がん経験者は必ず一度は、この壁と向き合う、命の時間について、僕の考えを書かせて下さい。
今日も長文で書いてしまい反省しています。

僕がアメブロの読者登録をさせて頂いている方は、今、この瞬間を大切に生きている方が物凄く多いです。
僕も考えは同じで、今、自分が納得した時間を過ごせているのかを振り返りながら、行動するときがあります。

健康な生活を送っていた時は、考えもしなかった命の時間。
僕は、このこと考える様になったエピソードをお伝えします。

既に、がんの告知を受け、治療選択を行うために、妻、そして両親と共に、大学病院で担当医との診察の中で

波平「病状は分かりました。で、息子は治療で直るのですか?」

えーんまずは治療をこれから始めるのに、そこを質問する意図は...。と思ったり

病院「治療が100%、効果があるかは保障できません。また、現時点では腫瘍が無くなるかも、検査を通じて確認するしか手段はありません。」

波平「であれば、息子の残された時間、余命はどれだけですか?」

えーん本人がいるところで、ここまで聞くかと ...。思ったり

病院「治療を行わないと何とも言えない。ただ、症例によっては腫瘍が無くなった、縮退した方もおります。」

しばし沈黙。父上が医師を見つめているので...。

病院「無治療を通された場合は、30日後の命の保障はできません。」

フネ波平サザエさんマスオがーん...。

と、僕はこの時、人生の折り返し地点だと思っていたことが誤算で、1ヶ月後には自分が存在しないかも知れないことを感じた...。

この診察までは、必ず良くなって普通の生活に戻ると根拠の無い自信があったが、大きく出鼻を挫かれてしまったを、今でも覚えています。

この時から、僕は僕に残された時間を大きく意識する様になり、最初は残される家族に出来ることを考え、その次に職場の自分がやっていた仕事のことを考え、ここで大きく一段落がついた。
この時、残りの命の時間を聞いてから、2ヶ月が経過しており、ある意味、変な達成感、やりきった感があった。

ここからが僕に取って辛い時間で、新たなことをプライベートでも仕事でもやりたくとも中途半端になることを恐れ前に進めず、恐る恐る来るべき、終着駅の電車に乗っていた気持ちに支配されていたため、中々はじめの一歩が踏み出せずにいたこと、今でも忘れず記憶の中に留まっています。

こんな状態だったこと、今の自分からは想像もできないと思いますが、告知を受けた当初は、僕はこんなところまで沈んでいました。

ここから気持ちを大きく押し上げてくれた出会いは、「今を生きる」と言うブログとの出会い。

一度も会ったこともない、ブログの闘病記。

そこには、確実に僕より症状も状態も芳しくない一人の若き女性が、僕の今の生き方に対し、人は必ず死を向かえ、死を向かえる最後の1秒まで、生をまっとうする生き方が、僕の死を向かえる生き方を否定する訳でも無いのに、僕に大きな打撃を与える...。

複雑な感情が交差しました。

僕が生まれた理由は何なのかとか、僕が達成するべき目標は達成できたのかとか...。

短期間にシフトチェンジはできませんし、上げたと思ったギヤも、曲がり角や対向車の影響で、シフトダウンしたことも、ああす。
徐々にギヤを上げてきて、今の自分が存在してきていると思っています。

当然、自分ひとりでは、この状態まであげることができなかったと思います。

家族、同僚、仲間、医療関係者、全ての人の支えもあり、持ってこれた状態。
感謝の言葉では表すことはできませんが、本当にありがとうございます。

今でも、答えはでないことは沢山あります。なぜかと言うと、生きているとやりたい目標がどんどん増えて行くからです。

健康な人も、そうではない人も、命には限りがあります。

最後の1秒まで、今を生きれたと思える人生を過ごせると、素晴らしいと思っています。

僕のブログを読んだ方の
命の時間について、考えて貰うきっかけになれると嬉しいです。

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