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一篇の詩を書いてしまうと
狂気も、狂気でもちこたえてきた悲惨も
むこうの窓から消える

~山本哲也「一篇の詩を書いてしまうと」~

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そしてまたぞろ新たなあるいはお馴染みの狂気が新たなあるいはお馴染みの悲惨を引き連れてやってくるのではあるが。
後ブレも前ブレもなしに。

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詩でなくてもいい。
人と語ること。
アイを信じているのならアイすることでもいい。
笑うことでいい。
歌うことでもいい。
走ることでもいい。

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おそらくそれらの行為によって人はおのれの狂気から逃れる。
そして、ひと息つくと狂気へと戻ってくる。あるいは狂気が戻ってくる。

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おそらくね、おそらく、、、

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ってなことをこのblogで書いてもねぇ、、、

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字。
僕はクセ字でね。
今度、このblogでしっかりお見せするけどね。

-あなたの字はかなり特徴的ですよね。わたしは絶対に当てられますよ。
-なんで僕の字がわかるのですか?
-は?
-あなたは今までに何枚もの手書きのカードをばらまいてきたのを覚えていないのですか?
-・・・・・

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もう今から字はキレイにならないよね?
ちゃんとしたセンセイ、あるいはお手本に出会って継続的に取り組んだらマシになる?
字がウマイ人はうらやましい。

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僕は65歳くらいから絵を描き始めて二、三年で素晴らしい絵を描くようになった人を知っている。
それを考えると、可能かなぁ?

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その人は毎週土曜日に池袋の絵画教室に通っていたのだが、毎回、池袋でベロベロになるまで飲んで来て、僕がいる店に来る頃はヨウカイにしか思えなかった。
チーズが好きな人で飲むときはいつもチーズを頼んだ。
そしてそのチーズは、その人が話すたびに、僕の顔面に噴射されたものだ。
僕は自分のグラスを手で押さえながらしゃべったものだ。
かなり好きな人だったが、比喩ではなく、距離を置いて付き合いたい人だった。

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みんな、どうしているんだろ?