5年ほど前に母が病気を患い、実家では父が老老介護をしています。
元来何かと命令口調でせっかちな父。
かつては『男は座って食事を待つ』のか当たり前だった父が、今。
レシピサイトを検索してはノートに書き写し、せっせと食事の準備をしているのが何だか微笑ましい。父のどこに、そんなホスピタリティ精神があったのやら。
母は病気で言いたいことを何でも言える自由を失ったけど、いつもニコニコ微笑んで、娘の自分が言うのもなんだけどとても可愛らしい。自分に娘がいたらこんな感じなのかなぁ、と、コレまたおかしな話だけど…実の母親に、ほのかな母性愛を感じる日が来るなんて思いもしなかったなぁ。
母が何か伝えようとして、父がそれを何度も聞いて分かろうとする。それでもやっぱり分からなくて、痺れを切らした父が『あぁ〜もぅ分かった分かった!』🙌と言う。本当は父が分かってないのを分かって、最後には『もぉいいよ』と母は拗ねてプイッとする。『もぅ母さん、何言っとるか分からんのよ〜』とお手上げ状態で匙を投げる父を見て、家族みんなで笑う。何にも解決しとらんのに、まぁいいかそんな気持ちになる。
あぁ、幸せってこういうことなのかも
そのやりとりの時間が、愛しいなぁと思いました。
まぁ父は相変わらずせっかちでベキ思考の持ち主なんで、帰省中イラッ💢とする事も正直あるんだけどね
そんな帰省で、今回持ち帰って来ました。
ばぁちゃんの畑の小屋にあった錆びた椅子
小学校の夏休み🐛
山の畑仕事
麓の小学校のプール🏫
バタ足の音🏊♀️
蝉の声
溶けかけたアイス🍦
汗ばんだ顔
ほっかむりの下の笑顔
日に焼けた肌
物質の向こうに見える情景
『懐かしい』では足りないもの
これこそサウダージ『郷愁』なのかも
実家のリビングも、そうやって少しずつ物質に笑い声が染み込んでいくんかな。今朝は子供の兄弟喧嘩に巻き込まれてムサクサした気分だったけど、いつかコレも浄化・濾過されて染み込んでいくんだろうか…