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多摩川から帰ってきた。
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まずちょっと小走り、と思い走り始めたら足は痛くない。
そのまま10Km走れた。
足を痛めてからウォーキング混じりでなくすべて走ったのは久しぶり。
9月3日に5Km走ったのが最後。
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また走れてよかった。
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今日は走りながらふたつのことを思った。
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ひとつ。
これからもっと速く走れるようになっていこうと思っているわけだが、いま僕に足りないのは脚力か心肺能力か?という疑問。
今度走れるようになったらそのことを確かめてみようと思っていたので、今日、確認しながら走ってみた。
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結果?
つまんない答えだが、両方。
最初の5Kmでスピードを上げるのは、足は大丈夫だろう。しかし、心肺の負荷に苦しみそうだ。
5Kmを過ぎると、スピードを維持するには脚力が足りない。
まずは、とにかく、辛抱だ。
あと一ヶ月半(トータルで三ヶ月)とにかく走ることに馴れ親しもう。
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まあ、そのほかにもスピードを上げるための練習をいくつか取り入れようと思っている。
もう少し、足がよくなったらね。
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ふたつめ。
手紙。
手紙に関して。
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手紙は出すほうとしては自分の現在から相手の未来に送る。
受け取る側としては、手紙は過去から届く。
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走っているときって、血のめぐりのせいか、暗算なんかができなくなる。
論理的に考えるのもシンドイ。
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走りながらツラツラ考える。
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受け取り手の未来から届く手紙が書けないだろうか、送れないだろうか。
遺書はどうだろうか。
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死の知らせは、人に、不確かさ、非現実性しか与えない。
まるで予言のように。
死の実感はこれからだ。
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遺書は、きっと、未来からの手紙のように思われるに違いない。
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スー、ハー、スー、ハー。
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だんだんロジカルな思考が困難になる。
もともとロジカルではないアタマが酸欠で途切れ途切れにしか働かなくなる。
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スー、ハー、スー、ハー。
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死者に送る手紙は?
死者の未来に送る手紙になるのだろうか?
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スー、ハー、スー、ハー。
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今度走りながら父への手紙を書いてみよう。
