日本人は「個」を主張するのが苦手です。苦手というだけでなく、個を主張することに対して抵抗感すら持っています。

そのため、子育てや教育においても「個」を育てようとはしません。むしろ、「個」を主張する子どもを潰そうとすらしています。そして一生懸命に「協調性」を育てようとしています。「みんなと一緒」が出来るように教育しています。

そして、協調性がない子、みんなと一緒が出来ない子は叱られます。時に排除されます。

「発達障害」と呼ばれる子の最大の特徴は、その「みんなと一緒」が苦手だということです。
多くの子は叱られれば、やりたくないことでも「みんなと一緒」が出来ます。でも、発達障害と呼ばれるような子は、どんなに叱られても「みんなと一緒」が出来ません。
だから、「障害児」として別枠で扱われてしまうのです。

なぜなら、日本の教育システムは、「みんな一緒に」という教育方法に従う子にしか対応出来ないように出来ているからです。また、「みんなと一緒」が出来るようにするのが日本の学校教育の目的の一つでもあります。

先生もまた、子どもの「個」に対応することが出来ません。先生自身が「個」を生きていないからです。(もちろんそうでない先生もいますが、少数であることは事実です)

「個」を生きていない人は自分の頭で考えられないし、自分の感覚で感じる事も出来ないし、自分の言葉で語ることも、自分の意思で行動することも出来ません。
(困ったことに、政治家にもそういう人がいっぱいいます。)

そして、自分の頭で考えようとする子、自分の感覚で感じようとする子、自分の言葉で語る子、自分の意思で行動する子を否定し矯正しようとします。

また、国も先生達にそういう資質を求めていません。求めているのは「国の言う通りに教育できる人」だけです。
そしてだから、子どもたちに対しても「みんな一緒」を求めるのです。
みんなに同じ知識を学ばせ、同じように感じ、同じように考え、同じように行動することを求めているのです。

感想文ですら、本当に自分が感じたように書いてはダメなんです。
絵も、自分が感じたように描くと指導されます。

お母さん達もまた、その学校も価値観に支配されていて「みんなと一緒」が出来ない我が子を非難、否定します。そして、追い詰めます。
自分自身も追い詰めます。

でも、「みんなと一緒が出来るかどうか」ということと、「個としての才能の有無」とは全く関係がないのです。

米津玄師さんは高機能自閉症だそうです。
勝間和代(著作家、評論家)さんは注意欠如多動性障害
ウィル・スミス、DHD LD
トム・クルーズ、学習障害 LD
イーロン・マスク、自閉症スペクトラム ASD (旧アスペルガー症候群)
長嶋一茂、パニック障害
スティーブ・ジョブズ、黒柳徹子、ビル・ゲイツなどは発達障害児として有名ですよね。

みんな特別な才能を持った人ですが、みんな同じでなければいけない、「みんな一緒」が出来なければいけないという思い込みが、そういう才能を持った子どもたちを潰してしまっているのです。

「違いを大切にする教育」「個を大切にする教育」が社会に多様性を生み出し循環に基づく継続した変化とエネルギーをもたらすのです。それは自然界が多様性によって支えられているのと同じです。

「みんな同じ」、「みんな一緒」というやり方は、短期的には大きなエネルギーをもたらしますが、循環が発生しないため持続しないのです。