《岩脇蒸気機関車避難壕》

 

もう八月かあ... 早いなあと 独り言ちる。

濃尾平野の各地でいよいよ花火大会が開かれる季節。

遠い花火と 時間差ド~ンをツマミに 自宅の外テラスでビールを飲む真夏の夕べ...てな過ごし方が恒例でしたが、今年は夕方も暑過ぎやん。

てな訳で 昨晩は BS放送で長岡大花火大会を見ながらグビグビ。

学生時代に自炊下宿で隣部屋だった同級生が長岡出身で、酔う度に 悠久山公園の桜と三尺玉が打ち上がる花火大会を自慢していたなあ...。

《正三尺玉》

三尺玉が 上空600mまで上がり 炸裂する様は スゴイけれど...うまく写真が撮れん。

それより 音楽(まれ主題歌と ジュピター)に合せて約7分間も打ち上がり続ける花火の豪華さに...アングリ。

フェニックス...と名付けられた凄さかな。

鼓膜や腹にズンと来る衝撃波と 硝煙の匂い...これが花火大会の醍醐味やと思うジジイ。

TVではなかなか臨場感が得られんもどかしさかな。

でも長岡のは 昭和20年8月1日の長岡大空襲で亡くなった人々の鎮魂や街の復興の祈りが込められとると知ると...より沁みますよねえ。

そんな花火を見ながら よっしゃ...明日はあそこに行こう!と 思い立ったのが

米原市岩脇(いをぎ)にある 蒸気機関車避難壕。

前々からず~っと気になっていた戦争遺跡。

地図中央の山に トンネル部分を 薄い緑の線で示しておきます。

公民館脇には上が南 下が北方向の案内図。

週末ならトンネルに入れるんじゃね?...てな浅薄な考えの上に

ろくに下調べせんと来たんで トンネルの北側から攻めてしまいました。

トンネルの入り口に下り立てば  空気がヒンヤリ冷たくて 気持ちエエ~。

連れ合いをお供に頭上を気にしながら 木道を歩いて行けば...

コウモリ(蝙蝠)が舞い飛び... 肝試しの余興よろしく... 心もヒンヤリ。

来た穴を 北方向に振り返る。

で、南方向を見れば 南入口から来る 人影が1人。

聞けば いをぎ町づくり委員会の方で、予約されたお客さんですか~?と聞かれたんで...いいえ...と返す。

予約開錠 及び 入場料が要るコトを知らんと来たとは言え、開いていてラッキー。

さっそく100円x2人を お払いして 解説を受けました。

普通は南入口から この貫通している東側のトンネルに入るらしい。

全長130m。

南側には 説明板がありましたよ。

平成21年(2009年)に整備されたげな。

未貫通の西側の穴は 全長52m

両穴ともに 昭和19年(1944年)から工事が始まったんですね。

地元の人々に知らせるコトなく...掘削作業は 秘密裡に半島や大陸の労働者を動員して

行われたげな.。

軍事関連施設ゆえの厳格な情報統制。

もし何かあれば...隠蔽し易いように... と、妄想は膨らむ。

まるで小説のような現実世界が ここにあったんやね~。

行き止まりの片方の穴の最奥は ...ツルハシ跡が リアル。

こちらの穴の方が コウモリが多くて ギャ~ギャ~わめき歩いたジジババかな。 

コウモリは なかなか撮れんY。

それにしても トンネルの南半分辺りまでは 蒸気機関車が入りそうな高さでしたけど幅は不十分やし 北半分は 低くて狭過ぎやん。

南入口から ヒョウタン型の光。

資料館も寄ってって~と言われ...

掲示資料にフムフム。

実際に現場を見学したい方は「いをぎ町づくり委員会」に電話してから どうぞ。

 

8月にこういう場所を訪れるのは 両親が生きてきた時代を辿りたくなるからやろうねえ。

 親父の追憶ブログを 付けておきます。

 

この後、さざなみ街道に出て... 長浜ドーム近くの湖岸へ立ち寄り

真夏の琵琶湖畔でボーッ。

ジジババを含め 平和ボケした日本の行く末も 脳裏にチラリ。

高齢者が 憂いても 何も変わらん。

ジジイはできるコトを するのみやん。

お盆に来る 孫たちが遊べるようにと....

家の周りの空き地の草刈りに精を出すジジイです。

早朝5時~6時、この3日間かけて約400坪ほど 静かな電動草刈り機で刈り込んで....スッキリ。

長靴で武装しとったのに足首を蛭にかまれて...アララ。