか…迷う所ですDASH!

 

最近けっこうこうして当選することがある、というか今年は応募したものすべてに当選しているのがすごいなあと。自転車も能登かきも宿泊券も当たってしまった。自転車以外は競争率が低そうなものを選んでますが。こういう年もあるんですねえDASH!

 

ダイヤグリーン4/21(日)は東京浅草にて「みんなの癒しフェスティバル」に出店します。

空き時間は15:30~17:00です。

スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円(延長は10分1000円)です。

ダイヤグリーン4/22(月)は浅草or羽田空港にてスピリチュアルカウンセリング、ティータイムの募集をします。

空き時間は 7:00~11:00(浅草某カフェ)、11:00~13:00(羽田空港)です。

ティータイム(お弁当なし)は1時間2000円です。

ダイヤグリーン毎月第一日曜日は白山「Qui」さんにて11~16時待機していますが、5月はお休みいたします。6月からまた通常通りです。

全てのお問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。

 

 

さて、スピリチュアルカウンセリングをしていると、身内の方、大切な方を自殺で失った経験を持つ方にも多く出会います。

 

宗教とか特定の教えによっては、自殺すると地獄に行く?とか、もう浮かび上がれないとか…そんな怖い話を聞くこともあるかもしれませんが、私自身これまでの経験と、さまざまな本を読み、いろんな方のお話を聞き、そしてイギリスで学んだときの先生がたの教え、そしてミディアムシップを長年していらっしゃる方々のお話を聞くとですね…自ら命を断っても、地獄には行かない。ということが納得できるようになりました。

 

私自身も、亡くなった方のエネルギーをリーディングしようとすると、自殺した方でも…別にエネルギーが重くもないし、苦しんでる感じもしないんです。むしろ生きていたときよりも軽やかになっている方が多い。きっと向こうの世界でいろんな方に助けられたり、自分でも人生の振り返りや霊界での学びを頑張られたのだと思います。

 

自ら死ぬことを選択しても、この世での家族や愛する人たち、友人たちが祈りを捧げることで、その祈りがろうそくの光のようにあの世では見え、その光に導かれ、ちゃんと進んでいけたりすることがあるようです。やっぱり自分ひとりの力だけで存在するわけではないんですよね。いろんな助けがある。霊からも、生きた人間からも。あの世にも、困惑している、彷徨える魂を救う役割の存在たちがいます。

 

迷える魂を救うお役目の霊たちもたくさんいる。なので、私たちは一人ぼっちでもないし、全て(成仏まで?)をたった一人で、誰の何の力も借りないでやらなくちゃいけない、ではないんです。宇宙は完璧な愛、ですから。

 

しかし自殺した魂の中には、亡くなっても自分が生きてる(魂としては生きてるので)ことに混乱し、受け入れられず、おかしい、感情もまだ残ってる(生きていたときの感情はまだしばらく残ります)ので、死んだはずなのに死んでない!と勘違いする霊がいるらしく、自分は自殺に失敗した、と勘違いし、さらに死のうとするそうです。

 

そして生きている人間で、自殺願望がある人にいわば憑依して、そしてその人の体を使ってまた死のうとする・・・と書くと、怖い感じがするでしょうか?でもそういうケースはほんとに一部なのです。「一部」です。「全部」ではない。

 

ここに…混乱と勘違いがある気がします。ごく一部の例を、さも全部のケースであるかのように広めた人がいたのか、広まってしまったのか…。

 

自殺した魂が、何を感じ、何を考え、何を伝えようとしたのか。それが事細かにわかる本を、以前ブログでもご紹介したことがあります。

エリック・メドフスの『死は終わりではない』。内容も過去記事で少しご紹介しました。

 

 

この本ですが、今アマゾンで見てみたら…もう取り扱い中止。そして中古で買おうとすると14500円!?まじか。

 

以前買っておいてよかった。気になる本はその場で買っておけばいいんですね。そして読んだあと、ブログ読者の方にお譲りしたので手元にはないのですが、その方もどなたかにお譲りしたみたいなので、きっと必要な方のところに今もあるはず。

エリック君は双極性障害で自殺してしまいましたが・・・もちろん、地獄には行っていません。

 

精神疾患があろうが、麻薬中毒で自殺しようが・・・この世の人たち、家族に感謝し、自分はもう大丈夫だよ、元気だよ!というメッセージを送ってくれることがなんと多い事か。自殺した魂は地獄へ落ちる、という人は、こうした魂たちのお話を聞いたことがないのだと思うのです。知らないだけなんですよね・・・。

 

エリックくんなんて大きなお役目をもらっちゃうくらいですしねえ。自殺してもいろんなお役目の道があります。

 

自死した人は、暗い所にいる。這い上がれない。地獄で未来永劫苦しむ。ということを言っちゃう人は・・・「愛」がないのだと思います。

 

宇宙は、神は、完全なる愛の存在。そのベースというか根本を信じられていない状態なのでは、と思います。

 

自殺したら二度と救われない。ということは…二度と更生のチャンスを与えない。という考えですよね。一度間違った方向に行ったら二度と許さないぞという。

 

一度ミスしたら二度と許さない。と、

 

ミスしてもチャンスがあるよ、と。

 

果たしてどちらが、「愛」を感じるか?

