<一昨日のつづき>
4月29日早朝
大野勢の先鋒・塙(はなわ)直之、岡部則綱隊と
浅野勢の先鋒・亀田隊の間で
先頭が始まりました。
亀田隊は作戦通りに樫井まで後退して
塙・岡部隊を誘い込みました。
樫井では浅野勢の本隊が展開しており
大野勢の先鋒はまんまと包囲殲滅されました。
この戦いで塙直之が戦死し
岡部則綱も敗走しました。
大野勢の先鋒部隊は壊滅しました。
勝利した浅野長晟でしたが
軍勢を立て直すため
一度、紀伊国内へ撤退しました。
大野治房の本隊は先鋒部隊が
浅野勢と戦っているという知らせを受けて
軍勢と共に急行しましたが
樫井の戦いは既に終結しており
浅野勢も撤退した後でした。
塙直之を失った大野治房は
浅野勢を紀伊国内まで追撃するのは
無理だと考えて
堺へ戻って軍勢を整えました。
浅野勢は軍勢を立て直すと再び北上して
堺に駐留していた大野治房勢と戦いました。
この戦いは5月6日まで続いています。
大野治房以外の軍勢は大坂城で
軍議を繰り返していました。
4月30日になって
ようやく役割分担が決定されました。
大きく分けて南と東の二方面で
徳川方を迎撃することになりました。
後藤又兵衛、真田幸村を中心とした
大和路方面部隊と
木村重成、長宗我部盛親を中心とした
河内口方面部隊です。
<つづく>