<つづき>


12月4日になっても篠山の真田勢は
前田勢の作業を妨害していました。


そこで将軍・秀忠は夜襲による
篠山奪取を計画し

これを前田利常に命じました。


前田勢の先鋒部隊が夜陰に紛れて
篠山に攻めかけましたが
前田勢の動きを察知していた真田勢は
既に真田丸へ退いていました。


前田先鋒部隊は篠山を奪取したものの

空振りでした。


激戦を覚悟していた先鋒部隊は

矛の収めどころを求めて

真田丸へと攻め寄せてしまいました。


時刻はまだ暗い早朝ということもあり

前田先鋒部隊が真田丸に近づいても

反撃はありませんでした。


『これはチャンス!』と思った

前田勢は一気に真田丸の城壁に肉薄しました。


すると壁の上に一人の兵士が現れて

「前田家の皆々様!

 このような暗い時分に篠山に登ったのは

 狩り場でもお探しですか?

 鉄砲など撃っては鳥も獣も逃げてしまい

 暇になったのではありませんか?

 お暇なら我々が相手になりましょう。

 しかし天下に名を馳せる前田家のお歴々に

 このような小城では相手になりませんか?」

と皮肉たっぷりに叫んだそうです。


憤激した前田勢は
真田丸に攻撃を仕掛けました。


すると城壁の上に真田勢が一斉に姿を現し

頭上からありったけの鉄砲を
浴びせかけたのです。


幸村はしたたかでした。


混乱する前田先鋒部隊の側面を

幸村の嫡男・真田幸昌(以下、通称の大助)の

率いる騎馬隊が襲ったとも言われています。


この説が真実なら

真田丸の戦いが大助の初陣になりますが

史料によっては冬の陣では

実戦には参加していないというものもあるようです。



城壁に肉薄していた部隊は
壊滅状態になりました。


後続の部隊も大量の銃弾を浴びて

大損害を出してしまったそうです。


逃げ腰になる前田勢に対して

真田勢がさらに罵声を浴びせかけたため

前田先鋒部隊は退きどころを失って

無理攻めを繰り返してしまい

被害は拡大する一方でした。



さらに前田先鋒部隊の被害が拡大した理由に

「攻城戦の備えをしていなかった」

という点が指摘されています。


攻城戦といえば

守備勢の鉄砲への対策は必須でした。

当時は現代の防弾チョッキのようなものは無いので

竹束や鉄の楯を弾除けにしていました。


家康は今回の大坂城攻防戦に際して

全大名に竹束と鉄楯を支給していたのですが

前田先鋒部隊は篠山奪取を目的にしていました。

そのため竹束も鉄楯も装備していなかったのです。


目的を忘れて準備も無しに

真田丸に攻めかけてしまったため

大きな被害を受けたのですね。

<つづく>