【グロッキーな日】

車椅子で散歩に出かけた、翌12月17日

在宅診療の日だった。 


朝から熱発。


先生が来る日はいつも

熱にうなされてるか、

寝ているか、、

母は恐らく、先生が来ている時に

起きていることはなかったと思うし、

先生の存在すら気づくことはなかっただろう。。。


それでも、

先生に動画を見せたり写真を見せると

「いいですねー、お母さんの顔が穏やかです。」

「この家で、家族に囲まれて、

伝わるんですよ。表情でわかりますよ。」

と、必ずプラスの言葉をかけてくださり

私たちを勇気付けてくださった。


当初、年内は越すことはないという見立てだった。

しかし、その日は

「嬉しい誤算ですね」と言われた。


そして、わたしが事情を話すと、

1月4日に入院できるように

手配しておきますと、帰られた。


その日の夜から、母が少しずつ変わっていった。


夜は唸るようになり

何か、感じ取ってるようだった。


そして12月19日夜から

痛み始めた。


麻薬のテーブは貼っていたが、

それだけでは効かず

0時近くになり、薬を届けますと

訪看さんが来てくれた。


こんな夜中に、こんな寒空の田舎に

来るのか?


バイク便か何かで来るのかな?と思ったら、

(田舎にはバイク便はない💦)


所長さん自ら来てくれた。

導尿もしてみようと、私にさせてくれた。


来てくれると、心底安心した。


一旦、静かになって、わたしもすぐに横になり

寝た💤



(もう霜が降りる寒さだった)



が、翌早朝20日

IVHのテープを剥がしていたり、唸りで起きた。


丸一日24時間、痛みで苦しみ、

ひどい唸りだった。


兄夫婦も心配してやってきて

訪看さんは、次々に指示された、

さらなる薬をもって、

3回も来てくれた。


兄は心配し

これならば早めに入院もあるのでは?と、言った。


すぐに決めたくなかった。

痛みのコントロールさえできれば、、

なんとかなると思っていたので、


23日の、先生の訪問までに決めようと思った。


夜8時過ぎ

3回目の訪看さんが

持ってきた強めの鎮痛剤で、


やっと母は眠りに入った。


唸り始めると、座薬も入らない。


ここで坐薬を入れて

その夜は

わたしも休めた。


流石にグロッキーな日だった。


痛みにつきあってはこっちが参るので、

適当に距離をおいて、

食べることは確保した。




(普通の卵焼きを作ってみたくて、作った日)


これが毎日、続くなら

訪看さんが大変だろうにと。


いかんせ、田舎なので、

来るのに車で30分🚗


病院と在宅は、やはり違うと

わかった。


が、翌日はずっと寝ていた。

このまま眠ったままになるのでは?というくらい。


仕事も再びできるようになった。


明日はどうなるのか?


不安ではあったが、


なんとなく

道路向こうに、気配がした。

父の時も、気配がしたのと同じ。


もしかして、、そろそろなのかなと。