一流の証-20120923

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大相撲の世界で、2007年5月の白鵬以来、
実に5年4ヶ月ぶりに新横綱が誕生しました。


第70代横綱 日馬富士(はるまふじ)


大関日馬富士が横綱白鵬を敗って
2場所連続の全勝優勝を成し遂げ、
横綱昇進を決めた秋場所千秋楽結びの一番。






私は、両国国技館に実兄と二人で出掛け、
この一番をライブで観戦していました。
個人的には、尊敬する横綱白鵬の方を
ひそかに応援していましたが、
力の篭もった大相撲で、心底シビレました。
見終わった後は、
しばらく呆然と脱力してしまったぐらいです。

表彰のために同じくライブで観戦に訪れておられた
野田佳彦首相の言葉

「本当に、久しぶりに、
 死力を尽くした、
 鳥肌が立つような相撲を見ることができました。」

野田首相の仰るとおり、本当に掛け値なく、
大相撲の歴史に残るような名勝負だったと思います。


そして、私にとって何よりも印象深く心に残ったのは、
表彰式での優勝インタビューで日馬富士関の語った
言葉でした。

(優勝した今の気持ちを訊かれて)

「そうですね・・・今は本当に自分の先祖、
 そして僕を産んでくれた父と母を、
 この身体、この力を与えてくれて
 本当に、本当に感謝です。ありがとうございます!」

・・・・・・・

この言葉、聴いていてジーンときましたし、
「あぁ、この人は一流のアスリートなんだな…」
と素直に思いました。






モンゴル訛りの発音と若干たどたどしい日本語とは言え、
自分の努力や功績はおくびにも出すことなく、

まずはご先祖や父母への「感謝」

自分を育ててくれた親方や支援してくれた裏方衆に

後援会やファンの方々への「感謝」と「恩返し」

人間の力を超えた偉大なもの(たとえば「運命」とか「神さま」)

に対する畏怖と崇敬の念


こういった言葉が咄嗟に口をついて出てくるのは、
まさに一流や超一流の証だと思います。


常に一流以上であり続けるためには、
自分自身の持てる能力を駆使して
100%の努力と研究を重ねるのは当然のことでありまして、

それに加えて、大きな「運の流れ」とも言うべきものに
味方していただくことが、どれほど大切かということを、
頭の中の知識だけではなく、
身に滲みて実際に知り尽くしているからこそ出てくる言葉
でもあるからです。


優勝インタビューを聴き終えて、
私は心が洗われるような感覚に包まれました。


これからも、第69代横綱の白鵬と並んで、末永く
観る者に感動をもたらす名勝負を繰り広げてもらいたいな
と思います。

頑張れ!!日馬富士!
横綱昇進、おめでとう!!!

師匠の訃報

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日本の占術界に於ける重鎮にして大功労者である


ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ 先生 


がお亡くなりになりました。


1942年3月24日のお生まれでしたから、享年は69歳。


訃報の報道は、こちら



個人的には、ここ10年ぐらいなかなかお目にかかる機会もなく、
せいぜい年賀状程度のお付き合いになってしまっていたため、
お恥ずかしいことに関係者から知らされてびっくりした次第です。
実際にお亡くなりになられたのは、1週間前の11月22日で、
葬儀はごく身内だけの密葬で執り行われたとのことでした。
(お別れの会は後日、とのこと。)




ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生と言えば、
女性誌「non-no 」が創刊された1971年以来
40年以上の長きに渡って占いコーナーの執筆を継続され、
その後のポップな西洋占星術が世に流行する道筋を開かれた方です。
よくわからないおどろおどろしい占いのイメージではなく、
多くの女性が惹きつけられるファンシーでロマンチックな”星占い”
というものを普及させた功績
は非常に大きいものがあります。


また、占いと心理学の接点にも早くから注目され、
80年代初頭には既に占いの中にカウンセリング心理学の長所を
積極的に取り入れる試み
に着手された方でもあります。


時代を大きく先取りする先見の明に大変優れていた方だと言えましょう。



私との個人的な繋がりを少々記しておきますと、
ルネ先生に初めてお目にかかったのは1984年の春のことでした。
高校を卒業して大学受験で上京した際に、当時
市谷左内坂を上ったところにあるマンションに構えておられたアトリエに
紹介状を持ってお訪ねしたことを今でもはっきりと覚えています。


