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moriage55のブログ

「造形教育をもりあげる会」会員共有のブログです。造形教育や造形活動に関するちょっとした話題や出来事など、楽しくあたたかいブログにしていきたいですね。
そして、造形活動を通して子どもを育てていく教育をもりあげていきましょう。

 造形教育をもりあげる会の月例会(運営委員会・事務局会議)に初めて参加したのは、第16回造形教育大会(会場;「冠峰楼」)の前年1971年からでした。

先に述べた荻原勉先生(元会長)からの誘いがあったからです。

いきなり、16回大会で分科会の責任者となった(させられた?)ことが契機だったのかも分かりません。月例会には毎回のように参加し始めました。

月例会の会場は、主に当時横浜の山手駅坂上にあった横浜国大附属中学校でした。

事務局長と研究局長を兼務していた相場秀夫先生の勤務校だったこともあったのでしょう。

当時の月例会は、研究の場であり、最後に事務連絡のような形で進行してように覚えています。

第17回(1973年)造形教育研究大会(会場;ケープシャトー/横須賀市)では、提案することになりました。

分科会テーマ「体験と表現」だったので、「ザリガニを育ててザリガニを描くクラス」と「ザリガニを育てることなくザリガニを描くクラス」の表現の違いについて提案しました。

調査は、短期間・2クラスの検証でしたので、まるで子どもの夏休みの宿題のようでした。

当時、社会の大半の方が思う「よい絵」とは? リアルな絵を称賛していたような時代でした。

しかし、もりあげる会の方々は、いろいろな角度から、柔軟に「絵のよさ」を追究していたように覚えています。

この刺激は、その後のわたしの物の見方・考え方に大きくかかわることになりました。

翌第18回大会にも同様のテーマで提案させて頂きました。

その後、勤務校で横浜市教委の指定を受けて図画工作科の研究発表を行うことになりました。

造形教育をもりあげる会でお世話になっていた荻原先生(もりあげヒストリー①で紹介)と、横浜の東急ホテルで会い、「図画工作科の果たす役割ってなんですか?」と、ずばり訪ねました。

数日後、箇条書きにして丁寧に応えてくださったことに今も感謝しています。

それをベースに図画工作科の目標から評価を導き、必修題材・選択題材など設定し、題材間の構成を全学年の一覧にして授業研究発表をしました。

一方、勤務校の研究主任は、文部省(当時)の仕事もしていました。これから「『遊びと学び』の関係性が重要になるようだ。」と話しをしていた頃だったので、研究内容にとりあげて進めました。しかし、「遊び」を教育内容に組み入れ、一般化する方法が一番困難でした。しかも、「造形あそび」という言葉も分野もなかったので、「造形的なあそび」とカッコ付けで下学年に導入したのです。

やがて、1978年、偶然にも月例会に何度か足を運んだ横浜国大附属小学校(当時は、附属中学校と同じ校舎でした)に異動となったのです。荻原先生は事務局長・相場先生は研究局長の時でした。当然のように事務局や研究局の下働きとなったのです。

長年続いた「10の技術」にも、「くっつける」「つるす」「かかわる」などのコーナーを設け、造形活動の中のあそび心を誘発し、好奇心と発想豊かな学びの環境を提示するように心がけていきました。

そして、1980年から鎌倉附属小の細谷先生と研究局を1983年から2年間事務局長をし、異動に伴い、附属小学校の図画工作科担当教官(坂田正則・小島新樹先生)に託すこととなりました。

その2年後、管理職や教育委員会勤務となり、時々の月例会参加となってしまいました。

                                                (佐々木 孝)