テーマが「男と女」に合うかは疑問だけど・・

価値観がもしも目に見えたら・・どういう形をしているだろう?

わたしのイメージでは

でも その表面はツルツルじゃなく 細かく隆起してボコボコしている。
そのボコボコ1つ1つが細かい価値観になっている。

1つの価値観は微妙に形が違っている。

例えば「人と待ち合わせしている時の価値観」
ある人は”時間にルーズで悪いと思っても遅れている”
ある人は”厳守!”と思っている。

この二人のデコボコは合わない。

だけど 同じ厳守!の人も
「じゃあ もしもどうしようもない理由で遅れることがわかったら?」となると
ある人は”少しでも遅れるようならすぐに連絡する”と言うし
ある人は”ちょっとくらいなら連絡いれるよりは急ぐ”と言う。

この二人のデコボコは同じ形をしているようだが 微妙に違う。

更に連絡をいれると言う人に「じゃあ 連絡いれなければいけない時間は?」と聞けば
ある人は”1分でも遅れるならいれる”と言うし
ある人は”1分くらいならいれない”と言う。

やっぱりこの二人のデコボコは びみょ~に違う。


誰かと誰かがいると この球の価値観を場面場面でクルクルまわしながら 付き合っている。


この面では合うが この面ではぜんぜん合わない・・と言うことが起こる。

どの面でもぜんぜん合わない人もいれば どの面でも結構あっている人もいる。

完全に一致している人なんてほとんどいないだろうが・・多少のずれは 「歩み寄り」とか「妥協」というパテで埋められて付き合っていける。


(もっとも 反対だからこそつきあっていけるって人もいるだろう。
それはそれで きっとそのデコボコのへこみ具合がしっくり”逆向きに”あっていたりするんだろうなぁ
合わないデコボコが 決して悪い方向にばかり作用するわけじゃないだろうが)



だけど 反対に この「パテ」がなければ それがどんなに微妙な違いでも・・
”遅刻が当たり前”の人から見て ”1分で連絡いれる人””1分ならいれない人”は 「遅刻をしないけどどうしても遅れるときはその判断時間の違いだけで連絡をいれる」と同じように見えているが やっぱり どこか本人同士は違っていて しっくりこない感じが残る場合もある。


それが小さなものであるほど 「これくらい」という気持ちですごしている時間分たまってきて・・大きなひずみになって 後から他の人に”合わない原因”を聞かれたときに ”自分でもこんなことくらいでと思うけど”とか”本当に些細な事の積み重ねで”という理由になってしまうのはないかと思ってしまう。


小さなずれを どれだけ合わなくとらえるか・・も 個人差はある。

「1分の連絡」の時間差を まったく気にしない人もいれば 「1分の時間差」が大きく感じられる人もいる。


気にしない人にしてみれば「連絡いれているんだから・・それもたった1分の問題なのに」となるだろうし
気になる人には「わたしはちゃんと1分でもいれるんだから 連絡くらいいれてもいいじゃないか」となる。

大きな違いなら まだ理解も得られるだろうが 些細なずれこそ相手に受け入れてもらうのは難しいのかもしれないと最近感じる。

「歩み寄り」には限界がある。
結局最後は「妥協」で埋めるしかないのかな・・じゃあ その「妥協」ができなくなったときに

「たったそれくらいのことで」人は別れてしまうのかな。