その後は、個人的にもいろいろと目をかけて可愛がっていただき、
20代前半の頃にルネ先生から薫陶を受けた教えが
今日の私の思想的な礎となったことは間違いありません。


占いの具体的な技法や細かい技術に関しては
残念ながらほとんど教えてくださいませんでしたが、
(「そういうことは自分で勉強したり研究しろ」というお考えでした)


そんなことよりも


「占い」そのものに対するしっかりとした考え方 や


占いを扱う者の人間性を養っておくこと


の方がもっと重要だ


という教えは終始一貫されていました。



心理学に関しても、私がちょうど20歳の頃、ルネ先生のご指示もあり
心理カウンセラーを養成する講座に約2年間ぐらい通って
講義だけではなく実践的なトレーニングもかなり受けました。


また、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント の思想に則った
自己啓発セミナーエンカウンター・グループ などのセッションにも
みっちり参加したりしたものです。




占いを離れたプライベートでも結構可愛がっていただきました。




ルネ先生は40歳を過ぎてからバイクでツーリングする楽しみに
目覚められたようで、愛車はヤマハのSR400(&500) でした。
これは「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ・ ・ ・ ・」と鳴る
単気筒エンジンのクラシックなオートバイで、
英国好きのルネ先生のイメージにはピッタリでした。


このSRをノーマル・モデルではなく、
排気マフラーから乗車シート、ハンドル、ミラー、・・・etc.
の至る所を自分好みに改造して乗るというこだわりスタイル で、
先生のバイクはとても洒落てて格好良かったです。
同じくSR好きのライダーを大勢、バイク雑誌を通じて集めて
「SRクラブ」なるサークルを結成しては毎月合同ツーリングを
楽しんでおられました。


私にもバイクの中型免許(400cc)を取ることを強くお勧めになり、
普通車の免許と同時期に取得したわけですが、
免許を取得して間もない私をわざわざ誘ってくださり、
ご自分のもう1台の愛車SR400を貸していただいて
千葉県の九十九里浜まで一緒にツーリングに出掛けました。
1986年の8月のことです。


その後も関東近郊の各地へのツーリングに何度も誘っていただいたのは、
本当に懐かしい思い出です。
「このSRをずっと貸してやるから、しっかり練習しろ」
と言ってくださり、仕舞いには
「あのSRはもうお前にやったんだから大事に乗ってくれよな」
と、ほぼ無償で譲ってもいただきました。




こうして書き始めると、思い出はいろいろ尽きません。。。



ルネ先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




今月は、自分自身に大きな影響を与えてくださった方が
相次いで二人もこの世を逝去されました。


また、直接の繋がりはないけれど、非常に印象深い方の訃報に接する
機会の多い月でもありました。


自分たちを育ててくださった方々が次々にお亡くなりになる・・・
そんな年齢域に自分も差しかかりつつあるということなのでしょうし、
他ならぬ自分自身にとっても「死」というもの、
あるいは「死」を通して垣間見える諸々の事柄についても、
この機会にしっかりと考えておくことを迫られている。


そういう「自然の暗号」なのかも知れません。






名将、この世を去る

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既にネット上や新聞、TVニュースなどでも広く報じられていますが、
プロ野球の阪急ブレーブスや近鉄バッファローズの監督を


長く務められた 西本 幸雄 さんが一昨日お亡くなりになりました。
享年91歳。
年齢的には天寿を全うされたと言えるのかも知れません。


名将、西本幸雄さん逝く…91歳・心不全

(サンケイスポーツ 11月26日(土)7時51分配信)

西本幸雄さんを悼む 江夏の21球、挑戦8度 日本一届かず

(産経新聞 11月26日(土)7時55分配信)



