こんにちはニコニコニコニコ

 

森瀬真理ですビーグルしっぽビーグルからだビーグルあたま

 

今日は真夏日でしたね。

 

日向ぼっこしながら瞑想をちょっとして、セルフヒーリングしたらまんまと寝落ち。

 

電話で目が覚めたら暗くなってた。

 

ヒーリング後はどうしても眠くなりますね。

 

回復のための睡眠なので目覚めた時は頭も体も空っぽに軽くなりますよ。

 

 

 

本題です。今日は難解で長いです。気合い入れて頑張って読んでください。

 

 

人間だけが『なぜ生きているのか?』『なぜ死ぬのか』を思う

 

動物が補食される時『なぜ?』とは思いません。

 

花が枯れる時も『なぜ?』とは思いません。

 

 

 

私はアニマルコミュニケーションもやりますがペットたちは目的を持って、飼い主様を選んで産まれて来るので、

 

生きていることに『なぜ?』と思うことは無いし  亡くなる時も『なぜ?』とは思わない。

 

 

 

むしろ、本人が意思を持ってちゃんと意味があってその時を迎えます。

 

そして、肉体が無くなっても魂は続いていくと知っているので、死を恐れることは無いです。

 

 

寂しく思う事はありますが、悲しむ事は無いです。

 

大好きな飼い主様が亡くなられて、後を追いかけて自死を選ぶ動物もいます。

 

死は通過点の1つに過ぎないからです。

 

(この下書きを書いた後にフォロワーさんのブログで死は通過点と言う記事に出逢うってミラクル)

 

 

人も潜在意識では同じようにわかっています。

 

 

 

 

 

では、なぜ?人間だけが生きること死ぬことに『なぜ?』を思うのか?

 

 

それは【人間には、自分たちだけでなく全ての命を守るという役割を与えられているから】だと私は思います。

 

 

そのための手段として1人1人に使命があります。

 

たくさんの経験と繋がりの中で

 

愛、優しさ、思いやり、助け合いなど使命を果たすために多くの事を学びます。

 

 

音感を通して、スポーツを通して、

 

家族との関係や仕事を通して

 

感謝の心と役に立ち分かち合う喜びを学びます。

 

 

そうして心の琴線にふれる出来事をエネルギーにして、与えられた使命を果たします。

 

 

もう一度書きますね

 

生きてる意味や死ぬ意味を問うのは人間だけです。

 

 

それは人間だけが生き残る為ではなく、人間が全ての命を守るために特別に与えられたものなのです。

 

 

ただ、全ての人間が同じ役割でも、そこに至る過程のどの地点にいるかによって必要な経験は違います。

 

 

 

 

私がこのように思う理由は前世にあります。

 

短めに書きますね

 

チベット山脈(映像なので多分)で部落民の私。シャーマンでした。

 

雨ごいをして雨を呼んでいました。初めは村の皆に喜んでもらうのが嬉しくて能力を使っていた。

 

そのうち、うわさを聞いた街の偉い人(国王みたいな人)に呼ばれます。

 

最初は華やかな生活と民衆からの賛美を浴びて能力もさらに拡大していきました。

 

産まれ育った村にもお金が入り嬉しかった。

 

でもそうなると、欲が出てきた国王。民衆の声も怒号と化していきました。

 

セレモニーは過激さを増していく一方で、疑問を持ち始めた私の能力は低迷していく。

 

国王の強引さに後に引けずカムフラージュのように生贄をつかったりして、民衆の気を引くようになる。

 

 

どんどんエスカレートしていき、

 

その日はやってきた。

 

大きな焚火の前に座り無理だとわかっていながらフリをする私。

 

その周りにサークル状に繋がれている11頭のラマ(これも映像なので多分ラマです)

 

順番に大きな なた のようなもので首を切られて倒れていく。辺りは血の海で染まっていきます。

 

 

 

 

その中の1頭がもうすぐ自分の番がくるというとき、私を見て『これでいい』と。

 

そのラマの真っすぐな目を見て、その言葉を受けて、その日の夜に私は炎に身を投げて自ら前世を終わらせました。

 

 

 

 

この話がここまで見えるようになったのは何度も前世に遡ることを繰り返していくうちにです。

 

それこそ10回以上とか。少しづつすこしづつです。

 

きっと、いきなり最初からは受け止め切れないと思って徐々に思い出すように働いたんでしょうね。

 

 

 

 

それでもその目はかなり衝撃的でした。膝から崩れ落ちてしばらくは止まっていました。

 

これでいいって??いいわけないよ!何が?なんで?どうして?

 

自分の存在自体を諦めたい感情すら湧いてきました。

 

ただの妄想か空想と思いたい。でも繰り返す度に鮮明になっていく。

 

間違いなく私自身だとわかりすぎるくらいわかる感覚に大きく息を吐くしかなかった。

 

 

 

そうしたらその時のラマなのか?ハイヤーセルフなのか?守護神様なのか?

 

言葉が聞こえました。

 

 

 

この前世の経験は私が

 

地位と名誉とお金に心を奪われて多くの命を傷つける事がどういうことなのかを知るために必要な事だったからと。

 

権力に巻かれて気が付いているにもかかわらず勇気が持てなかったらどれだけ後悔をするかを知るために必要な事だったから。

 

と。

 

 

 

肉体的暴力も、言葉の暴力も、無言の暴力も相手に与えた痛みと同じ痛みを自分も受けるのです。

 

何かを傷付けた時、同時に同じ傷を自分自信も受けるのです。

 

 

 

今はfMRIによって測定ができるので、肉体よりも言葉、言葉よりも無言(サイキックアタック)がより脳の深いところに反応します。

 

*fMRIは脳の活動を測定するサーモみたいな画像診断の機器ですね。

 

 

 

現代の日本はとても治安が良く格差も他の国に比べれば少ない方なので、イメージがわかないかもしれません。

 

ミャンマーやアフガニスタン、インドの情報は入ってきています。

 

アメリカや中国のように先進国でも格差問題は日本とは比べ物にならないレベル。

 

 

 

本来進むはずの方向とは逆の事を必要な事として体験している人たちがいます。

 

もちろんわかりにくいだけで日本も同じ、どこのエリアも正と逆が半々くらいです。

 

正が何であるかを知るために必要な逆の人生の人がいます。

 

 

生まれ変わりの中で各ステージごとに正と逆を繰り返します。

 

以前にも書いていますが、人生のテーマはお金や環境など離れたところから最終的に自分自身と向き合う事になります。

 

 

そこそこ長いのでそろそろ終わりにします。

 

ずっとそうですけど、私が書いている事って誰かに教わったとか何かで読んだとかじゃないので

 

勉強しなきゃという気持ちはありますが、今は犬たちとの時間を優先したいので

 

世間に標準的な表現があるのかもしれない事をわかりにくく書いてしまっているかもと思っています。

 

ご面倒をおかけしますが、その点をご考慮いただいてお読みくださいますようお願いします。

 

 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございます