今回のブログは、被災地支援レポート【番外編】とします。


 既に、6月25~27日に掛けて宮城県女川町の被災地支援活動に参加した内容は、ブログに書いております。


今回は、被災地支援活動の裏話をブログに書きます。


 被災地支援隊が、三重県を6月25日の15時に出発し、女川町に着いたのは翌日の26日の7時でした。


16時間のマイクロバスの移動を終えて女川町に着いた際、どこかでお見かけした方が、既に現地で活動されてました。その方は、『防災一座』の代表の松野さんでした。


 『防災一座』とは、「防災と災害救援」をテーマに「命の輪・地域のふれあいの輪」を広げるまちづくりを目指されている団体であります。


 『防災一座』さんは、東日本大震災が発生した当初から積極的に四日市市内でも募金活動を行っており、私も四日市青年会議所の募金活動に参加した時に、ご一緒させて頂きました。


 その松野さんとまさか宮城県の女川町にてお会いするとは思ってもみませんでした。


 松野さんは、震災後、岩手県山田町を中心に各被災地を回り、各ボランティア団体のサポートをされているとのことでした。そして、偶然にもこのタイミングで、女川町にいらっしゃった訳です。


 松野さんは、次の日からは、新潟県、長野県に移動するとのことでした。あまり、報道されておりませんが新潟県や長野県でも東日本大震災の後に発生した地震により大きな被害を受けているとのことでした。その支援に向かわれるそうです。


 被災地を駆け回り、ボランティアのサポートやコーディネートをされている松野さんの姿を見ていると、素晴らしい方が四日市にいるんだなと(松野さんは四日市在住)感じさせられました。


 以下が松野さんとの写真です。


森智広のブログ



 その災害支援のプロフェッショナルの松野さんが『現地にいても、三重県や四日市市の消防士や市の職員の方々の行動は本当に胸を張ることが出来る』とおっしゃられていました。


 今回の女川町への被災地支援には、四日市市の消防を含む、三重県の消防の方々が何人か参加されておりました。

 先ほど述べました、三重県から女川町までの片道16時間、往復32時間のマイクロバスの運転を消防士の方が交代で担当して頂きました。


 その中には、公務で被災地に入られた方もいます。松野さん曰く、公務以外でも自らの休暇を使って被災地に入られている消防士の方や積極的にボランティア活動に参加している消防士の方が四日市には多いというのです。それは、市の職員の方も同じだそうです。


 そういった頼もしい消防士や市の職員が四日市にいる事を、たくさんの人に発信して下さいと言われました。


以下が、今回お世話になりました消防士のメンバーです。


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 最後に、今回の被災地支援活動に参加するきっかけを頂きました「建サク」の立花社長には、本当に感謝しております。立花社長は、以下の写真の右側になります。


 今回で4回目となる女川町の炊き出しを今後も継続していくとおっしゃられておりました。


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 自らが知らないだけで、見えない所で沢山の方々の想いや行動が存在することを知りました。

しかし、そういった事は実際に参加してみなければわかりません。

今回の炊き出しは、大きな経験をさせて頂きました。



 震災から、4か月が経ちました。ボランティアの数や支援物資も大幅な減少傾向にあると聞きます。


 その中で、継続して支援していくということは、非常に大変なことではあります。しかし、実際にそれが被災地にとって大きな支えとなっています。


 私自身も出来ることをしっかり行っていかねばなりません。


私に課せられた使命の一つとして、皆様に真実の情報を発信していくということがあると思っております。


 そういった想いの下、3回に渡って「被災地支援レポート」を発信して来ました。

 

この報告を通して、少しでも皆様に、被災地やその支援体制の実情が分かって頂けたら幸いです。