西本(元)監督と言えば、偉大な「名将」として
球史にその名前が刻まれている方です。


西本さんの下で大きく育ったプロ野球選手を見ると、
実にそうそうたる顔ぶれです。


就任前は弱小球団だった阪急ブレーブスを常勝軍団に押し上げ、
リーグ優勝を何度も果たして阪急の黄金時代を築き上げました。


●アンダー・スローで通産284勝を挙げ、
 ”史上最高のサブマリン投手”と言われた
 山田 久志


●通算1065盗塁で”世界の盗塁王”の異名を持った
 福本 豊


●勝負強いバッティングで首位打者や打点王などのタイトルを幾つも
 獲得した、阪急が誇る”安打製造機”
 加藤 英司


●アゴを左肩に乗せて腕を振り上げる独特のバッティング・フォームで
 相手チームの投手を震撼させたホームラン・バッター
 長池 徳士



近鉄バッファローズの監督になってからも、1979年には
それまで弱かった近鉄を初優勝に導き、翌年には連覇も果たしました。


ここでも、


●通算317勝を挙げた剛球投手
 鈴木 啓示


●後に、近鉄バッファローズや北海道 日本ハム・ファイターズの名監督
 としても活躍したキャッチャー
 梨田 昌孝


をはじめとする名選手たちが幾人も育っています。


梨田さん以外は、ほとんどが団塊の世代の選手たちなので、
今やその名を知らないプロ野球ファンも大勢いるかも知れませんね。
彼らが大活躍したのは、主に私が小学生~中学生の時代でしょうか。



西本監督の偉大なところは、上記の一流選手たち全員から
鉄拳制裁も辞さない厳しい指導で恐れられながらも、
同時に深い愛情を感じてずっと慕われ続けた
、その大きな人間性にある
と思います。



あと、西本監督と言えば必ずと言っていいほど語られる
”悲運の将”という代名詞。
20年間の監督生活で8回のリーグ優勝を果たしながらも、
日本シリーズは1度も制覇できなかったことから
そう呼ばれてきました。


同じく、必ずセットで語られる1979年の広島東洋カープとの
日本シリーズにおける、後に伝説ともなった 「江夏の21球」  。


あの超しびれる場面、私はテレビの生中継にかじり付いて
見入っていたのを思い出します。
当時の私は中学2年生で、学校ではその時文化祭をやっていましたが、
日本シリーズの行方が気になって仕方がない私は早めに帰宅して
家族と一緒にカープを必死で応援していました。


「今年のカープは江夏のおかげで優勝できたようなもんじゃし、
 その江夏が打たれてダメになるんなら、もうしょうがないよ~」
と皆で言い合っていました。


結果は、シリーズ最大の窮地を見事に切り抜けて最終戦を制した
カープが初の日本一の座に輝いたわけですが、
あんなスゴイ場面は後にも先にもそうそう起こるものではありません。


この時の 江夏 豊 投手が投じた21球を
ピッチャーの立場、バッターの立場、同僚たちや両軍の監督の立場、
と それぞれの裏側の心理戦を 野村 克也 さんの名解説付きで編集した


NHKのドキュメント 『江夏の21球』


はDVDでも見ることができます。


NHK特集 江夏の21球 [DVD]/出演者不明

¥3,990
Amazon.co.jp


まぁ、それはともかく、
あの西本さんも、とうとうこの世を去ってしまいましたかぁ。。。
まさに ”巨星、墜ちる”というかんじですね。



あの方の采配や人材育成というものは、
組織の活性化や会社経営の場面においても
必ずや活かせるものが沢山あるんじゃないかと思っています。


懐かしい声

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このところ、プラーベートでローカルな
トピック続きで、誠にスミマセン。。。



我が敬愛する哲哉オジさんが亡くなった後、
あるホームページを数年前に見た記憶が
ふとよみがえってきました。


地元・広島のFM放送で
大田 哲哉 氏をゲストに招いてのインタビューを
紹介したホームページです。
もう何年も(6年以上も)経ってしまっているから、
既に削除されて残っていないかもしれないな…
と諦め半分でアクセスしてみたところ・・・



まだ生きていました~!


よかった~~~!!




