守田比呂也の見たり聞いたり、話したり -6ページ目

ホネかコツか?

「肩をだいてはくちぐせに

どうせ命はないものよ

死んだら骨をたのむぞと

いい交わしたる二人仲」


この歌詞を読んで任侠物の殴りこみ場面をイメージしたひとはアウトです。これは明治のころの軍歌「戦友」の一節である。蛇足ながらこの軍歌はやたら長くて十何番まであり、昭和の軍歌には例をみない。またその内容からいっても行進中の兵士が合唱するにはふさわしいとは思えない。


昭和の軍歌の一例。

「万ダの桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く」

 大和男児と生まれなば 白兵戦の華と散れ」

このようにまことに勇ましいもの。どうせ命はないものよなどと、とりようによってはふてくされたような歌詞は昭和の軍歌には絶対にない。


思うに、ここ数年で軍歌をくちずさむ人はこの国からいなくなるのではないか。そうなると現存のCDは貴重なものになるであろう。ところがCDによっては歌詞が違っていたり、全部の歌詞が入っていないものがあったりする。たまたま手元にあるCDは「戦友」一曲だけのもので、一番から十四番間で間奏なしで歌いきるという珍品である。

このなかに例の--死んだら骨をたのむ--というくだりがあるが、気になるのは、--死んだらコツ--と歌っていることだ。

確かに骨はコツと読むほうが多い。遺骨、散骨、骨盤のほか人体の骨はほとんどコツよみである。肩甲骨、頭蓋骨,肋骨など。

ホネのほうは、骨折り損、骨惜しみ、背骨などがあるが数量的には少ないようだ。それでも「骨を拾う」はやはり「ホネを拾う」ではないか。


--お前のホネは俺が拾ってやる--というのは仁侠映画のきめ台詞で、--お前のコツは--というのは聞いたことがない。もしかするとCDの制作時にディレクターの好みでホネからコツになったのではないか?もとになった軍歌の本にフリ仮名があったとは思えないけど・・・・


そもそも、軍歌を文化の一つとして保存しているところがあるか、あれば陸海の自衛隊か。

CDがまだなかったころカラオケには必ず軍歌が何曲か用意してあったが、版権問題など、どうなっていたのか。あのころカラオケで一緒に歌ったお父さんたちはどうしていらっしゃるのか、ふと懐かしくなった次第です。 

臨海線に乗って

各政党の代表選出戦が始まって、政治家の身なりが急にキチンとなってきた。毎年のことだが夏期に入るとクールビズとかで政治家たちはネクタイを着用しなくなる。ネクタイはしないがスーツの上着は着る。これがなんともだらしのない服装と思えるのに平気で議会に出てくる。国会議事堂には当然エアコンが置いてあるだろうが、何度に設定しているのだろうかといつも思う。ネクタイ一本の着否でどれくらい体感温度が違うのか。たいした違いはあるまい。それが証拠に総理大臣は常時ネクタイ着用である。(元総理でノーネクタイの方もいらっしゃるが)


それが代表戦が近づきTVに映る機会が多くなると、皆さんネクタイ着用姿となる。ならばふだんからネクタイをつけろよ。


以上、近ごろ見苦しきもの。


♪コドモダケ、コドモダケ


TVから流れるCMソングが耳に入った。その瞬間頭に浮かんだのは「こども茸」という「きのこ」のことだった。しかし、今まで聞いたことのない「きのこ」の名前である。次に浮かんできたのは「こども岳」という山だったが、どちらにしてもCMソングとしては何を発信しているのか、聞いているだけではサッパリわからぬ。

2、3回して再びこのCMを観た。今度は何のCMか見定めようとしたが、画面に大勢の子供たちが映っているだけで商品は出てこない。そこで納得した。コドモダケというのは「子どもだけ」で要するに大人は対象にしていないということだ。アクセント一つで言わんとしていることが全く通じないというのも恐ろしい話であるが、結局何のCMかはわからずじまいであった。こどもだけというのだから、ジジ、ババには関係あるまい。


わからぬCMといえば、随分長い間TVでお目にかかっていながら、いまだに理解できないのが非破壊検査株式会社。何の会社で、何を売ってはるのですか?


