前回の記事 で述べたように、『落窪物語』のあこぎは、まだ裳着をしていない、女童(めのわらわ)です。
年齢も、14歳ほどと考えられます。
しかし、あこぎには、文を通わせる「帯刀(たちはき)」と呼ばれる男性がいました。
本名は惟成(これなり)といいます。
実は、あこぎがこの帯刀と関係を持つことが、姫君に幸運をもたらすきっかけになるのです。
文を通わせるうちに、あこぎと帯刀は次第に愛し合うようになり、帯刀があこぎのもとに通って住むようになります。
現代でいうと、半同棲する、といった形でしょうか。
2人が色々話す中で話題になったのが、お互いの主人のこと。
あこぎにとっての主人は姫君。
帯刀にとっての主人は、母親が乳母として仕えている少将。
あこぎは、何とかして姫君にすばらしい男性と結婚して今の境遇から抜け出してほしいと思います。
帯刀が少将のもとで姫君の話をすると、色好み(女好き、チャラ男といった感じ
ですね)の少将は興味を持ち、家来の帯刀に、あこぎを通して姫君と逢わせるようにしろ、というのです。
ぜひ、その顛末は、『落窪物語』を読んでいただきたいと思うのですが。
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平安時代は男女ともに成人式(男子は「元服」、女子は「裳着」といいます)が14歳前後ですから、現代の日本人に比べて、結婚がとても早いんですね。
30代で孫、なんて、ざらにいますから。
とはいえ、さすがに平安時代においても、成人式を挙げてから結婚するのが一般的でした。特に深窓の姫君であれば。
しかし、あこぎは成人式にあたる裳着をしていません。
ではこれは例外なのか……と思ってよく調べてみると、平安時代にも、成人式をする前に、男性を通わせる女童がちょくちょくいるのです。
これについては、拙稿「女房の裳着―『落窪物語』あこぎを中心に―」(古代中世文学論考 第31集 2015年10月)で挙げているのですが…。
古代中世文学論考第31集
①先帝の御時に、ある御曹司に、きたなげなき童ありけり。帝御覧じて、みそかに召してけり。これを人にも知らせたまはで、時々召しけり。さて、のたまはせける。
あかでのみ経ればなるべしあはぬ夜もあふ夜も人をあはれとぞ思ふ
とのたまはせけるを、童の心地にも、かぎりなくあはれにおぼえければ、しのびあへで友だちに、「さなむのたまひし」と語りければ、この主なる御息所聞きて追ひいでたまひけるものか、いみじう。(『大和物語』一三四段)
まず、帝が、妃の一人である御息所に仕える童と関係を持ってしまっています!!
これはいわゆる「召人(めしうど)」というやつですね。お手つき女房、などとも言われます。
現代の倫理観では信じられないような話ですが、当時はさほど不道徳なものとされていませんでした。
それより、嫉妬して女童を追い出した御息所に対し「いみじう」と非難の言葉が述べられています。
② おなじ所(=道長の娘の彰子)に、はやうやすらひとてさぶらひけるわらはのもとに、この御なのりして人いりぬとききたまひて
あやしくもわがなのりそをいせのうみのあまたの人にかかるめるかな(『定頼集』一三六)
こちらは、道長の娘である彰子のもとに仕えていた「やすらひ」という名の女童と、三船の才と言われた当代一流の文化人藤原公任を父に持つ貴公子、藤原定頼のエピソードです。
定頼本人ではなく、定頼の名をかたって誰か別の男性が通ったことを揶揄した歌になっています。
というわけで、成人式を挙げていない女童が男性を通わせること、当時としては広く認められていたと考えられます。