「Over the Rainbow ~ 天使の取り分」


と題する広島FM放送内のコーナーで、
地元のいろいろな財界人や名士の方をゲストに招いて
インタビューするという企画です。


大田 哲哉 氏は、その記念すべき第1回目のゲストでした。



「広島電鉄 代表取締役社長 大田 哲哉 さん」 2005/10/06





あぁ・・・、哲哉オジちゃんの懐かしい声…。


そうそう、こんな声だった、こんな声だった…



目を閉じて静かに聴き入っているうちに
元気だった頃のことをいろいろ思い出して
またしても涙が滲んできました。



インタビューの時間は約12分ちょっと。
よろしかったら、聴いてみてください。
(なお、再生するには、Windows Media Player が必要です。)





( 「人の最期に立ち会って想った事(2)」  より続く)



私と哲哉オジさんは、年齢にして25歳と3ヶ月弱ほど離れていました。
ほぼ四半世紀の開き。
これは、日数に換算するとおよそ9200日余りになります。
(ちなみに、10000日だと約27年と4ヶ月半に相当します。)
あと仮に9200日生きられたとするなら、
その時の私はゆうに70歳を超えてしまっているわけです。


あれだけ元気に仕事をしてバリバリ活躍していた哲哉オジさんも
最期は(当たり前だけれど)一介の年老いた病人として
この世を去ってしまった。。。


極端なことを言えば、
明日の命だって必ずしも保障されているわけではないけれど、
自分はあと何年(あるいはあと何日)生きられるのだろう…?
25年なり27年、あるいは9200日なり10000日というと、
長いようでアッと言う間です。


私の場合、25年前と言うと、
ちょうどプロの占い師としてデビューしたての頃です。
その頃の記憶は、かなり鮮明に残っています。
また、10000日前(約27年と4ヶ月半前)と言うと、
高校を卒業していろんな夢と不安を抱きながら上京した年の
夏頃に当たります。
その頃の、否、もっと前の記憶だって結構はっきりと思い出せます。


その間、人生いろいろあって今日に至っているわけですが、
「エエッ、もうそんなに経っちゃったの?!」
という感覚も同時に強くあります。

そう考えると、25年後なり10000日後というのも、
同じようにいろいろな変化もそれなりにあるのでしょうが、
ふと気付けばアッという間なんでしょうね…。きっと。



この先、本当にあと何年(あるいはあと何日)生きられるのか…、
それは”天”なり”神さま”にしかわからないことだけれど、
とにもかくにも、



「 これから先は、


  生きることを許された一日一日を


  噛み締めるように大切に生きよう… 」



そういう想いが自然に湧いて出て来ました。



自分は(あるいは人間は)、この地球上に一生命体として誕生し
偶々生きているだけに過ぎないのか?、
それとも何か人間を超えた大きな存在の”思し召し”によって
”生かされている”のか?


真の答えは、誰にもわかりません。


でも後者のような考え方を、たとえ作業仮説としてでもしてみる方が


”生きる意味” や ”いきがい” 


というものを見つけ出すことで、
より充実感を感じられる生き方ができて面白いかも知れません。


私たち人間には、考えたり想像する能力が
良くも悪くも備わっていますから、
人生を単なる無機質な事実関係のみとばかり捉えて
ニヒルな虚無感に陥ってしまうよりも、
毎日を取り敢えずは安全に過ごせて、
ご飯もちゃんと食べられる境遇に感謝しながら生きる方が
”幸せ感”というものを抱けるし、
ご飯も美味しく感じられていいんじゃないか…。



取りとめもない思考をあれこれ重ねた結果としては、
あまりにも平凡過ぎるかも知れない着地点ではありますが、
今のところはそんな風に考えながら、
少しずつ生きる元気を取り戻しつつある状況です。




( 「人の最期に立ち会って想った事(1)」  より続く)



10/29~30 の見舞いを終えて東京に戻ってからというもの、
自分自身の心が何とも言いようのない空しさと無気力感に
さいなまれる日々がしばらく続きました。



哲哉オジさんは、世間的な評価としては、大いなる”成功者”です。
人並み以上の地位も名誉も財産も手に入れた方です。
むろん、決して楽をして得たわけではないでしょう。
そこに至るまでには、誰も知らないような壮絶な努力や
血ヘドを吐くような苦労を積み重ねたであろうことは
間違いありません。
そういう表には見えない努力や苦労があったとしても、
最終的に形を伴って残った結果としては、
やはり”大成功した人間”なのです。


