阪神淡路大震災から今日で30年
いつものルーティーンで
6時に間が覚めるとTVをつける
あの日そこに映っていたのは
いとも簡単になぎ倒された高速道路の姿
どんな災害でもそうだが
TVに映ったその姿は
自分の居場所とあまりにもかけ離れていて
現実とは思えないほどだ
特にあの日は朝だったので
まだぼーーっとしていて
夢だろうかと思わずにはいられなかった
めざましテレビの大塚さんが
あのいつものにこやかな声ではなく
大ベテランのアナウンサーらしからぬ
緊張した声で でもとても理路整然と
その事実を伝えていた
その後の被害の大きさは
大都市の災害としては
近代まれにみるできごとで
たぶん世の中にカラーTVが普及して以来
初めてのリアルな映像だったかもしれない
それまで関西では地震が起きない
というのが定説だった
だから関西の人はほとんど
防災に関する認識がなかった
阪神淡路大震災はいわゆる直下型だったから
東日本大震災とちかって
震度7でありながら津波はほとんどなく
その代わりにビルや家の倒壊が多かった
結果家の下敷きや火災で
6000名近い人の命が奪われた
そしてあれから30年
あの震災をきっかけにボランティア制度が
確立され避難所の運営や家の耐震などが
飛躍的に進んだ
まだ心の傷は癒えないかもしれないが
がれきだったあの町は
大きな復興をとげて傍から見れば
もうあの時の街は思い出せない
(実際に10年前に神戸へいったけれど
地震の痕跡は見つからなかった)
ちょっと逸れるが
能登地震から1年
全くと言っていいほど復興はされていない
復旧ですらまだで 今だライフラインが
寸断されたままで 人の流出が続く
それでも30年経ったら
今の神戸みたいに戻るのかといえば
疑問符がつく
だから今日の日を思うたびに
東北や能登の人たちのことも
一緒に思い返してほしい
たぶん毎年震災の日に
いろいろ書いている
同じこともいっぱい言っているかもしれない
それでも書くことで言うことで
忘れない あの日のことを・・・
黙祷