京の隠れ散歩道 1―若王子道 | 閑話休題

 京の隠れ散歩道 1―若王子道

  行楽の秋になりました。観光案内ではあまり紹介されていない、しっとりした京の隠れ散歩道をいくつか紹介しましょう。

 

 東山永観堂の北、疎水ー哲学の道―の始点近くにに若王子神社がある。後白河天皇の前世は熊野那智の滝に身を投じた宮籠蓮華坊という行者であったといわれ、小白河天皇は特に熊野信仰が強く、はるばる南紀の熊野大社に参詣すること32度。遂に天皇は熊野の土を京に運ばせ、この若王子神社をつくり、後に新熊野神社に遷されたと言われる。

 若王子とは、六根清浄、懺悔懺悔を唱えながら熊野に詣でると、人は生き返って再生すると信じられ、これが若王子に象徴されて、熊野に詣でて生まれ変わって京への帰り道、和歌山の藤白神社まで、九十九王子が祀られている。その若王子を勧請して京に祀ったもので、永観堂の鎮守といわれている。桜の花時、疎水道は見事な桜並木が続き、人々が溢れるが、一足奥に入った若王子神社の桜の園は、弁当を開いて花見しながら一献を愛でるのに、静かな格好の場所で、古書に「今に遊客多し、水石幽趣掬スすべし」とある。

 

 この神社から緑の滴る東山の山道を20~30分登ると、同志社の創設者新島襄の墓がある。横には会津藩士で、鳥羽の戦いで盲目となったが、有能な見識を買われて明治新政府に登用され、第二代目京都府槙村正直知事の顧問として、明治初年の京都の改革に尽力し、新島襄と二人で同志社英学校の創設した山本覚馬の墓と、隣には覚馬の一人娘久恵の墓がひっそりと並んでいる。この三人については、徳富蘆花の小説、「青い目と茶色の目」に詳しく書かれている。ー2018.06.26京都雑記 京の文学1 黒い目と茶色の目ー参照

 

 さらに東山を登ると分かれ道があり、右手の山道を辿ると下りになり、南禅寺の背後を巡り、南禅寺のレンガの疎水の南の道に降りて来る。誰も通らない京散歩の隠れ道である。