しかしながら、死の影が間近に忍び寄り、
病室で痩せ衰え変わり果てたオジさんの姿を目にした時、
「どれだけ成功したとしても、どんなに財を成し得たとしても、
 あんな風になったらもうオシマイじゃないか・・・!
 人生って、何て空しいんだろう・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  」

そう思わずにはいられなかったのです。



比較する対象としては、あまりにもスケールが違い過ぎますが、
我が国の歴史上最大級の立身出世を成し遂げた かの豊臣秀吉ですら、

人生最期の辞世の句では


「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」


と詠んだぐらいですからね…。



翻って、自分はと言うと、地位・名誉・財産、
そのいずれを取ってみても哲哉オジさんのそれには遠く及びません。
この先オジさんを超えることはおそらく不可能でしょうけれど、
それでも少しでも近づきたいとは思っています。
事業をおこなう人間としてはもちろん”成功”したいです。
継続的に適切な利益を出し続けて、財も増やしたいです。
当然の欲望ですよね。


でもその一方で、
肉体を持った人間である以上、必ず”最期”があるわけですから、
この地上世界に残して置くことしかできないもののために、
それ以外のいろんなことを犠牲にするような生き方はしたくないな、
とも思います。



ただ、ここで短絡的に誤解していただきたくないことが一つあります。


それは、いわゆるスピリチュアル系の分野、占いもそうですし、心霊、
オカルティズム、ニューエイジ、精神世界、諸々のセラピー・・・etc.
こういった分野に積極的に関心を寄せる人間(私もその一人です)
の多くが、 「霊界」 や 「前世(あるいは来世)」 という観念を
議論や思考の中に安易に持ち込んでしまいがちなことです。
こういった傾向は、知らず知らずのうちに、
地上世界に於ける”弱者”の”現実逃避”になってしまいがちである
ということに注意しなければなりません。


私個人は、これでも「霊界」や「前世(あるいは来世)」というものを
割と純粋に信じる類の人間です。
(特に10代前半~20半ばにかけての時期は、
 心霊オタクと言ってもいいくらいに
 霊的な世界やオカルティズムの分野にメロメロにはまっていました。)


しかしながら、上記に指摘したような注意を払う意味で、
ここでは「霊界」や「前世(あるいは来世)」という”便利な”観念を
敢えて封印して思考することを続けたいと思います。



更に続く





先週は、「敬愛する叔父の逝去 」について書きました。


今回の記事も、引き続きそのことに関連しています。



実は、その哲哉オジさん が亡くなる10日前(10/28・金)の夜、
「容態が急激に悪くなって今日急遽入院した」という知らせを
聞いたので、私も翌日と翌々日に広島に帰省して
見舞いに馳せ参じました。




哲哉オジさんは末期のすい臓ガンを患っていたのです。
すい臓は「沈黙の臓器」とも言われており、
すい臓ガンは早期の発見がかなり難しいそうです。


オジさんのケースでは、
背中に変な痛みを感じたため予定していた海外出張を取り止めて
精密検査をした際に、すい臓ガンであることが発覚したのですが、
見つかった時には既にかなり進行した状態だったようです。
それが亡くなる1年2ヶ月前の昨年9月初めのことでした。
その時もびっくりして広島市内の入院先に見舞いに帰省しましたが、
余命3ヶ月ぐらいで年が越せるかどうかわからないとの診断でした。


ところが、お会いしてみると意外にお元気で、笑いながら


「何もわざわざ遠い所、見舞いに来てくれんでもええのに…。
 まぁ嬉しいけどの~」と言っていました。


その後は一旦退院して自宅療養に切り替えたとのことでした。
仕事の方は、広島商工会議所 の会頭はさすがに退任したものの、
広電 本社の会長職は継続されていました。
(立場上、ガンを患っていることは外部には伏せられていたので、
 対外的な応対は結構大変だったろうと思います。)