 

自分がとんでもない間違いを犯してしまったとき。それを一生許さないしお前は未来永劫罪悪感を感じて生きろ。という「神」と、じゃあこういうふうにして修正していきましょう、こうしていけばバランスを取り戻せますよ・・・と教えてくれる「神」と、果たしてどちらに、「愛」を感じるか。どちらの波動、次元が高い気がするか。

 

この世には「愛」がある。と信じられている人は、たとえ自死した人がいても、そこにも必ず愛はある、と信じられる気がします。「愛」の存在を知っていれば、それは誰に対しても分け隔てなくあたわるものだと信じられると思います。

 

自死したらもうおしまい。二度と救われない。地獄。と言う人は、・・・「愛」を感じる経験が少なかったのでは?という気がします。だからダメだ、霊的に低い、ではなく、そういう人は、これまで・・・人生、自分ひとりの力で頑張ってきたことが多かった人のような気がするのです。

 

誰も助けてくれないとか。誰も私に手を差し伸べてくれないとか。みんな私のことを嫌ってるとか・・・。この世でつらいことが多くて、そしてその結果、自分ひとりで頑張るしかない。という生き方が強くなると・・・大いなる愛なんて、そんなもの感じたことがないから信じられなくて当然だと思います。愛が少ないイコールその人がダメ、ではなく、今まで一人で頑張ってきた人のような気がします。

 

じゃあどうやって自分の中にある愛を感じるか。この世の愛、優しさを感じるか。

 

一番感じやすいのは…自然界なのでは、と思います。

 

圧倒的な大きさ、美しさ。朝日が昇るのを見て、満点の星空を見て、流れ落ちる滝を見て・・・何も感じない人は少ないような気がします。

 

愛を一切持っていない人はいないと思います。小さい赤ちゃん、ペットさんや、お花や…何かを見て、ああかわいいな、と思える気持ちがあるなら、それは愛です。

 

自然を見て美しいなあと思う気持ちがあれば、それは愛です。

 

誰かのために何かをしてあげたい気持ちになったことがあるなら、それも愛です。

 

愛のかけらもない人なんていないと思います。ただ私たちは忙しすぎたりすると、自分の内側にある豊かさって忘れがちになりそうな気がします。

 

時間に余裕があれば、我が子のお弁当ひとつとっても、あの子はこれが好きだからこれ入れてあげよう、なんて思うけど、時間に余裕がないと、ああもうなんでこんなめんどくさいことしなきゃいけないのよ!!という気持ちになる。どっちも自分です。どっちも嘘ではない。時間のあるなしで、愛と優しさがある「自分」になったり、罵りの言葉を吐く「自分」にもなれる。どっちにでもなれる。だからどういう環境を自分に用意するか。そして時間的余裕があるかどうか、も大事かもしれない。

 

結局自分なんて、環境次第でいくらでも変わるし、変動的なものだと思います。だから「あの人はこうだ」ってのも、絶対的なものではない。人間なんて天使と悪魔をいったり来たりするものだから。

 

自死した人がどうなるか、のとらえ方で・・・その人が愛をもってこの世界を見ているかどうか、がわかるかもしれない。だけど、愛をもってこの世界を見ることが難しくても、これからいくらでも変化はあるだろうし、チャンスはある。そしてあまり愛を感じられないまま一生を終えたとしても、また次のチャンスがあるはず。次はもっと愛を感じて生きてみたい、と設定して生まれてくるかもしれない。

 

宇宙愛ってどんなものなのか。私は、太陽みたいなイメージを持っています。

 

誰に対しても平等に、素晴らしい人にも、罪を犯した人でも関係なく、光を注いでくれる。変わらず注いでくれる。毎日毎日。

 

私たちは、自分の心臓ですら、自分たちでどうにもできません。心臓をえいっと止めることもできないし、自分の意志で動かすこともできません。だけど今この命があるのは…大いなる存在が、それを許してくれたからこそ。

 

ふと、見渡すと・・・。この世には「いのち」がたくさんあります。

 

住宅街でも、毎日鳥の声が聴こえて、生きているいのち、の姿を見せてくれます。道端には可愛らしい花が咲き、美しい姿を見せてくれます。

 

お散歩しているワンちゃん。ベビーカーに乗った赤ちゃん。風にそよぐ木々の葉っぱ。

 

今、こうして…生きているならば。このあたわったいのちを、しっかり味わっていきたい。感謝とともに。・・・そんなふうに、思ったりします。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