3ヵ月に一度、ドクターに会って近況報告をする病院が臨海線の沿線にある。いつも大井町でJRから臨海線に乗り換えるが、そのたびに思うことがある。

ひとつは臨海線の大井町駅が地下のどれくらいの深さにあるかということ。地下鉄大江戸線が都内で最も深いところを走っていると思っていたが、臨海線はさらに深いように思う。この沿線の駅名がまたすごい。

天王洲アイル、東京テレポートなど、なんのこっちゃとぼやきたくなるような名前が続いている。そして病院のある駅へ着いて地下から改札口のフロアに上がると、これが数ある路線のローカル駅かと思わすようなドーム型の天井を持った構えになっている。


復元になった東京駅のドーム天井が評判になっているが、有明と呼ばれる臨海地区に存在する国際展示場駅のドーム天井もなかなかの趣きがある。


病院の帰り、ドーム駅のホームに降りると「赤羽行きが参ります」というアナウンス。多摩川のほとりに帰る人間が東北本線の赤羽行きに乗ってどないするんじゃー。頭の中の回線がパニックを起こしながらも、無事に往路の逆コースで大井町に着きました。

臨海線というのは、なんともユニークな鉄道なのであります。






健さんの白い靴下

久しぶりに高倉健さんの映画を観た。題名は“あなたへ”(降旗監督)。

・・・健さんも老けたな・・・まず第一の感想である。こういう場合、まことに勝手ながら自分のことは棚に上げての話で、仁侠映画で観客をうならせた(私もうなった方)頃と同じ健さんである筈がないのは万々承知の上です。


高倉健さんは帽子(キャップ)の似合う人で、帽子のかぶり方がいつみても上手い。今回の映画でも刑務官時代の回想シーンで、制帽を着用しているシーンが何回かあったが、他の役者より格段にうまい。


私どもの年代の人間は制帽のかぶり方をみるだけで、その人がきちんとした人間か、そうでないかを区別するクセがある。刑務官の制帽を脱ぎ、普段のキャップ姿になっても健さんの帽子のかぶり方は変わっていなかった。それだけでこの人物は誠実な性格であることを表現しているように思えた。


50年以上も昔のことだが、江利チエミさんとテレビドラマを何本か御一緒したことがある。多分、赤坂の局でナマ放送の頃である。その時、健さんがチエミさんをお迎えに来られたのか、局の廊下で何度かお見かけしたことをふと思い出した。


今回の映画は所謂ロード・ムービーと称されるもので、富山から長崎までの道中で、いろいろな人たちと出会いながら物語りが展開されていく手法である。


健さんの役どころは、富山刑務所の刑務官を定年退職、そのあとも技官として囚人の教育に当たっているという設定だから、年齢的には70歳チョイ前か。亡くなった妻の遺言で彼女の故郷である長崎県の小さな漁港へ散骨に向かうべく富山を出発するところから物語りは始まる。


穏やかにスタートした話のリズムが急変するのはスマップのクサナギ君の出現からである。起承転結の理からいえば、まさしく「転」の部分ですべてが急変調する。「転」の部分の余韻は「結」に入ると荒天の海につながる。散骨に向かう漁船も見つからず、紹介された老漁師との間にいわく因縁のあることがわかってくる。最後はこの老漁師の舟で沖合いに出て、無事散骨が終ってエンド・マークとなる。


この映画で妙に印象に残ったのは健さんの靴下であった。

散骨のための船を出す小さな漁港で、波の状況を確かめている健さんのロング・ショットで目に留まったのだ。その一コマに健さんの履いているのが白いソックスだと判る瞬間があった。

それだけの話しであるが、何故か微笑ましい気になったのです・・・。


P.S, 昔、軍隊にいた頃、支給される靴下は白だけだった。現在、刑務所に勤務する公務員も白い靴下着用の規則があるのかも・・・?