アカデメイアの社長ブログ~by森信彰雄




今年のお正月に無事お会いできた時も、意外なことに結構お元気で、
「余命●ヶ月なんて信じられないなぁ。全然大丈夫じゃないの…。」
なんて思ったものです。
6月には旭日中綬章 (きょくじつちゅうじゅしょう)の叙勲を受ける
という栄誉にも浴し、7月にはその祝賀会も予定されていたぐらいです。
(10/13には秋の園遊会 に出席するための上京も何とか果たしていました。)
8月初め(8/7・日)にお会いした時も、先週の記事 に書いたように、
ピンピンしていて二人して大酒を飲んでは楽しいひと時を過ごすことが
できました。


でも、それがお元気な姿でお会いできた最後でもあったわけです。




さて、話を戻して、10/29に病院にお見舞いした時のことです。



病室のベッドに横たわる哲哉オジさんの姿は、
わずか2ヶ月半余り前にお会いした時とはまるで別人でした。。。


末期のガン患者が激痩せしてしまう姿は、話に聞いたり、
また劇画の中で見たり、写真で見たりしたことはありましたが、
自分の近親者がそうなるのを目の当たりにしたのは初めてです。
お元気だった頃の面影は、もはやどこにも見当たりません。


何という変わりようでしょう・・・!


もう意識が朦朧として危篤になりかけているという知らせを、
その日一足先に見舞った兄や父親の電話で聞いてはいましたが、
私が夜訪れた時には容態が若干良くなり意識もまだある状態でした。
哲哉オジさんの手をしっかり握って話しかけると、
私のことはちゃんとわかったようでしたし、


「夏に会って一緒に飲んだ時はホントに楽しかったよ!」
「また元気になって旨いもん食べようね!酒も飲もうね!」と言うと、
しっかり大きく頷いたりもしてくれました。


私が病室に入って30分も経ち黙ってオジさんの顔を見つめていると、
自分の身体の痛みや辛さで精一杯だったろうに、
手を大きく振り上げて、かろうじて絞り出すようなしゃがれ声で


「もういいから…、帰んなさい」


と私のことを逆に気遣うのです。



その夜は、あまりにも
変わり果てたオジさんの姿が瞼の裏に焼きついて離れませんでした。



翌日の午後、再び病室を訪れると、
オジさんはベッドをリクライニングにして上半身を起こしていました。
前日よりはほんのちょっとマシになったようです。


しかしながら、意識がはっきりしてくると、
今度は身体のあちこちに走る痛みも自覚してしまうらしいのです。
病室に交替で付き添っていた長女(私のいとこ)は、目に涙を溜めて
「お父さんには少しでも長生きして欲しいけど、良くなる代わりに
 痛みが増してしまうんなら、もう楽~に死なせてあげたい・・・」
と言っていました。


本人は、痛み止めの強い麻酔薬が全身に効いているはずなのに、
それを超えて知覚する痛さはハンパじゃないみたいで、
またしても絞り出すような声で


「生きてるのがツライ・・・」


と言うのです。



この言葉を耳にしたのは衝撃でした。。。



あの、徹底した現実主義の生き方と逞しさを貫き通した哲哉オジさんが
そんな言葉を発するなんて・・・!



でも、末期のガン患者が感じる身体中の痛みと苦しみは、
きっと経験した者にしかわからない壮絶なものなんだろうと思います。



それはそうなんだろうけど・・・


そうなんだろうけど・・・


でも・・・


・・・



続く






敬愛する叔父の逝去

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4日前の11月7日(月)、


私の敬愛する叔父(亡き母の実弟)がこの世を去りました。。。


月曜の夜に知らせを受けて、翌火・水と急遽広島に帰省し、

お通夜と葬儀に参列して参りました。


お通夜で安らかに永眠した死に顔を拝顔した時…

次の日の葬儀の最後に、棺の中を花で埋め尽くしてお別れを惜しんだ時…

火葬場で「最後のお別れ」をした時…

そして遺骨を順番に拾った時・・・


もう涙が止まらなくて、忍び声を上げて何度も泣き尽くしました。




亡くなった叔父の名は、 大田 哲哉  と申します。

(「大田」は母方の旧姓)

神奈川の大学に在学中の18歳の時に父親(私の祖父)を亡くしたため、

苦学して何とか卒業後、広島電鉄 という地元の企業に就職し、

その後は叩き上げで同社の社長と広電グループのトップにまで上り詰め、

昨年退任するまでの14年間に渡ってその職を務め上げました。


最後の3年間は広島商工会議所の会頭も兼任し、

地元・広島ではかなり名の知られた財界人でもありました。



アカデメイアの社長ブログ~by森信彰雄

 

