おはようございます晴れ

 

根がまじめなもので(笑うとこですw)

 

下記の記事が目についてしまって

回答もしっかり読んでしまいました。

 
 
 
 
私たちは必ず年を取るので、シニア世代を超えて生き残っていると必ず老人となります。
なのでついついメンタル的なこと(育ててもらった恩や、戦後の日本を築いてもらった恩など)で心が占められますが、理論的にはどうなるのでしょうか。

 

「姥捨て山」は当然今は違法なのでここでは触れないですが

 

『なぜ何も生み出さない老人を養わなければいけないのでしょうか。』という質問についてです。

何も生み出さないと言われると、ついひるんでしまいますね(私なんて専業主婦なので今でもそのことで負い目がありますから)

 

※回答者はこのサイトに登録している方で、医師などの肩書がある方もそうでない方もいらっしゃることを

あらかじめご承知おきくださいね。

 

ここで回答されていらっしゃるYu-Moさんのお答えを転載すると(すべて読みたい方は上のリンクから)

 

GDPには、三面等価の原則というものがあります[※] 。生産と分配と支出が等価になります。考えてみれば当たり前のことで、消費されない物を生産しても死蔵されてしまいます。商品が売れたら売上が計上され、賃金になったり会社の活動資金になったりします。

「何も生み出さない老人」は、生産せず消費します。

「生み出さない」ことに不満を感じていることから恐らく質問者は現在働いているのだと思われますが、現役世代に働き口があるのは、そうやって仕事を奪わず、それなのに現役世代の務める企業の売上に貢献してくれるお客さんがいるからです。

食べ物はお腹いっぱいになったらそれ以上食べ切れないように、一人が消費できる量には限界があります。

そのため、消費を増やすには人口を増やす必要があります。人口を増やすには、出生数を増やすか、寿命を伸ばすかの二通りがあります。

ですが、姥捨山は後者に反するものですし、前者に寄与するものでもありません。

三面等価の原則は、国全体に対してある程度の期間を通してみると成り立ちますが、個人に適用するとタイムラグが発生します。サラリーマンなど賃金労働者においては、就職前は親の分配分を消費します。

 

就職後は一転して生産過剰になり、その結果消費する以上の分配を受けます。

この分配には老後に年金を受ける権利の分も含まれます。

 

そして退職後はそれまでの蓄積を取り崩しながら生涯の間ずっと消費を続けます

三面等価の原則のタイムラグのおかげで現在の現役世代が老後のための貯蓄を行えているのです。

姥捨山はこの流れを消費の前に断ち切ってしまうため結局現役世代の首を絞めることに繋がります。

 

※三面等価の原則(さんめんとうかのげんそく)とは、生産、分配、支出の三面いずれからみても国内総生産(GDP)は同値になることを示す。

 

引用、転載ここまで

 

真顔もちろん年金も収められずに、無年金や少額の年金で、貯蓄もなく生活できず、国のお世話になる方もいらっしゃるし

日本の人口分布で高齢者の割合が高いので国のお世話になる方の割合も多くなるは理解できますが

すくなくとも若い頃は生産側にいたであろう方々なので、高齢の方の生活保護問題は上に書かれている「タイムラグ」的に考えるといいと思います。

 

時代がどんどん進んでいます、今の学校を卒業した世代にこのような理解があればいいのですが・・・