育て方が悪いからそうなった。

病気の私が育てからそうなった。

今でもたまに思う。

 

子供は親を選べない。もしかして、違う親が育てていたらこんな敏感な、生きづらい子にはならなかったかもしれない。

私と同じ思いはして欲しくない。

 

自分もかなり生きづらい人生を歩んできた(現在進行形だけど。)ので、長女には、次女には自由に生きて欲しいと思う。

 

 

 

何度か学校を脱走しようとした長女。

その都度、担任や校長に捕まえられていた。

その姿を見ると、悲しみを通り越して虚しくなった。

 

 

正門に行くまでに、我が子だけでなく、遅れてきた子が泣いているのを何人も見た。

きっと、仕事をしている母親が途中まで車で送って、行きたがらない子を置いて仕事に行ったんだろう。

 

皆、暗い顔をして俯いて歩いている。時には、置いていった母親の車があった場所から動かない子もいた。

葬式に行くようだな。ここは何なんだろう。

 

他人事には思えないので、「おはよう。」と声をかけてみるがこっちを見向きもしない。そうだよね。

 

結局私は、1年間毎朝車で正門まで長女を送っていった。

長女もこんなもんだときっと自分に言い聞かせて、その環境に慣れていった。

大好きな母親を困らせたくないから。

それも、全部分かっていた。長女は親バカだが、私のことが大好きだ。多分。

(お母さんの悲しい顔を見たくない、悲しませたくない、笑っていて欲しい。泣かないで、お母さん。私、頑張るよ。)

 

私が長女にそう思わせていたんだよね。

だって、学校に行きだしたら機嫌がよくなるんだもんね。

 

私も母親を困らせたくなくて、大嫌いな学校に行っていた。

困らせることはしなかった。

 

長女の気持ちが一番理解出来るはずなのに、理解しようとしなかった。

親と同じことをしている。

 

 

そんな自分がすごく嫌になった。

 

だから、自分の親とは違う親になろうと決めた。

一番の理解者は私。

 

 

学校では、優秀な長女。

成績も、生活態度も私の何倍も良い。

音楽や図工の評価もすごい。

図画工作の表彰や、硬筆コンクールの表彰など数々の賞をもらっている。

 

そのたびに、私は本気ですごい!と思って「すごいねー!!」と心から褒めた。

長女は嬉しそうだ。好きな教科は音楽と図工。

 

 

これだけ、感受性豊かで自分を表現できる強みがある。

人にはないものをたくさん持っている。

 

 

それだけで、あなたは素晴らしい。

なぜ、今までそう言ってあげられなかったんだろう。

 

 

そう思えるまでかなり時間がかかった。

学校に執着していたのは、私自身だ。