  
アカデメイアの社長ブログ~by森信彰雄
















その「哲哉オジさん」こと 大田 哲哉 氏が亡くなったというニュースを

掲載した中国新聞の記事は こちら です




ここからはちょっと個人的な話になりますが、

私のことを幼い頃からものすごく可愛がってくれました。

だから、哲哉オジさんの思い出は尽きません…。


小学生の頃、一緒にお風呂に入って背中を流したこと。

悪いいたずらをしでかして、思い切りぶん殴られて鼻血を出したこと。

叔父さんの一家とみんなで山登りやハイキングをしたこと。

叔父さんの家の庭で一緒に相撲をとったこと。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

・ ・ ・ ・ ・

・ ・ ・


多少大きくなってからは、一緒にお酒をたくさん飲んだこと。


亡くなるちょうど3ヶ月前に叔父さんの家でお会いしたのが、

今振り返ると元気な姿でお目にかかれた最後でしたが、

その時もいろいろな話で盛り上がって、お酒をたくさん飲んで、

私の方が先に酔いつぶれてしまったぐらいでした。

でも本当に楽しかった!…。



もちろん、いい思い出ばかりではありません。


社会的な役割や仕事に対する姿勢には大変厳しい人で、

こちらがやるべき努力を怠って言い訳ばかりしたり、

偉そうに利いた風な事を言ったりすると、

けちょんけちょんに人格否定一歩手前とも言えるような叱り方で

吊るし上げられたりもしたものでした。


私が二十代で、まともに(一般企業へ)就職することをせず、

両親も猛反対をしていた占い業に就いた頃には、

一度は多忙な時間を割いて懇々と説得に回ってくれたものの、

それでも頑なに従おうとしない私に対してとうとう愛想を尽かし、

その後は全く相手にしてもらえなくなった時期もありました。。。

人の人格を認めようとしない、あまりに酷い言われ方に、

内心で激しい憎悪の感情を抱き続けた時期も

正直言うとあります。


でも、その時に抱いた

「くっそ~!哲哉オヤジ~、今に見てろ!!」という悔しい想いが、

結果的に私のその後の人生のバネにもなってくれたわけですから、

物事の善し悪しというのはわからないものです。


あくまで結果論とは言え、今となってはとても感謝しています。


そして、この会社(アカデメイア )を設立して数年が経ち、

経営状態が安定して資産内容も整ったことを報告すると、

昔ながらのやさしい笑顔で「お前も、よ~頑張っとるの~…」と、

ようやく私の(社会人としての)存在を認めてくれるようにもなりました。



私的なエピソードばかり長々と綴って申し訳ございません。




我が敬愛する哲哉オジさんのモットーは、


鶏口となるも牛後と成るなかれ


という諺であり、また


「激しく生きてこそ命の価値は高まる」


というものでした。


そういうモットーを現実に実行しきって、

一ビジネスマンとしては200%の燃焼をされた方だ

と思います。




私には、とてもそこまでの真似はできないし、

経営者としての実績も足元にも及びませんが、

そんな凄い人を身内の叔父さんに持てたことは

私の人生の誇りでもあります。




「哲哉オジちゃん、これまで本当にお疲れ様でした…。


 今度はあの世の浄土からオレのことを見守っててね!」




今は手を合わせ、そう申し上げて頭(こうべ)を垂れるばかりです。





ブログの更新復活!

テーマ:


「もうブログを更新しないんですか?」


というお問い合わせを、時折いろいろな方から寄せられます。



思えば、2008年4月から3年半以上も停止していたわけですね。

(><;)


そこで、この機会に、前のseesaaから当アメブロに場所を移して

記事更新を復活させようと思います。


これまで前のブログを読んでくださっていた方々、

記事更新のリクエストしてくださった方々、

皆さん本当に有り難うございます。


今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

m(_ _ )m



なお、旧ブログのURLは こちら  です。

http://morinobu-akio.seesaa.net/